voice of mind - by ルイランノキ


 ルヴィエール5…『闇路』

 
街の人々の笑い声が微かに聞こえ、アールは大きな欠伸をしながら布団から顔を出した。端から見れば甲羅から顔を出す亀のように見える。
眩しい光が窓から差し込み、電気が点いていない部屋の一面を照らす。
 
「おはようございます」
 と、窓際に寄せたテーブルに向かって読書をしていたルイが、朝にぴったりの爽やか笑顔でアールに向かって挨拶をした。
「お……おはよう……」
 外からの光と、ルイの爽やかすぎる笑顔に目が眩みそうだった。
「コーヒー飲みますか?」
 ルイはそう訊くと、アールが答える前に席を立ち、コーヒーを作り始めた。
 
小さな冷蔵庫も置いてある棚に敷いた魔法の布巾の上で、コーヒーメーカーがコトコトと音を立て始める。
二度目の欠伸をしたアールは、部屋を見回した。カイとシドの姿が無い。目を擦り、掛け時計に目をやると昼の12時前を指していた。
 
「ルイ、みんなは?」
「シドさんは武器屋に。カイさんは……遊びに行かれました」
 
アールはベッドから体を起こし、背伸びをして、窓際に立った。
この部屋は二階にあり、窓越しに街を見下ろすと、沢山の人々で溢れ、笑い声が飛び交っていた。自転車で街中を走る人達、子供連れの家族、恋人と寄り添い歩くカップル、買い物袋をぶら下げて店から出てくる人達……。
車は走っていないが、路上の端にとめてある車が何台かある。
 
「みんな、お洒落だね……」
 と、アールは言った。
「ここはファッションの街でもありますからね」
「ファッションの街?」
「この街だけでも洋服店は200店舗以上あります」
「そんなに?!」
「えぇ。他の街から買い物に来る若者が多いようです。コーヒーどうぞ」
 そう言ってルイはコーヒーを窓際のテーブルの上に置いた。
「ありがとう。他の街からって……どうやって? 街の外を歩いてる人なんていなかったけど……」
「街から街へと繋ぐゲートがあるのですよ」
 と、ルイはアールの隣に来て、窓越しに指を差した。「あの看板が見えますか? 魔法円が描かれている黄色い看板です」
「雑貨屋さんの隣の?」
「えぇ。あれがゲートの位置を示すもので、あの雑貨屋さんの隣にある細い道から人が出入りしているのが分かりますか? あの道の奥に、ゲートボックスがあるのですよ」
「ボックス……」
「二人まで入ることが出来る場所です。後で見に行ってみますか?」
「うん!」
 
アールは椅子に座り、外を眺めながらコーヒーを飲んだ。人々の笑い声が心地良い。街並みの雰囲気からして、海外に遊びに来たような気分だ。
ルイは向かい側に座り、また本に目を通している。
 
「なんの本読んでるの?」
「医学に関するものです」
「……そう」
 
アールなら、眉間にシワを寄せて一分も読んでいられない本を、ルイは涼しげな顔で読んでいた。
 
コーヒーを飲み干してすっかり目が覚めたアールは、席を立って言った。
 
「……お風呂入ろうかな」
「一階にありますよ、ロビーの横を通って行けます」
「うん、ありがとう」
 
シキンチャク袋から、リアが用意してくれていたバスセットや着替えを取り出した。下着もあるため、剥き出しのまま持って歩けず自分の鞄に入れ換えて一階へと下りた。
 
何度か宿に泊まっている人とすれ違ったが、さっき窓越しから街を眺めたときに見た、お洒落な人達とは明らかに異なる人ばかりだった。地味な服装で、見るからにファッションの街に住んでいるとは思えない人ばかりだ。
ここは宿だから、他の街から来た人達ばかりなのだろう。
 
ロビーに着くと、《浴場》と書かれた小さな看板があった。横の廊下を歩き、脱衣所へと足を踏み入れる。
宿泊客の人数分はある棚は、一応鍵付きのようだ。鍵にはゴムがついていて、手首につけられるようになっている。並んだ棚の反対側には、ドレッサースペースがあり、カーテンで仕切られていた。
 
浴場への曇りガラス戸が微かに開いていた。チラリと見遣ると、40代くらいの女性が二人、湯舟に浸かっているのが見えた。
 
 タオルは……巻いて入ってもいいのかな?
 
アールは戸惑いながら服を脱ぎ、タオルで前だけを隠して浴場へ足を踏み入れた。先客の女性たちの視線が気になりつつ、お湯を浴びて先に体を洗う。
みるみるうちに体を擦るタオルが汚れていく。何度もタオルを洗い、小まめに体を磨いた。
手にシャンプーを取り、髪を洗い始めると、全く泡が立たない。泡立たないシャンプーというわけではなく、あまりにもアールの髪が汚れていて、頭皮の油で泡立たないのだ。
アールは深いため息をついた。手についた泡が黒く汚れている。
仕方なく一度シャワーで髪を洗い流し、三回程髪をワシャワシャと洗った。全身綺麗に磨き、さっぱりしたところで湯舟に浸かろうとすると、先に入っていた女性がアールを避けるように遠ざかった。
久々のお風呂だというのに、なんだか居心地が悪い。
2人の女性がヒソヒソと何か話している。視線を感じていたアールだったが、極力目を合わさないように俯いた。
 
──あの人汚いわ。とでも話しているのかな。
 
「ねぇ、お嬢さん?」
 と、女性の1人がゆっくりとアールに近づき、話し掛けて来た。
「えっ……」
「あなた、何処から来たの?」
「えっと……」
 
何処からと訊かれても、“別世界から”だなんて言えるわけがない。あの城から来たとでも言うべきだろうか? しかしアールは自分がいた城の名前を知らなかった。
 
「顔とか手が傷だらけね……何してる人?」
 と、女性はアールの顔をジロジロと見た。
「えっと……旅……旅人です」
 と、戸惑いながら答えた。
「旅人?! 一人で?!」
「いえ……仲間もいます……」
「そうだったの! ねぇエレンさん、この子、旅人だそうよ!」
 と、女性は遠ざかっていた連れにそう言い放った。するとそのエレンという女性もアールの方へと近づいてきた。
「旅人って……女の子なのに? 外は危険でしょう? どうして旅をしているの?」
「えっ……あの……」
「まぁ仲間もいるなら大丈夫よね」
「はい……」
「うちの娘と同い年くらいかしら。親御さんは心配してないの?」
「…………」
 
アールはおばさん達の質問攻めに困惑した。──どうしよう。何一つ答えられない。世界を救う為に別世界からやってまいりました、とでも言えっていうの……?
 
「ねぇこの子、なんか変よ。出ましょうよ」
 と、エレンという女性が小さな声で言うと、二人はアールに冷ややかな視線を向けて浴場を出て行った。
 
浴場で一人になったアールは、大きく息を吸って止めると、湯舟に潜った。
 
振り切れない鈍い痛み。手や顔の傷のかさぶたが体を洗ったときに剥がれ落ち、お湯に滲みてジリジリと痛んだ。
それよりも苦しめたのは、心の痛みだった。
 
 

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©Kamikawa
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