voice of mind - by ルイランノキ


 カスミ街と海8…『ハング』

 
粘っこい血が、よだれと共に自分の口からゆっくりと床のコンクリートにポタリと落ちたのを、アールは見届けた。
かれこれ1時間は両腕を上げた状態でぶら下げられ、つま先だけ床に着いている。
腕は痺れ、感覚が殆どない。
 
「他の連中はまだか?」
 
第十五部隊、副隊長ハングと名乗った男が仲間に電話をかけている。
 
「ほう、男ふたりも捕らえたのか!」
 ハングはアールに目をやった。「お前の仲間は女好きが多いようだな」
 
アールは下を向いたまま、なにも答えなかった。
女好きといえばカイしか思い浮かばない。もうひとりは誰だろう。シドが女に引っ掛かるとは思えない。ルイだって……。
あぁ、そうか、とアールは思った。
きっとカイと捕まったのはルイだ。わざと捕まったのではないかと思う。
 
「ロンダさんには報告したのか? ──そうか、なら纏めて報告しよう。一先ずそのふたりを連れてくるんだ」
「ロンダ?」
 アールが口に出すと、ハングは電話を切って答えた。
「十五部隊の隊長だよ。あんたも強情っ張りだな。いい加減、仲間の居場所を吐いたらどうなんだ」
 ハングはアールの顎に手を添えて、彼女の顔を上げた。目の回りに青あざが出来ている。
「知らない」
「知らない? 電話で“戻ってくるな”と言ったのはお前だろ。どこに行ったんだ」
 アールの顎を持ち上げたハングの手に力がはいる。
「ゲートボックスからカスミ街を出て行くのを見ただけで、どこに行ったのかまではわからない」
「…………」
 
ハングが舌打ちをして手を離すと、アールの頭は力無くガクリと下を向いた。
 
「魔物を……操れるって……」
 アールは俯いたまま、声を出した。
「凄いだろ? 俺の手にかかりゃ、どんな魔物も俺の命令に従わせられる」
「あのシャチはあなたが仕向けたの?」
「そうだよ?」
 と、優しく答えたのが不気味だった。「驚いた? お嬢さん」
「…………」
 
自分ひとりならまだしも、シオンもいたのに。
自分が行く先々で事件が起こる。その事件に巻き込まれた人達はたまったもんじゃない。
 
「ヴァイスという男が選ばれし者である可能性は……30%ってところか」
 ハングがそう呟いた。
「選ばれし者……?」
「お前がそうであるという情報が入ってきているが、これまでニセの情報ばかりだったからガセネタかもしれないけどな」
「情報屋がいるの?」
 
アールの質問に、ハングは笑った。
 
「いるんだろうな。──世界を救う英雄となる“選ばれし者・グロリア”。そいつの命を狙っている者は多い。そこに目をつけて情報を売買してる奴もいるんだ」
「……世界を救う英雄を殺そうとしているの? なんで?」
「お前は何故だと思う?」
 
──わからない。
世界が救われることを望んでいない人がいるのかもしれない。
 
「……救う価値のない星なの?」
 
ハングは、ぶはっと吹き出した。
 
「いいや? みんな世界が救われることを望んでいる」
「だったらどうして……」
「単純なことだよ」
 
ハングの携帯電話が鳴る。
ハングは暫く続きを話そうか考えたが、思い止まり、電話に出た。
 
「あぁ、エンジェルか」
 
──エンジェル?
アールは聞き耳を立てた。
 
「12番倉庫だな、わかった。あとの二人はどうなってる? ──そうか、まぁいい。街の外に出た奴がひとりいる。助けにきたら厄介だ。部員全員に集合をかけておいてくれ。ロンダさんには俺から連絡する」
 
アールが捕われているカスミ街の北東、立入禁止区域には、車が二台入る大きな錆び付いた倉庫がズラッと番号順に並べられていた。
 
電話を終えたハングは、アールの手首を縛っていたロープを、ポケットから取り出したくだものナイフで切った。
天井の柱からぶら下げられていたアールは、力なくコンクリートに膝から崩れ落ち、打ち付けた膝の痛みに呻いた。
 
「移動だ。立て」
 
足の痺れを感じながら立ち上がると、ハングは足枷を外した。
 
「血を……拭いてもらえますか」
 と、アールは言った。
「は?」
「仲間が見たら心配するし……口の周りだけでも」
「ふんっ、心配性の仲間がいることはいいことだな。仲間の前でお前を痛め付ければ、残りの仲間の居場所や誰が選ばれし者であるか口を割るかもしれないからな」
「それはあまり賢い選択とは思えませんけど」
「なに?」
「私がグロリアなら、彼等は必死になって助けようとしてくれるかもしれないけど」
 
そう言いながら歩き出したが、足元がふらつき、前のめりに倒れ込んでしまった。
 
「おい、ちゃんと歩けよ」
 
アールの両手はまだ縛られたままだった。床のコンクリートに、縛られたままの両手を付きながら起き上がろうとするが力が入らない。
 
「おいっ」
 
ハングが苛立ちながら手を貸した。その瞬間、ハングは身をのけ反った。きらりと光る刃が目の前を横切った。ひやりと汗をかく。
アールは、わざと倒れ込み、首に掛けていた武器を外したのだった。
 
警戒して距離をとるハング。
アールは武器を宙に投げた。ブーメランのようにくるくると回転しながら落ちてくる剣の下に、縛られたままの両手を差し出した。剣の刃は回転しながら、縛られているアールの両手の間にスッと入り込み、ロープを切った。
 
漸く自由になった手で剣を拾い上げると、切っ先をハングに向けた。
 

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©Kamikawa
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