voice of mind - by ルイランノキ


 見知らぬ世界21…『涙雨』◆

 
“さよなら”は忘れるという意味ではなく、失ったものを取り戻すには、生きて全てを終わらせるしかないから、この世界と真正面から向き合う為の、一時(いっとき)のさよならだ。気持ちの切り替えだった。
 
今はこの世界で生き延びることだけを考えるべきだ。自分の性格上、この先また繰り返し立ち止まっては振り返るだろう。そしたらまた切り替えればいい。ダメな自分との戦いでもある。諦めさえしなければ私は変われる。
 
ぐるるる……と、突然お腹が鳴った。こんなときにまでお腹空くなんて。そう思ったが、その音はお腹の音ではないことに気が付いた。
 
「?!」
 
背中に感じた何かの気配に振り返ると、強い雨音で直ぐには気付けなかった獣が背後に迫っていた──

    ・
    ・
    ・
 
真っ暗な空を見上げ、熱を冷ますように彼女は全身に雨を浴びた。
 
「お腹が鳴ったのかと思った」
 
足元には、横たわる獣の姿。アールの右手には獣の血がべっとりとついた剣が握られていた。その剣を天高く上げ、雨で剣についた血を洗った。
剣を振り下ろし、自分の首もとに刃を向ける。
 


「……女ならではの切り替え」
 そう呟くと彼女は深いため息をつき、長い髪をバッサリと切った。
 
パラパラと雨に湿った髪がいくつかの束をつくって濡れた地面に散らばった。
女はどうして失恋した時や、気持ちの切り替えをしたいときに髪を切るのだろう。髪が軽くなってすっきりするし、手っ取り早い気分転換になるからかもしれない。それに見た目が変わると少し、生まれ変わったような気もしてくる。
 
アールは山小屋に戻ろうと、雨の中、走って来た道を歩いた。途中立ち止まり、周囲を見回した。
 
「……こんなに走ったかな?」
 
暗くて雨が降っているせいもあり、視界が悪い。山小屋が何処にあるのかが分からない。山小屋の明かりは当てにはならない。埃かぶった小さな電球が、茶色い明かりを微かに放っていただけだ。
がむしゃらに走って来たからか、道も覚えていない。森の中へと続く細い道がいくつもあり、アールは道に迷ってしまった。
 
 お前は方向音痴だよ
 
雪斗と付き合い始めた頃に言われた言葉が頭を過ぎる。友達にも言われたことがあったっけ。
立ち止まり、キョロキョロと見渡しても、何処を見ても同じような風景。目印になるものなどない。
 
 今数匹の魔物に一気に襲われたら……ゲームオーバーかな。
 
そう思い、いつでも対応出来るようにと、剣を鞘から抜いておいた。
暫くして、少し離れた場所から空へ向かって伸びる一筋の青い光がぼんやりと見えた。
 


「なにあれ……」
 
目を細め、一瞬不気味に思ったが、どこか温かさを感じる光に目を奪われた。
 
 もしかしたらルイさんが居場所を教えてくれてるのかな
 
光の方へと足を進めて直ぐに立ち止まる。残念なことにその光へと続く道がわからないのだ。
 
「……よしっ!」
 アールは気合いを入れ、空に上る光の元に向かって森の中を真っすぐに突っ切ることにした。
 
暗い森の中を突っ走ると、ぬかるんだ地面に足を取られ、不様にずっこけた。木や枝に何度も体をぶつけ、防護に優れている服は破けなかったものの全身泥まみれで、肌が剥き出しになっていた手や顔は傷だらけになっていった。
 
漸く光の元へ辿り着いた頃には、ある程度全身についた泥は雨で洗い流されていた。そしてアールの勘は的中していた。山小屋の前に立て掛けてあるルイのロッドが光を放っていたのである。
 
「……助かった」
 アールは暫くその温かな光を見つめ、今一度自分と向き合った。
 
深呼吸をし、山小屋のドアを開ける。
 
「アールさん!」
「アールぅ! よかったぁ……」
 と、ルイとカイが、心配そうに彼女へ駆け寄った。二人共、アールと同じくびしょ濡れだった。
 
アールの変化に真っ先に気づいたのはルイだった。髪がバッサリと切られている。ルイは全てを察したように、口をつぐんだ。
 
「二人とも濡れてる……捜してくれてたんですか?」
 びしょ濡れの二人を見て、アールは自分の行動に責任を感じた。
「えぇ。でも見つからず、すれ違いになったのかもしれないと、今さっき戻ったところで……」
「ありがとう。迷惑かけてごめんなさい」
「あれ? アール?! 髪どうし……まさかモンスターに食いちぎられたのぉ?! 傷だらけだしぃ!!」
 カイは両手で口を塞いで大袈裟に驚いた。
「あ……ううん。鬱陶しいから切っちゃった」
 アールはそう言ってごまかした。「傷は森の中突っ切って来たから。ちょっと無茶しすぎました……」
「突っ切って……?」
 と、アールの言葉に、ルイとカイは思わず声を合わせて訊き返した。
 
アールは、部屋にあるおんぼろなベッドに腰掛けているシドに目を向け、歩みよった。
眉をしかめ、黙ったままアールを見上げたシドは、怒っているような呆れているような、複雑な表情をしていた。
 
「ごめんなさい。もう大丈夫です」
「なにがだよ」
 と、毛嫌う態度で言葉を返される度、臆病なアールはビクビクしてしまう。
 
 この世界に慣れるまで時間が掛かるかもしれない。だけど……。
 
いろんな思いが溢れ、アールの口から出た言葉は一言だけだった。
 
「覚悟は決めたから」
 
目を逸らさず、強い意志で真っすぐに彼の目を見つめてそう告げた。
 
「……多分。」
「多分かよっ!」
 

──覚悟は決めた。
 
確かにそう言った。
そのときの決意は本物だったのに
 
悔しい
 
どうして思い通りに行かないの?
どうして思い描いたように進まないの?
 
“私”だから…?
 
誰か教えてよ
どんな苦言でも受け止めるから。
 
 
お母さん
 
叱ってほしいよ
しっかりしなさいって……


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