voice of mind - by ルイランノキ


 見知らぬ世界3…『帰りたい』◆


良子を取り囲んでいた者たちは、この世界には余裕など無く、一刻も早くと逸る気持ちを抑え、剣を握ったこともない彼女に時間を与えた。彼女の中にある秘められた力を呼び覚ますのだと言う。切羽詰まった必死な顔で、誰かが何かを口にする度に、理解出来ない良子は段々と馬鹿馬鹿しく思えてきて、渇いた笑いをこぼした。

どうやって移動したのかはわからないままだが、今自分の周りで起きている出来事を冷静に見遣ると、なんだかおかしい。若い人もいれば高齢者もいて、ファンタジーゲームや映画のコスプレをしているように見えてくる。これは夢で、映画の撮影をしているのだろうか。そう思うとやっぱり笑えてくるのに、それとは矛盾して心臓は尚も不安でバクバクと暴れている。

 とにかく帰らなきゃ。仕事に行かないと遅れちゃう。店長は怒ると怖いし……。

「あのっ……ここはどこなんですか? 早く家に帰らせて下さい!」
 良子は吐き出すように何度も何度も帰りたいと告げた。
 
自分でそう言いながら、矛盾を感じていた。夢だと思っているのに、現実であるかのように訴えている。本当に夢だと思っているなら、大暴れでもしてどうにか夢から覚めようとする。でもそれが出来ない。心のどこかでこれは現実だと思っている部分もあるからだろうか。
 
良子の訴えに、誰一人として耳を傾けてくれる者はいなかった。彼女が帰りたいと言えば目を逸らし、顔をしかめて口籠る。誰も聞く耳など持たず、口にするのは世界がどうとか、貴女は選ばれたとか、そんな話ばかりだった。

「わけがわからない……。帰りたい……仕事に行かなきゃいけないんです! こんな場所で時間潰してる暇なんて──」
「どうか御理解して頂きたい。使命を、果たしてさえくだされば……」

 そればっかり。もううんざり。使命って……何?
 
良子は視線を落とし、埒が明かない現状から抜け出す方法はないかと、今起きていることが夢ではなく現実だと仮定してみることにした。もしも現実だったら、と。バカバカしいと思う感情が邪魔をする。どうしてもあり得ないと思ってしまう。これがまだ小中学生なら簡単に信じたのかもしれない。けれど彼女は21歳だ。もうとっくに大人だった。現実的に考えてあり得ないと否定する感情を強引に振り払い、無理矢理現実として考える。──お力添えを願いたい? なにに力を貸すの? 私に与えられた使命? なんで私なの……?
 
「どうか、この世界を救っていただきたい。我々の未来を、光ある場所へと導いていただきたい……貴女様には、その力が備わっている」
 
平凡に暮らしてきた彼女は、これまでに不思議な経験などしたことがなく、勿論超能力などという力も無ければ、霊感すらも無い。そして何より、運動神経もなく、頭も悪い。そんな自分をよく知っている彼女は、自分に世界を救える力があるとは到底思えるはずもなく。それどころか、自分が異世界へ行くなど、漫画でありがちな夢物語が現実に起きるわけがないのだ。だからこれは夢だ。そう思うのに、夢である確信が持てない。考えれば考えるほど、混乱が生じる。

赤い絨毯が敷かれた部屋に閉じ込められたまま、刻々と時間だけが過ぎていく。

帰りたいと言う気力も無くしかけ、ただ呆然と立ち尽くしていると、剣を差し出していた男がひざまづいたまま、無気力な良子の手を取り、半ば強引に剣を握らせた。
良子は此処にいる者達の念いの圧力や、空気の重さに押し潰されていき、身動きが取れなくなっていた。
 
 誰も自分の話を聞いてはくれない。
 
悔しさのあまり、渡された剣を放り投げてやろうと強く握りしめた。すると、心臓がドクリと脈打ち、“何か”に反応した。剣を握る手が震え、体が熱くなり、突然涙が頬を伝う。
 
何故急に涙が溢れてきたのだろう。彼女自身にも分からなかった。ただ、手にした剣から“何か”が伝わってきたのだ。辛く、切なく、痛く、苦しい何かが。流れた涙は、自分の意思ではなかった。
 
「クロエ……」
 自分の口から出た誰かの“名前”。
 
また目眩に襲われる。良子は苦しそうに呼吸を繰り返すと、崩れるように膝をついた。周囲にいた者達の「大丈夫ですか?!」「お気を確かに!」という耳障りな声が徐々に遠退いていく。呼吸がままならなくなり、意識が朦朧としてくる。
誰かが「しっかりしてください!」と体を揺さ振る感覚さえも薄れていき、彼女はその場で気を失った──。
 
良子を囲んでいた男達は、動揺を隠せないようだった。
 
「一体何が起きたというのだ」
 黙って一部始終を見守っていた、長い白髪と白髭を生やした貫禄のある老爺が言う。
 
その言葉に真っ先に答えたのは、良子に『剣を手にしたことは?』と話し掛けていたサラサラブラウンヘアーの若い男だった。
 
「分かりません……突然意識を無くされて……」
 そう言って、倒れた良子の横に立ち、片膝をついた。
「気を失ったのか。一先ず部屋へ運べ。空いている部屋があっただろう」
「はい。目が覚めるまで、僕が彼女に付き添います」
「そうしてくれ。しかし、この娘が……。まぁいい。後はお前達に任せたぞ」
「はい。──僕は信じています。最後の希望を」
 彼は声高に言い、そっと良子を抱き抱え、部屋を後にしたのだった。
 


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