voice of mind - by ルイランノキ |
シオンは「じゃあね」と駆け足で戻って行った。若い女の子たちが住む合宿のような宿があるらしい。
アールはシオンが見えなくなるまで見送った。
まだ裸足だった足をもう一度川に浸けた。汚れを落としてシキンチャク袋から出したタオルで拭き、靴下を履いた。
靴を履き、ズボンの裾を下げて、「よし」と部屋に戻ろうと振り返ると真後ろにヴァイスが立っていた。
「うわっ?!」
アールはのけ反り、背中から小川に倒れ込んだ。
小川は水位が30cmほどしかない上に、底は石ころだらけだ。涙が出るほど痛かった。
「驚かさないでよもう!」
と、アールは小川の中に座り込んで、ヴァイスに水を引っ掛けた。
「すまない」
水を掛けられたヴァイスは少し顔を背けただけで、顔色は変えなかった。
「タオルで拭いた意味なし!」
と、立ち上がる。びしょ濡れだ。
ヴァイスは黙ったままアールに手を差し延べた。
アールは少し戸惑ったが、「ありがと……」とヴァイスの手をとった。──が。
「えいっ!」
アールはヴァイスの手を思いっ切り引き寄せた。
ヴァイスは倒れ込みはしなかったが、足は小川の中に浸かってしまった。
「…………」
「仕返しです」
アールはそう言って笑った。
ヴァイスは少し困ったようにため息をついた。
「ヴァイスはいつもどこで寝てるの?」
川から上がり、再びタオルを取り出して服の水分を吸い取った。
「…………」
ヴァイスも川から上がったが、相変わらず無口だった。怒っている様子はない。
「狭いもんね、テントの中は」
と、アールはタオルをシキンチャク袋に戻した。
「宿を借りたときくらい一緒に寝たらいいのに。外じゃゆっくり眠れないでしょ?」
「…………」
「ルイが心配してるよ。じゃあ、おやすみ」
と、アールは背を向けた。
玄関の引き戸に手をかけたとき、ヴァイスがアールの背中越しに声を掛けた。
「なぜ」
「……?」
アールは振り返る。
「なぜ血を拭う必要があったんだ」
「血……?」
アールはなんのことだろうと眉をひそめた。
ヴァイスは口数が少ない。言わんとしていることを読み取るのは大変だった。
ヴァイスの視線がアールの手に向けられていた。アールは自分の手を見遣る。──傷だらけだ。袖は破れてる。……袖?
ふいに思い出す。迷宮の森で血がついていたヴァイスの口を拭った。
「あぁ……、私はハイマトス族がなんなのかよくわからなくて……」
あの時はルイの声が聞こえた瞬間、血に汚れたヴァイスの口を隠そうとした。なんとなくそうしたことを、なぜと訊かれても説明に困る。
「でもルイ達は凄く気にしているみたいだったし、あまり……みんなを驚かさないで?」
ルイ達を刺激しないでほしいと思った。ますますヴァイスに向けられる目が疑いに満ちてしまっていたら嫌だった。
なぜ口の周りが汚れていたのかなんて、訊いてどうするわけもないことを訊く気はなかった。
「そうだな」
ヴァイスは小さく呟いた。
アールは「おやすみ」と言い直そうとしてヴァイスを見遣った。ふいに視界の隅でキラリと光り、視線をずらす。
流れ星だった──
「おわっ! ヴァイス流れ星! すごいよ初めて見た!」
幼い頃、流れ星が見たくて夜遅くまで起きて目を凝らしていたのに、なかなか流れてくれなかった。
流れ星を見たような“気がした”ときはあったけれど、こんなにもはっきりと見たのは初めてだった。
「あっ! また流れた!」
アールは急いで手を組んだ。「温かいお風呂入りたいの三条!」
慌てて咄嗟に思い付いた願いごとがそれだった。
言い終わったあと、自分で唖然とする。よりによってなぜお風呂なんだ。本気で叶うとは思っていないけれど、それでももっと他に願い事は沢山あったはずだ。
本気で叶えたい願い事が。
「それはなんだ?」
と、ヴァイスは言った。
「え? お願いごと。流れ星にお願いすると願いが叶うって言うでしょ?」
「…………」
ヴァイスはアールをじっと見遣る。
「え? あ、いい年して本気で言ってるんじゃないよ? そういうおまじないってあるじゃない」
「初めて聞いたが」
「えぇっ?! あっ、そっか……」
ここは別世界だった。時折忘れて、自分の世界では当たり前だったことを当たり前のように話してしまうときがある。
「私の世界ではそう言われてるの」
また夜空に目を向ければ、キラリと光って落ちる星。「落ちてる間に3回言わなきゃいけないんだけどね」
「無茶難題だな」
「ま、まあね」
──例えば、ふと見上げた夜空に満天の星が広がっていて、沢山ある星の中から、たったひとつ、あの星が一番綺麗だなって思える星があったら……
例えば、君がふと見上げた夜空に満天の星が広がっていて、無数にある星の中から、たったひとつ、あの星が一番素敵だなって思える星があったら……
例えばそれが、私の選んだ星と同じ星だったら……
遠くにいて、君の姿は見えないのに、繋がる夜空の下で、同じ時刻に見上げ、同じ星に目を奪われていたら……
そして、ふと、お互いのことを想っていたら。
そんな奇跡が起こるのなら
逢えなくても平気だと思えるのに。
星空を見上げる度に、一番明るく光る星を探してる。
君が選びそうな星。
いい年して今度こそちゃんと本気で叶えたい願い事をしようだなんて、子供かな。
子供でもいい。
ここから見える星は沢山あるのに、一度も流れない。まるで私が用意している願い事を既に星たちは知っていて、それは叶えられないと言っているかのように。
それでも私は流れもしないのに、願ったよ。
君との未来を、3回どころか、数えきれないくらい。
一番綺麗な星を探しても、君が見上げる夜空に私が選んだ星は無い。
そんな場所にいる。
君が夜空を見上げることもない。
そんな大きな時間のズレがある。
繋がっていない。
時間が動いていない。
君が知らない時間を私は生きている。
それがどうしようもなく
苦しいの
Thank you... |