voice of mind - by ルイランノキ


 見知らぬ世界4…『クロエってなあに』


良子は6畳程の部屋にある木製のベッドの上で眠っていた。さっきの部屋とは雰囲気がまるで違い、シンプルな作りの木製テーブルや家具が置かれていて、質素な部屋でありながらも温かい木の香りが漂っている。
閉じていた良子の目がゆっくりと開く。
 
「大丈夫ですか……?」
 と、良子を部屋へ運んだ若い男が、床に膝をつき、ベッドの横で心配そうに彼女に声を掛けた。「急に意識を無くされたので……。お腹空きませんか?」
 
暗闇で聞こえた声の持ち主。そして、夢の中で見た、サラサラブラウンヘアーの男だ。良子は驚いて上半身を起こした。
 
「……あ、あなたは?」
「申し遅れました。僕はルイと申します。君の名は……」
「良子……です」
「リョーコさん? 変わったお名前ですね。僕は治療魔法、防御魔法を専門としています。何かあったときは、気がねなく僕を頼ってください」
 と、ルイという男は柔らかな笑顔で言った。
 
 治療魔法? 防御?
 
「食事、今運んで参りますね。少しでも召し上がってください」
 そう言うと彼は軽く頭を下げ、部屋を出て行った。
 
良子は小さなため息をつくと、辺りを見回した。ベッドの横に置かれているテーブルに、自分が持っていた黒いショルダーバッグと、元々この部屋に置かれていたと思われる手鏡に目を止めた。手に取るとうっすらと埃がかかっていた為、袖で鏡の表面を拭った。
こんな状況だというのに自分の顔が気になって鏡に映す。マスカラが落ちてパンダ目になっている自分がそこにいた。どんな状況でも不思議と気になるもので、鞄からコットンタイプの携帯用メイク落としを取り出し、化粧を落とした。
自分が働くショップブランドの服を着てお洒落をしているのに、顔はスッピンというアンバランスさに少し恥ずかしい気もするが。
 
暫くして、ルイという男が食事を持って部屋に戻って来た。良子の顔を見て一瞬驚いたようだが、何も言わずにテーブルへと食事を運んだ。
 
彼が驚くのも無理はなかった。良子は自分の幼稚な顔が嫌いで、メイクには時間をかける。その分、メイク前とメイク後は整形写真のビフォーアフターのように別人になるのだ。良子のスッピンをはじめて見た人は必ず声を揃えて「だれ……?」と言う。
 
ルイが持ってきた食事は有り触れたもので、コッペパンと野菜たっぷりのホワイトシチューだった。体調も優れず、理解出来ない状況でお腹なんて空くはずがないと思っていたが、シチューの良い香りに、お腹の虫が鳴った。
 
「お腹が空いていたようですね。急遽用意出来たのはこれだけで申し訳ないのですが、どうぞお召し上がりください」
「いえ……いただきます」
 

──今思えば、
見知らぬ世界で、見知らぬ人に差し出された食事なんて、何が入っているのか分からないから戸惑うはずなのに、
ルイの優しい笑顔に、何の疑いもなく完食したんだよね。
 
それに本当に美味しかった。
有り触れたものなのに、頬が落ちるくらい……。
 
 
「ごちそうさまでした。美味しかったです」
 良子は手を合わせながらそう言った。
「それは良かったです」
 と、彼はホッとした笑顔を浮かべる。
「もしかして……あなたが作ったんですか?」
「えぇ、料理が趣味ですから。といってもシチューなら誰でも簡単に作れるとは思いますが……」
 
優しい笑顔でそう答えた彼は、夢で見た時と同じ、見るからに良い人そうだった。人は善悪を持ち合わせているはずなのに、彼からは不思議と悪を思わせる雰囲気がしない。
 
「あの……」
 と、良子はあることを口に出しそうになり、躊躇した。
「どうかしましたか?」
 
家に帰りたいんですけど……と、言いかけて口をつぐんだ。言っても無駄な気がする。それに、また帰りたいと言い出せば、優しい笑顔の彼を困らせてしまうような気がして。
この状況で気を遣っている場合ではないけれど、人に気を遣ってしまうのは彼女の癖だ。悪く言えば、人の顔色をよく窺う。
 
「あ、クロエって……?」
 意識を失う前に発した言葉を思い出し、尋ねてみた。
「クロエ……あの剣(つるぎ)の名前です。正確に言えば、あの剣の持ち主だった方の名前ですが」
「持ち主だった人……?」
「えぇ、元々クロエという人物は名の知れた剣士でした。残念ながら僕はあまり詳しくは知らないのですが、亡くなる際に自分の魂をあの剣に宿したと言われています。事実なのかは定かではありませんが」
 
良子は「自分の魂を剣に……」と聞いた時点で頭の中がハテナだらけになった。後の話が耳に入ってこない。夢物語なら楽しんで聞ける話も、現実として話されると、信じられないせいか頭に入ってこなくなる。
 
「──と、いうわけなんですよ」
 彼は話を続けていたようだったが、良子は話について行けず、上の空だった。
「……そうですか」
 話が終わったことに気が付き、理解出来てはいなかったが取り敢えず相槌を打った。
「なぜクロエという名を?」
「え? えっと、剣を握ったら……」
「剣から感じ取ったということでしょうか」
「……はい」
「やはり貴女にはそういう力があるのですね」
 
“力”と聞いて、またうんざりとする。力とか魔法とか、此処に来てから理解出来ないことばかりだ。唯一受け入れられたのは、思った以上に美味しかった食事だけ。
 
「今日はゆっくり休んでくださいね」
 
これまでの様子からゆっくり休む暇など無いはずなのに、彼はそう言い残すと良子が食べ終えた食器を持って部屋を出て行った。
 
間もなくして、部屋の外からルイと誰かが話す声が聞こえてきた。良子は耳を澄ませた。
 
「目を覚ましましたけど、今日はゆっくり休ませてあげたほうがいいかと」
 と、柔らかいルイの声が聞こえる。
「そっかぁ。ところであの子なんて名前なのー?」
 と、もう一人、若い男の声がする。
「リョーコさん、だそうですよ」
「ヨーコ?」
「リョーコさんです」
「え? リョ? ヨ? リョ? ニョ?」
「“リョ”です」
「リョーコ? 変な名前だなぁ! あはははは! リョーコって!」
「失礼ですよ……」
 
世界の終わりが近づいていると言って、此処にいる者達は皆ピリピリとした空気を醸し出していたというのに、ルイと話すその声はとても陽気だった。
 
「じゃあ、ヨーコちゃん何歳だってぇ?」
「リョーコさんですよ。年齢はまだ訊いていません」
「俺はー、17だと思うんだよねー!」
 
 私、21歳なんだけど……。
 
ずっと重い空気の中にいたせいか、まだ名前も知らない陽気な声に少し安らぎを感じた。
しかしそれもつかの間だった。もう一人、男性の声がして心拍数が上がるほどの恐怖を感じた。
 
「はぁああぁあぁ?! 休ませるとかバッカじゃねぇの?! んな暇ねぇーだろッ!! あんな奴放っといて俺らだけで行くぞッ!」
 と、怒りを爆発させ、どすの効いた男の声が良子の耳をつき、思わず体を強張らせた。

 この怒鳴り声……短髪で腰に刀を掛けてた人……?
 
「僕達だけでは無理だと……知ったではありませんか」
 と、ルイが落ち着いた口調で言う。
「あんな奴役に立つかよ!!」
「大声出すなよぉ、ヨーコちゃんに聞こえるよぉー?」
 と、陽気な声の男性も、宥めるように言った。
「知るかッ!」
「リョーコさん、ですよ……」
 ルイは良子の名前を何度も訂正していた。
  
まだ優れない体調を和らげようと、良子はベッドに横になり、布団を被った。
彼等の会話はまだ続いていた。布団を被っていても尚、彼女に筒抜けだとも知らずに。


──初めてみんなに会ったときは、一緒に旅をするなんて考えられなかった。
 
ルイだけは、
頼れそうで良い人だなって思ってたけどね。
 
この時はまだ、
ルイだけ……。


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©Kamikawa
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