voice of mind - by ルイランノキ


 カスミ街と海23…『寂しい雨音』

 
風呂から上がったシドが、体から湯気を出しながら客間に顔を出した。
 
「寝るわ。朝にはこの街出るぞ」
「シドさん……」
 
ルイが何かを言おうとしたが、シドはドアをバタンと閉めた。ルイが何を企んでいるのかわかった上での態度だろう。
 
「ルイ、先お風呂入る?」
 と、アール。
「いえ、僕は最後で構いませんよ」
「じゃあお先に」
  
アールは客間を出ようとして、振り返った。
 
「ルイ、いい案が見つかったら教えて?」
 と、笑顔で言った。
「えぇ、見つかるかはわかりませんが、もう少し考えてみます」
 と、ルイも笑顔を向けた。
 
アールは客間を出て、風呂場がある1階の廊下の右奥へと向かった。
 
助け出すのはなんとかなるかもしれないと、アールは思う。あくまでもシドやヴァイスの力を借りれば、だ。人数では勝てないけれど、不思議と仲間がいるだけで自信がみなぎってくる。
ただ、シドが手を貸すだろうか。ヴァイスも、面倒なことには手を貸したくなさそうだ。その点は似ているのかもしれない。
 
風呂場は思ったほど広くはなかった。
それでも床は大理石が埋め込まれており、壁紙も蓮の花の輪郭が隅に描かれていて洒落ている。
アールは頭を悩ませながら、洗面器に湯舟に溜まってあるお湯を掬い、体に掛けた。
 
「ぅあーっつい!?」
 
熱湯に、アールは思わず洗面器を放り投げた。湯を浴びた部分が赤くなっている。
 
「もうッ!!」
 
苛立ちながら、水道から水を出して熱湯を浴びた体に引っ掛けて、蛇口を湯舟に向けた。
 
以前にも同じ目に合ったことがある。自然にそれを思い出していた。
父親が入ったあとのお風呂だ。酷く熱かったのを思い出す。
 
「…………」
 アールは水道の水が湯舟に足されてゆくのを眺めていた。
 
男の人はなんでこうも熱い湯舟に浸かるのだろう。別に自由だけど、後から入る人のことも考えて欲しい。
そう以前から思っていたけれど、一度も父に言ったことはなかった。微妙な距離感があったからだ。代わりに姉が言っていたのを知っている。
 
「お父さんの後、熱いんだけど! 少し水足してから出て来てよ」
「あぁ、悪いな、気をつけるよ」
 
確かそう答えていた。だけどいつも私が父の後に入るときは熱かった。姉の注意を聞かなかったのかな。それとも、私は何も言わないから、姉が後に入るときだけお湯の温度を下げていたのかな。
 
アールは小さくため息をついた。
ほんの些細なことが、胸を締め付ける。決して仲が悪かったわけじゃない。かといって仲が良かったわけでもない。
 
水で温度を下げたお湯に浸かった。
なんだか寂しくなった。
 
━━━━━━━━━━━
 
客間を出ていくヴァイスに、ルイが声を掛けた。
 
「お休みになられますか?」
「……あぁ」
「少し、訊きたいことがあるのですが」
 
ルイの問いに、ヴァイスはドアノブに掛けていた手を下ろし、振り返った。
 
「ヴァイスさんは……アールさんをどう思っているのでしょうか」
「…………」
「彼女は時に強いですが、その強さはとても不安定で……。旅を始めた頃に比べたら断然強くなられましたが、それでも気に病むところがあります。もしなにかあったときは……」
 と、ルイはヴァイスを見遣った。
 
ヴァイスは無言でルイを見ていた。
 
「……すみません、心配性すぎましたね」
 ルイは苦笑した。
「ルイ」
 と、突然ヴァイスに名前を呼ばれ、どきりとした。
「はい……」
「私は何かを知っていても、何かに気づいていても、それを安易に口に出すことはない」
「……?」
 ルイは眉をひそめた。
「それが例え我々を脅(おびや)かすことになるであろうことだとしても、だ」
「それは……どういう意味でしょうか」
「それだけ無関心だということだ」
 
命を掛け、世界の未来を託された仲間同士だというのに、無関心でいられるヴァイスの気持ちがルイにはわからなかった。
 
「関心がある必要があるか?」
 ヴァイスはそう問う。決して冷たい言い方ではなかった。
「いえ……」
 ルイは肩を落とした。
「すまないな、私はそういう生き物なのだ」
 
ヴァイスは客間を出ていった。
ルイは椅子に腰かけ、再び思考を巡らせた。人身売買を止める方法など簡単に見つかるはずもない。
どのくらいそうしていただろうか。不意にフローラルな香りが鼻をついた。
いつの間にかふたつ隣の席に座っているアールが濡れた髪をタオルで乾かしていた。
アールはほてった顔をルイに向け、困ったように言った。
 
「シドのあとは入りたくない」
「どうかしましたか?」
「熱いの」
「あぁ……」
 と、ルイは笑う。
「シドさんは湯舟に浸かりながら熱いお湯を足していきますからね。注意しておきます」
「うん。──明日何時? 行くよね? アジト……」
「えぇ。早朝がいいかと。ただ、シドさん達がどう思うか……」
「それは考えてもしょうがないよ。4時起きくらいでいい?」
「えぇ。すみません」
「謝らないでよ」
 と、笑顔でアールは席を立った。「私も助けたくて行動するだけだから」
 
━━━━━━━━━━━
 
カスミ街北東、ムスタージュ組織、第十五部隊アジト。
雨が倉庫の屋根にバラバラと音を立てる。足場はぬかるみ、見張りはアジトの入口にふたりだけ。その他の連中は20番倉庫の中で整列していた。整列を前に腕を組んで立っているのはハングだった。
 
「裏切り者は処分する」
 
ハングがそう言うと、整列している女子部員は顔を伏せた。そこにエンジェルの姿はない。
 
「あの時お前らを取っ捕まえて早々売り飛ばしていた方が金になったな。それなのに何を思ったのかロンダさんはお前らを買い取って仲間にしやがった」
 
ハングは自分の意思でお前たちを仲間にしたわけではないと苛立ちながら女子部員に向かって言い放つ。
男性部員はその隣に整列し、大人しく話しを聞いていた。
 
「住む場所も食い物も与えられた恩返しが裏切りとはな」
「私たちは何もしていません!」
  
そう言ったのは、エンジェルが指名手配の男にうつつをぬかしているとハングに密告した、ショートヘアの女、カスタードだった。
 
「裏切り者はエンジェルです! 私たちは裏切らない!」
「…………」
 ハングは黙ったまま近づくと、彼女の髪を鷲掴みにした。
「女子部員のリーダーであるエンジェルを売ったお前は裏切り者にはならないのか? 本人に忠告はしたのか? なにをしても無駄だったから密告したのか? それとも、エンジェルに腹が立った勢いで告げ口したのか?」
「わ、私は……彼女を放っておいたらチームワークが乱れると思ったから!」
「お前一人で判断を下したようだが、そんなお前がよくチームワークがどうとか言えたもんだな」
 
カスタードは、はじめの勢いは消失し、今にも泣き出してしまいそうなのを堪えているようだった。
 
「使い物にならねぇなぁ、女は」
 ハングはそう言って、乱暴に髪を突き放した。
 
男たちが馬鹿にしたように笑う。
 
そんな中、エンジェルは隣の19番倉庫に閉じ込められていた。手も足も鎖でがんじがらめにされて横たわっている。長かった髪はバサバサに切られて辺り一面に散乱し、体中には痣や傷を受けていた。
口はガムテープで塞がれ、言い訳さえ出来ない。
 
呆然と冷たい床を眺めながら思い出すのは、敵だとわかっていながらもコートを掛けてくれたルイという青年の、優しい笑顔だった。
あのコートはアジトに向かう前にモナカシスターズに預けてきた。後からモナカシスターズも呼ばれて来たようだけど、コートはどこに置いただろうか。
 
そんなことを考えながら、雨音を聴く──
 

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