voice of mind - by ルイランノキ


 百花繚乱11…『クロエ・シスネロス』

 
「じいさん本当にあのテオバルト・ボーゼか?」
 と、シドが尋ねた。
 
囲炉裏の薪に火が燈され、吊されたヤカンを温めている。
 
すっかり床に腰を下ろして落ち着いていたテオバルトは、アールに向かって手を差し延べた。
直ぐに察したアールは、鞘に納めた武器を両手で持ち、テオバルトに渡した。
 
「正しく、わしがテオバルト・ボーゼじゃよ」
 テオバルトはアールの剣を鞘から抜き、眺めた。
「死んだんじゃなかったのか」
「死んだことにしておいたんじゃよ。わしが作り出す武器を目当てに幾人もの客が押し寄せてきた。じゃがな、わしは自分が作りたいものだけを世に残したいと思ってな」
「わがままじゃん」
 と、カイ。
「わがままに生きてなにが悪い。これはわしの人生じゃ。どう生きようとわしの勝手じゃろう」
「そのとーり、じいちゃんカッケー」
 カイはそう言って笑った。
 
「その武器は誰かに頼まれて作ったんですか?」
 と、アールは訊いた。
「なにか誤解しているようじゃな。“デュランダル”はわしが生み出したものではない。お嬢さんがこの刀剣を“クロエ”と呼ぶのであれば、そのクロエは私が作ったと言える」
「えっと……? クロエって、実在していた人ですよね?」
「ふむ……」
 
テオバルトは剣を鞘に納め、虚空を見遣り、語りはじめた。
 
──クロエ・シスネロスは、世界に名を残す剣豪であった。
 
元々デュランダルという名剣を持っていたのは彼の父親、ベックフォード・シスネロスである。しかしクロエが20歳を迎えた日にデュランダルは父から息子であるクロエへと受け継がれている。
 
それから2年後、熊の姿をしたオルツ族の住むウォレ森林に巨大生物、キリムが現れた。
七ツの首を持つその姿はヤマタノヲロチに似ており、体は一山を隠すほど大きく、黒い巨大な翼を持っている。その翼を羽ばたかせて風を起こせば忽ち生い茂っていた樹々が広範囲に渡って薙ぎ倒され、キリムの巣が出来上がる。
 
オルツ族は七日あれば子孫を残すことが出来るため、キリムは主食として彼等を殺し、その場に長く居座った。
 
そんなオルツ族の危機を救ったのが英雄クロエ・シスネロスである。
 
彼がウォレ森林に訪れる前、幾人もの勇気ある戦士たちがキリムの首を落として名を上げようと試みたが、キリムにとっては彼等もオルツ族同様に食料にすぎず、あっという間にキリムの胃袋の中へ納められた。
 
VRCの世界大会でも名を上げていたクロエ・シスネロスは、愛用していた名剣「デュランダル」でキリムの頭を次々に斬り落とし、最後に心臓を突き刺し、勝利を収めた。
 
そんな彼は三度の飯よりも町の依頼を受けては金を集めることを趣味としていた。
その理由は諸説あるが、一番有力なのは、妻子共々感染病に侵されていたため、治療や薬を手に入れる資金を集めていたと言われている。
 
クロエが直に妻となる女性と出会ったのはクロエがキリムを倒した22歳の頃だった。
交際は順調に進み、クロエが25を迎えた時に結婚を申し込み、翌年息子が生まれている。
 
幸せの絶頂にいたクロエであったが、息子が感染病にかかり、その病は妻にまで移された。
 
キリムを倒した際にオルツ族から手に入れた報酬は、感染を防ぐワクチンと、病の進行を遅らせる薬、そして医者に診てもらう費用に使われた。
 
それでも病は妻子の身体を蝕み続け、いくら金を稼いできても病から愛する家族を救うことが出来なかった。
そんな矢先、クロエの住む町を魔物が襲ったのである。
 
ウォレ森林に現れた巨大生物キリムをもひとりで倒したクロエだったが、町を襲った魔物の数に為す術がなかった。
 
我が家に戻り、寝たきりの妻子を守る為にドアや窓を閉め切った。
外からは住人の泣き叫ぶ声や助けを呼ぶ声が聞こえてくる。キリムを倒したことで名誉を受けたクロエの名前を呼び続けている者も多くいたという。
 
誰もが英雄、クロエ・シスネロスに助けを求めていた。
 
けれども彼は最愛の妻子を守るため、片時もその場を離れようとしなかった。
助けを求めてきた住人がいくら玄関の戸を叩いても、クロエは両手で耳を塞ぎ、家から出ることを拒んだ。
 
そんな彼にうっすらと目を開けた妻が、小さく掠れた声で言った。
 
「私たちは大丈夫です。どうか、町を救って下さい。貴方に救いを求める人々の声を聞いてあげてください」
 
クロエは妻の頬を優しく撫で、名残惜しさを堪えて家を飛び出した。
 
家の前には顔なじみの住人の死体が転がっていた。耳や顔や腕などの皮膚が噛みちぎられている。
 
人々の叫び声は小さくなっていた。声を出せる者の数が減っていたのだろう。
クロエは時折聞こえる声の元へ駆け出した。
町の北側に追い詰められていた人々の死体をさけながら、まだ息のある者に食らいつく魔物に斬りかかっていった。
 
魔物がいなくなり、息絶えた住人が道を塞ぐ中、クロエは自宅へと急いだ。噛みつかれた足や腕から血を流し、地面に赤い靴跡を残しながら。
 
──これ以上の悪夢を見るなど、考えもしなかった。
クロエの頭に浮かぶのは、妻と子が無事でいてくれることだけだった。
 

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