voice of mind - by ルイランノキ


 百花繚乱5…『異性』

 
居間に通されたルイに、伸びた髪を横にひとつに纏めて腰に巻くエプロンを身につけたアールが朝食を運んできた。
 
「あ、おはようルイ」
 
居間は昭和の日本の食卓を思わせる雰囲気があった。床に座布団が置かれ、四角い座卓。年季の入った小さなテレビもある。
 
「空いてるとこに座って? 私たちは先に食べたから」
 
ルイが戸惑いながら座布団の上に腰を下ろすと、アールがテーブルにご飯とお味噌汁、焼き魚を置いた。
 
「ここに泊めてくれたおばあちゃんと作ったの」
「おばあさん……?」
 
そこに台所から腰の曲がったおばあさんが顔を出した。
 
「お目覚めかい?」
「あ……ご挨拶が遅れてすみません。寝床を貸していただき、食事までありがとうございます」
 ルイは立ち上がり、頭を下げた。
「おやおや、律儀だねぇ。ゆっくりしていくといいよ。私は隣の畑に行ってくるからね」
 おばあさんはそう言って笑顔を向けた。
 
ルイが朝食をとっている間、アールは台所でお皿を洗っていた。
暫くして朝食を食べ終えたルイが食器を運んでくる。綺麗に魚の骨だけが残されていた。
 
「僕が代わりますよ」
「あ、いいよ。ルイは病み上がりなんだし、ゆっくりしてて?」
 と、アールは食器を受け取った。
「ありがとうございます。すみません」
「いいのいいの。ルイもたまには甘えてくれていいよ」
 と、アールは食器を洗いながら笑う。
「あ、マスキンさんから聞いた? これからのこと」
「えぇ、説明してくださりました」
「そっか。じゃあルイもちょっと外の空気吸ってきたら? それかカイとシドのとこ行く?」
「お二人はどこへ行かれたのですか?」
「海だよ?」
 と、アールは微笑んだ。「川添を歩いてくと見えてくるんだって」
 
「……海」
 
脳裏に夢の中で聞いた波の音が流れた。
 
 君もおいでよ
 
夢の中のアールがそう言っていた。
 
「おいでよ」
「え……?」
「ルイもおいでよ。私もあとで行くから。──あ、やっぱりまだしんどい?」
 
目の前のアールは“ルイ”と呼んだ。
そして水道の水を止めて心配そうに彼を見遣った。
 
「いえ、大丈夫です」
 ルイは笑顔を見せた。
「じゃああとで一緒に行こっか、のんびり歩いていこ?」
「そうですね」
「あ、ルイお風呂借りたら? 私も今朝借りたの。実は昨夜そこの小川にすっころんじゃって」
「そうでしたか。ではお借りする前におばあさんに一言声を掛けてきますね」
「あっ、ルイありがとう。布団掛けてくれて」
 アールがルイの背中に慌てて声を掛けると、ルイは笑顔で首を振った。
 
食器を洗い終え、ストレッチを始めたアールの背中をマスキンの小さな手が一生懸命体重をかけて押している。
 
「もっと力入れてもいいよ?」
「全体重かけてますけど?」
「そっか。──そういえばマスキンさんに人の言葉を与えた魔術師って、どんな人なの? カイがお婆さんだとは言ってたけど……エテルネルライトを隠していた人だよね。隠してた原因はわからないけど、いい人なの?」
 アールの体は、前屈すると指先がつま先にぎりぎり届くまでになっていた。
「いい人かどうかはわかりませんけど? 我々に言葉を与え、危害をくわえたりはしなかった。それだけを見ればいい人なのかもしれません。しかしですね、あの方はゾンビを作りだしました」
「頭を積み重ねた奴……か」
 アールはストレッチを中断した。
 
思い出すだけで気持ち悪い。あの生臭さも鼻の奥にこびりついているかのように蘇る。
 
「あれは……やっぱり山賊の頭なの?」
「山賊など、迷宮の森で命を落とした人間の再利用ですけど? えぇ」
「再利用……嫌な言い方だね。でもなんでそんな酷いことを」
 胃が気持ち悪くなり、アールは立ち上がる。「ちょっとトイレ」
 
アールは胸を押さえながらトイレに入り、今朝の魚やみそ汁を嘔吐した。
平然とトイレの紙で口を吹き、水を流した。台所に行き、口をゆすぐ。
 
「どうしました?」
 と、マスキンが背中から声を掛けてきた。
「ん? いや、歯を磨こうと思ってね。食事の後は歯を磨かなきゃ」
「そうですか」
 
アールはシキンチャク袋から歯ブラシセットを取り出した。
 
相変わらず、嘔吐を繰り返していた。
頻繁にではない。ストレスを感じたときや、不安になったとき、嫌な気持ちになったときに「あ、来る」とわかるようになった。問題はそれが癖になりつつあることだった。
吐き出せば気持ち悪さはなくなるが、当たり前のように吐くのは自分でもおかしいと思っている。
 
「──ゾンビは戒めなのです」
「ん?」
 口に歯ブラシをくわえたまま、聞き返す。
「戒めですよ、戒め。迷宮の森に入るな。近づくな。お前たちもこんな姿になりたいのか、と」
「ふーん……」
 
脱衣所から音がした。ルイがお風呂から出たようだ。
脱衣所は台所のすぐ隣にあった。
 
アールは口を濯ぎ、言った。
 
「海賊が街に来ないように海賊の死体を吊るし上げて海からやってくる海賊に見せしめにしてるようなものかな?」
「は? まぁそんな感じでしょうか」
 
脱衣所のドアがカチャリと開いた。アールは不意に目を向けた。
脱衣所から顔を出したのは、下はタオルで巻いた上半身裸のルイだった。
 
「アールさん、すみませんが……」
 と、言いかけて止まる。アールが慌ててそっぽ向いたからだ。
「は、はい……」
「……? すみませんがドライヤーをお借りしてもよろしいかお婆さんに尋ねていただけますか?」
「いいいいと思う! 私も借りたから! なんなら後で借りましたって言っとく」
 
不自然なほどルイに背中を向けるアールの足元で、不思議そうにマスキンが見上げていた。
 
「そうですか……わかりました」
 
パタン、と脱衣所の戸が閉まり、ホッとする。
 
「どうしました?」
 と、マスキン。
「え? あ、いや……ほら、裸だったからビックリしてね」
 動揺しながら歯ブラシセットを仕舞う。
「タオル巻いてましたけど? 人間のオスはよく上だけ裸になるようですけど?」
「うん、いや、そうなんだけど……ほら、突然だったし、ガン見するわけにもいかないしっ」
「ガン見したかったんですか?」
「ちがうよ!」
 と、居間に戻る。「なんかちょっと気まずいっていうか」
「よくわかりませんけどえ?」
「いいよわかんなくって……」
 
ルイの体は意外と鍛え上げられていた。中性的な顔立ちからは想像出来ない。
 
「誰だっていきなり裸の男が目の前に現れたら見ちゃいけないと思うよきっと」
「レスラーとかですか?」
「……レスラーや相撲取りは別枠だよ」
 
驚くのはシチュエーションにも寄るのだろう。トレーニングルームで上半身裸の男がいてもさほど驚きはしないが、お風呂上がりは特殊すぎた。
 
アールは両手で頬をペチペチと叩いた。
 
「さ、ストレッチの続きやるぞー」
 

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