voice of mind - by ルイランノキ


 百花繚乱16…『停止した世界』

 
遠く遠く離れた、時間の繋がらない世界の片隅で、ひとりの青年が左肩に鞄を引っ掛け、右手で携帯電話を開いていた。
 
部屋の時計の針は止まり、空気の流れさえもない世界。
 
携帯電話電話の液晶画面には、サーバーメールに問い合わせをした後の画面が表示されている。
 
  《メールはありません》
 
その文字を見つめたまま瞬きひとつしない。
音のない、時間の止まった世界。
 
その青年の部屋にあるパソコンデスクの棚に、写真立てが飾られていた。
 
顔を寄せ合って幸せそうに写る、
良子と雪斗だった。
 
 
同じ世界の片隅で、水道の水が流れ出たまま止まっている。
良子の母親が、食器を洗っていた。
良子が今朝食べた朝食の食器だった。
 
 
同じ世界のもう一方の片隅で、ひとりの女性がプリクラ帳を開いていた。
笑みを浮かべたまま動かなくなった彼女の視線の先に、良子と久美のプリクラが沢山貼られていた。
 
高校生時代に撮った制服姿の二人や、変顔で写る二人。良子が久美の腕にくっついてカップルのような二人、おすまし顔で写る二人。
 
《親友》のスタンプが沢山貼られていた。
 
 
時刻は午前8時半過ぎ。
 
時を止めたまま、彼女の戻りを待っている──
 
━━━━━━━━━━━

──雪斗から貰った何気ないメールに返さなかったことを今でも酷く後悔している。
 
メールを後回しにすることはよくあることだった。
いつでも返せると思ったから。
 
けれどこんなにも後悔するなんて。
すぐに返せばよかったと思うたびに胸が裂けるほど痛い。
 
母に「行ってきます」を言わなかったことも、ただそれだけのことなのに泣きたくなるほど辛くて謝りたくて苦しくて。
 
こんな些細なことでも大きな後悔になる。
だからきっと 貴女 は
もっと酷く後悔したのだと思う。
 
取り返しのつかないことをしたと。
時間を戻せるのなら戻してやり直したいと。
 
 
生きていれば後悔だらけ。
皆、後悔を抱えて生きている。
 
時間は過ぎてゆくばかりで時間の流れに乗って生きていくしかない。
 

「ヴァイスは……タケルを知らないよね」
 
モーメルからタケルという人物の話を聞かされていたヴァイスだったが、詳しくは知らなかった。
 
「タケルも選ばれし者だったの」
 
そう言って、アールはルイ達から聞かされたタケルの勇姿ある生き様を簡単に話した。
 
「せめて私も男だったらよかったのに。みんな、一応私が女だから色々気を遣ってくれるし、私も女である自分にコンプレックスを抱いてる。私が男だったらもっと、冒険や戦いに対して勇ましく立ち向かえたかもしれないのに。みんなとももっと理解し合えていたかもしれないのに」
 
タケルと仲間達が写っていた写真を思い出す。出会って間もない頃に撮られたものとは思えないほど打ち解けたような表情だった。
 
自分はあの写真に写るタケルのような表情をしていただろうか。──していない。
 
「タケルのことが、少し羨ましかった……」
 
本心を呟いた。
ここにタケルがいたら、決して聞かれたくない言葉だった。
羨ましいなど、実験台とされたタケルに対して言うべき言葉ではないことは承知の上だった。
 
これまで静かに黙っていたヴァイスが、不意に口を開いた。
彼のひとつに束ねられた長い髪が、潮風に揺れた。
 
「──選ばれし者は、そのタケルという男ではない。女であるお前だ。そのことに意味があると思えないのか?」
 
決して強い言い方ではなかった。
低く重い声に優しさが含まれていた。
 
「……そうだね、そう思いたい」
 
 
辺りは静まりかえっていた。
だからこそ2人の会話は洞窟の入口にまで微かに届いていた。
 
「立ち聞きは趣味じゃねぇだろ?」
 
洞窟の壁に寄り掛かって腕を組んでいるシドが小声でそう言った。
 
「立ち聞きするつもりはなかったのですが……」
 
ルイはそう言って洞窟の中から外を見遣ると、真っ直ぐ伸びた道の先で人影が揺れた。
その人影は道を曲がり、戻ってゆく。
 
「……カイさん?」
「どうした?」
 と、シド。
「今カイさんがいたような……」
「気のせいだろ。あいつが一人で夜道を出歩くとは思えねぇ」
「そうですがこの島には洞窟内にしか魔物がいないようですし」
「…………」
 
二人は顔を見合わせた。
 
「なにしに来たんだ? あいつも一応気を遣ったってか?」
「……かもしれませんね」
 
「お前は大丈夫なのか?」
 と、シドは笑う。
「なにがです?」
「ショックなんじゃねーの? なんでいつもチビの世話を焼いてやってる自分には言わず、仲間になったばかりのハイマトス族に言うんだって」
「そんなことは……」
 
ルイは少し動揺していた。
世話を焼いてやっていると思ったことはないが、少し物悲しさを感じる。
 
「お前の優しさは、重いもんな」
 
シドが言ったその言葉は、ルイの心を掻き乱した。
 

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