voice of mind - by ルイランノキ


 カスミ街と海5…『うそ』


焼け焦げて灰と化した小さな村は、風に吹かれ雨に打たれ年月を過ぎ、かつてはそこに村があったことさえわからないほど荒れ地になっていた。
焼け崩れた家の廃材がまだ所々には残っている。それを片付け、そこに十字の墓標を突き刺した男がいた。ヴァイスだった。
 
辺りを見回し、板で十字に組み合わせただけの墓標が一基、ニ基と増えてきた様子を眺めた。これは“ライズ”だった頃には出来なかったこと。
ここに村が存在し、その村人達が命を落としたことを忘れないために。
 
ヴァイスはポケットから丁寧に折り畳んでいた白い紙を取り出し、ゆっくりと広げた。そこにはイエロー・ル・シャグランの種が入っている。
そっと指でつまみ、パラパラと墓標の周りに蒔いた。
 
村の道なき道を歩き、一番はじめに立てた墓標の前で立ち止まると、膝をついた。
その墓標の周りにはすでにシャグランの黄色い花と、白い花などが咲き誇り、風に揺れていた。
 
愛する家族と、婚約者が眠る場所だった。
新たに持ってきた種を蒔き、暫くその場に居座った。
目を閉じれば彼の周りに消えたはずの村が蘇り、村人たちの笑い声が聞こえてくる。
 
   ヴァイス!
 
この村で生まれ、不在が多い父の背中を見て生きてきた。
病気がちで大人しい母親に似て人付き合いが苦手だったヴァイスにも気さくに話しかけてくれる村人たち。そんな彼を愛した恋人。
 
全て焼き壊された場所。
ある一人の黒魔導士の手によって。
 
「…………」
 
ヴァイスは閉じていた目を開き、目の前にある墓標を見遣った。
いつも脳内で村が再生され、最後に現れる黒魔導士によって焼かれて終わり、目を開くとその後の現実が広がっている。
 
ヴァイスは立ち上がり、呟いた。
 
「また来る」
 
村に背を向けて歩き出したとき、携帯電話が鳴った。
ヴァイスは怪訝な表情で、黒い携帯電話を開いた。そこにはアールの名前が表示されている。
あまり電話を掛けないようにすると言っていた彼女のことだ。何か重要な連絡だろうと、電話に出た。
 
『ヴァイス、こっちから連絡するまでカスミ街に戻ってこないで』
 と、電話が切れた。
 
ヴァイスは黙ったまま携帯を閉じ、虚空を見遣った。
 
言葉や声の緊迫感から何かあったのは確かだった。
それにしても何故カスミ街にいないことを知っているのだろうかと、ヴァイスは思った。
 
━━━━━━━━━━━
 
左頬に硬い拳が減り込んで、アールは痛みに顔を歪めた。
  
「戻って来ないで? 俺は呼べと言ったんだよ!」
 
今度は容赦なく男の拳が脇腹に減り込んだ。アールは呻き声を上げたが、抵抗はできなかった。
 
カスミ街・北東
錆び付いた倉庫の中で、アールは捕われの身になっていた。彼女の両手を縛ったロープは、天井の柱にくくりつけられている。両手を上げた状態で、足はかろうじてつま先だけ床のコンクリートについているが、足枷がつけられている。
 
男はアールの携帯電話を倉庫の壁に投げ飛ばした。ルイから貰った携帯電話は壁の柱の角にぶつかり、破片が飛んだ。
アールは顔を伏せた。せっかくルイが買ってくれたのにと、心が痛んだ。
 
倉庫の入口の隅に、マスキンが小さく身を縮めて立っていた。拷問を受けているアールを直視出来ずにいた。
 
入口の左右にひとりずつ男が立っている。外側にもひとりずつ、見張りがいる。
アールに暴行を加えた男がひとりと、その様子をビデオカメラで撮影している男がひとり。計6人。
 
「おい、ブタ」
 と、アールに暴行を加えていた男がマスキンに声を掛けた。
 
マスキンは恐る恐る顔を上げると、あざ笑っている男の後ろで力なく俯いているアールの姿が目に映り、逸らしそうになった。
 
「約束は約束だ。お前の子供を返してやるよ」
 
アールは男の言葉に、少しずつマスキンの立場を理解し始めていた。
カスミ街にマスキンの子供がいるのは本当の話だ。それを助けに行きたいという気持ちも本物だった。ただ、説明不足なだけだ。まだ言っていないことがあっただけだ。目の前にいる連中との取り引き、とか。
 
──マスキンは私達を騙していたわけじゃない。
 
「親子の感動の再会だなぁ」
 と、男はビデオカメラを構えていた男を見遣った。「連れてってやれ」
「はい」
 
男はビデオカメラを渡し、マスキンを見下ろした。
 
「最後にこの女に言っておくことはないか? 騙してごめんなさい、とかな」
 と、男は笑う。
 
マスキンは恐る恐るアールの足元まで近づき、憔悴しきった顔で見上げた。
 
「アールさん……」
「はやく消えてよ。もうあんたの顔なんか見たくない」
 
──マスキンの選択は、間違ってない。
 
「アールさん……ごめんなさい……ごめんなさい……」
「うるさい! どっか行って!」
 
男達の高笑いが倉庫内に響いて耳障りだった。
 
──マスキンは母親として、当然の選択をした。
そう思えるのは、こんな奴らにやられる私じゃないからだ。私がなにもできない弱い子供ならこんなの勘弁してほしいと思うけれど、私は隙さえあればきっと逃げ出せる。そんな私を身代わりに差し出したこと、正解だと思う。
 
アールはマスキンを見遣り、腫れ上がった左目でウインクをしてみせた。大丈夫だよ、と。
マスキンの身長は40cm、アールは150cm、男達は170以上。
小さなマスキンを見下ろしながらウインクをしたアールに気づく者はいなかった。
 
「アールさん……」
 マスキンはアールの優しさに気づき、胸が熱くなった。
「嫌われちまったなぁ」
 と、なにも知らない男は笑いながらマスキンに言った。「ほら行くぞ。可愛い子ブタが待ってる」
 
マスキンは男に連れられ、倉庫を出て行った。
 
アールは顔を上げ、残った男を見遣った。
薄汚れた白いタンクトップから出た腕に、属印が刻まれている。
 
「属印者……」
 アールは呟いた。
 
男は自分の属印を見遣り、アールに視線を戻した。
 
「そうさ。俺らはムスタージュ組織の一員。第十五部隊、副隊長のハングだ」
「ムスタージュ……」
 
──あぁ、そんな部隊あったなぁと、アールはジムとの出会いを思い返した。
 
「死んでくれたら手間が省けてよかったのに」
「え?」
「まぁ、シャチの餌になっちまったら亡骸をブラン様に届けられなくなるけどな」
「シャチ……シャチって……」
「俺ね、魔物を操れるんだよ」
 
━━━━━━━━━━━
 
潮風が海の水面を撫でながら流れてゆく。
静かな波が堤防の脇に停めた小型船を揺らしていた。
 
途切れた堤防の隙間に巨大な黒い塊が挟まっている。
その上に登って島を眺めているふたつの人影。
 
不自然に海岸に打ち上げられている何倍も大きなもう一体のシャチの魔物。
 
「これは……なに?」
 
人影のひとつ、シオンが訊いた。
 
「わからない……」
 
そう答えたのはデイズリーだった。
 
「じいちゃん……じいちゃんは?」
「行こう」
 
二人はシャチの上を滑るようにして海岸に降り立った。
テオバルトの家へと走り出すシオンの後ろで、デイズリーは巨大シャチの死骸を眺めていた。
ヒレが半分砂の中に埋まっている。大きな頭がある。血走った目は見開いたまま動かない。
 
そして、足元に広がる赤黒い汚れに気づき、デイズリーは足を止めた。
腰を屈めてシャチの頭の下を覗き込むと、人間の、ふやけた手があった。人差し指と中指が手の甲にへし曲がっている。
 
「なんてこった……」
 
デイズリーは力無く尻餅をついた。
島の奥から、テオバルトを呼ぶシオンの声が虚しく響いていた。
 

[*prev] [next#]

[しおりを挟む]

[top]
©Kamikawa
Thank you...
- ナノ -