voice of mind - by ルイランノキ


 秋の扇11…『マインドコントロール』

 
ミシェルの泣き声はログ街を濡らす雨のようにずっと続いていた。
アールはしばらくそっとしておこうと思い、食欲はなかったがせっかくルイが持って来てくれた料理を冷ますわけにもいかず、食べ進めた。
 
「無理をなさらないでくださいね」
 と、まだ傍に付き添ってくれていたルイが言った。
 
ルイは窓際に立ち、外を眺めながら思考を巡らせていた。
 
「ルイ、例えいい案があったとしても、聞く耳を持ってくれなきゃ伝わらないよね」
 
そう言ったアールに、ルイは黙ったまま目を向けた。
 
「どんな適切な言葉も、悩んでいる人が聞こうとしなければ素通りしてゆくだけ。結局、自分を動かせるのは自分だけだよね。自分で立ち上がるから、背中を押してくれる人の手で前へ歩けることもある。歩く気がなければ、いくら背中を押されても歩かないでしょ……? その手を振り払おうとするじゃない」
 そう言ってアールは、箸を置いた。「ミシェルさんに、人の声を少しでも聞ける余裕があればいいんだけど」
 
ルイはアールの考えに、黙って頷いた。
彼女は様々な角度から物事を考える。色々な考えの中から選び出した答えが必ずしも正解というわけではないが、ルイは彼女の思考に心動かされていた。自分のことで気が狂いそうになるほど闘っている彼女が、他人の事で頭を悩ませているその強さと温情に心打たれる。
 
ミシェルの啜り泣く声が止み、アールは個室のドアの前へ歩み寄った。
 
「ミシェルさん……?」
 そっと声を掛けてみたけれど、返事はない。
 
服が擦れる微かな音がして、ミシェルがドア付近にいることはわかる。アールはドアに手を添え、彼女の耳に届くように話を始めた。
 
「ミシェルさん、私……お風呂場でミシェルさんと会って、お話が出来て嬉しかったです。あの後も偶然VRCで会って話し掛けてくれて、女友達が出来たみたいで嬉しかったです。会って間もないし、ミシェルさんからしてみれば私なんか友達ではないかもしれないけど……放っておけないんです。お節介なこともわかってます。ミシェルさんに鬱陶しがられても仕方がないと思います。──ただ、聞くだけでもいいので、私の言葉に耳を傾けてくれませんか?」
 返事は期待していなかったが、ミシェルが小さな声で応えた。
「偶然じゃないの……」
「え?」
「VRCでアールちゃんと会ったのは、偶然じゃないの……。誰かと話したくて、アールちゃんがいると思ったから……。お風呂場で話し掛けたのだって、あなたも同じ思いをしているんじゃないかって思ったから……」
 
ミシェルは、アールの体に痣があるのを目にしたとき、自分と同じように誰かから暴力を受けているのではないかと思ったのだ。
アールはドアの前に腰を下ろした。
ルイはアールから少し離れた場所に腰を下ろし、静かに話を聞く。
 
「あの、私、ミシェルさんがボロボロになってく姿を、黙って見守ることなんて出来ません」
「…………」
「私は愛する人に暴力を振るわれたことがありません。だから、わかったようなこと言える立場じゃないけど……このままお付き合いを続けるのは考えなおしたほうがいいと思います」
「どうして……? 彼が暴力を振るうから? でも彼は──」
「“本当は優しい”んですよね……。でも、それは酷いことをされた分、優しさが強調されて身に染みているだけなんだと思います。愛する人を、悪者扱いになんかしたくはないと思うけど……冷静になって、一度第三者の目になって自分達のことを見てみてください。
ミシェルさんは、暴力を振るう彼は自分と闘ってるんだと言いましたけど、自分と本当に向き合って闘っているなら、暴力を振るう原因をミシェルさんのせいにしたりはしないと思うんです……」
 
アールはミシェルの反応を窺いながら、話を続けた。
 
「ミシェルさん、もし彼の暴力がもっとエスカレートしたらどうするんですか? 絶対ないとは言い切れないと思います。このままお付き合いを続けて、もし妊娠したらどうするんですか? 妊娠中も暴力の被害に遭うかもしれないんですよ? 彼が暴力を振るうことに対して申し訳ない気持ちがあったとしても、未だに直らないのは自制力がないからです。そんな人と一緒にいたら……取り返しのつかないことになります。そうなってからじゃ遅いんです。少しでも辛いと思っているのなら、別れを決断したほうがいい。もっと自分を大切にしてください。貴女を守れるのは、貴女だけなんですから……」
 
ミシェルは電気の点いていない個室で黙ったまま、膝を抱えていた。
アールの言葉はどれも的を射ていた。今まで目を逸らしてきたことを、次から次へと突き付けられたようだった。どの言葉も、理解出来た。こんなにも辛いなら、別れを決断すればいい。別れさえすれば全て終わる。終わるのに……。
なぜ決断出来ないのだろう。なぜためらっているのだろう。
ミシェルは溢れ出る涙を拭った。
 
「彼の優しさは、自分を慰めるためのものでは……?」
 と、ルイもドア越しに声をかけた。
「優しくしているのだから、多少の暴力は許されると思い込んでしまっているのかもしれません。それは貴女が許してしまうせいでもあります。それから、暴力を振るい、優しく接し、それを繰り返すことでマインドコントロールしているのです」
「ミシェルさん、彼のためにも、貴女自身のためにも、勇気を出して別れたほうがいいよ……マインドコントロールってよくわかんないけど」
 アールはルイに続いてそう言った。
「簡単に説明しますと、マインドコントロールというのは相手の精神を操作することですよ」
「そうなんだ! ……とにかくミシェルさん、今夜はゆっくり考えてください。ゆっくり考える暇もなかっただろうから……」
 
耳を澄ませてみたものの、ミシェルの返事はなかった。
 
「僕はそろそろ自分の部屋へ戻りますね。アールさんは……こちらの部屋でお休みになられますか?」
「どうしようかな」
 と、アールはミシェルがいる個室のドアに目をやった。「ここで寝ようかな」
「そうですね、その方がよいかもしれません。ミシェルさんの夕食は冷めてしまったようなので一緒に下げておきますね。もしお腹が空いたようでしたら、僕に言ってください」
「うん、ありがとう」
 
ルイはアールが食べ終えた夕食の食器と、ミシェルが口をつけなかった夕食をお盆に乗せ、部屋を後にした。
 
「ミシェルさん、私ここにいますから、なにかあったら声かけてくださいね」
 

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©Kamikawa
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