voice of mind - by ルイランノキ


 秋の扇9…『お節介』

 
午後6時を迎え、仕事を終えたアールは作業着から普段着に着替え、休憩室のソファに腰掛けて水を飲んでいた。
そこに仕事仲間のダニーがやって来て、アールに笑顔を向けた。
 
「アルちゃん来てたのか!」
「こんばんは。お昼から来ました」
「水なんか飲んでないでジュース飲め」
 と、ダニーは冷蔵庫を開け、小さな缶ジュースを3つ、アールに渡した。
「えっ、こんなに?」
「小さいからな。もう帰るんだろ? 持って帰りな」
「ありがとうございます!」
「たまに冷蔵庫を開けてみるといい。誰かが“ご自由にどうぞ”って飲み物やお菓子を持ってきてるときがあるからな」
「わかりました。私も今度なにか差し入れ持ってきます」
 と、貰った缶ジュースをシキンチャク袋に入れた。
 
ダニーはアールの隣に座って体を捻り、ちょうど頭の後ろにある窓から外を眺めた。
 
「雨やまないなぁ……」
 大雨とまではいかないが、サラサラとした雨が降り続いている。
「困りましたね、自転車で帰るのに……」
「アルちゃん傘は?」
「いえ。でもフードがついてるんで、被って帰ります」
「そうか、大変だな。気をつけて帰れよ?」
「はい!」
 
ひょんなことから仕事を始めたアールだったが、人と出会い、何気ない会話をすることに温かみを感じていた。けれど、その一方で、期間限定である出会いに悲観的にもなる。
 
アールは仕事場を後にした。ツナギに付いているフードを被り、自転車に跨がった。
雨の中、スマイリーの自宅まで急ぐ。その最中、携帯電話が鳴ったのが振動でわかった。スマイリーの家に着いてから物置の屋根の下で、携帯電話を開いた。──ルイからの着信だ。
折り返し電話をかけた。
 
『──はい。アールさん?』
 と、ルイがすぐに電話に出た。
「うん。今しご……」
 仕事が終わったと言いそうになり、言葉を飲んだ。「今帰ってるとこだよ」
『雨が降っていますが大丈夫ですか? 迎えに行きますよ』
「大丈夫、大丈夫。もうすぐ家につくから」
『そうですか……』
「あ、じゃあタオル出して待っててくれるとありがたいな」
『わかりました。気をつけて帰ってきてくださいね』
 
アールは電話を切ると、自転車を返した後は徒歩で帰り道を急いだ。
自分の世界で毎日仕事をしていた頃は、仕事の有り難みより疲労感でいっぱいだった。仕事を始めたばかりのころは楽しかったが、次第に“行かなきゃいけない”と強制的に感じるようになる。
でも、この世界に来て久々に仕事らしいことをしたアールは、疲労感が心地好く感じていた。今日も頑張ったと思える。
 
ホテルの前に着き、フードを下げて中へ入ると、見覚えのある女性がロビーにあるソファに座っていた。
 
「ミシェルさん……?」
 疲れきった表情で、髪は乱れ、足元は左右の違うサンダルを履いていた。
「……あ、アールちゃん!」
 ミシェルはすぐに笑顔になり、立ち上がった。「どこか出かけていたの?」
「うん……。どうしたんですか? せっかくの綺麗な髪が乱れてますよ」
 ミシェルは慌てて手ぐしで髪を整えた。
「またVRCで頑張りすぎちゃった」
「VRC……? 今日ワオンさんから連絡があってミシェルさんの話をしてたら、ミシェルさんはしばらく来てないって言っていましたけど……」
 ミシェルはアールから目を逸らすと、ソファに腰を下ろした。
「あ……あはは……そっか……うん……」
 
無理をして笑うミシェルの姿は、痛ましかった。
アールは彼女の隣に腰掛けた。
 
「……あ、そうだ!」
 アールはシキンチャク袋から缶ジュースを取り出した。「貰ったんです。飲みますか?」
「うん、ありがとう」
 
缶ジュースを受け取るミシェルの手は傷だらけで、小刻みに震えていた。
と、その時。携帯電話の着信音が鳴った。ミシェルの電話だ。ミシェルは過剰に反応した。
 
「ご、ごめんねアールちゃんっ。ちょっと待ってて……」
 
ミシェルは慌てた様子で、まだ開けていない缶ジュースをソファに置き、ホテルの外へと出て行った。
アールはガラス越しに見えるミシェルを眺めた。電話越しに何度も頭を下げている。その話し声はロビーにいるアールの耳に届いていた。
 
「ごめんなさい……ごめんなさい……仕事は終わりました……はい……はい……ごめんなさい……すぐに帰りますから……」
 
何度も繰り返し謝るミシェルの怯えた声。
悪い予感が的中しないことを願っていたアールだったが、確信へと変わってゆく。
ミシェルは電話を切ると、アールに何も言わずにどこかへ向かって歩き出した。アールは慌ててホテルを飛び出した。
 
「ミシェルさん!」
 大声で呼び、振り返ったミシェルに歩み寄った。
「アールちゃんごめんね……私急用が……」
「彼氏さんのとこですか……?」
 
ミシェルは意表を突かれ、青ざめた。
 
「ミシェルさん、その痣とか怪我って……」
「違うの……私が悪いの……私が……」
 ミシェルは苦しそうに胸を押さえ、荒い呼吸を繰り返しながらその場に膝をついた。
 
降り続けている雨が地面の斜面を流れている。
アールは慌てて彼女の横に腰を下ろし、ミシェルの震える背中を摩った。やっぱり悪い予感は当たっていたのだ。
 
「行っちゃダメだよ……」
 アールは詰まる思いでそう言った。
「行かないと……帰らないと怒られちゃう……」
「今から帰っても帰らなくても……暴力振るわれるんじゃないですか?」
 
そう言ったアールの言葉に、ミシェルは大声で泣き出してしまった。
立っていられないほど泣きじゃくる姿に、心が痛む。
 
「アールさん?」
 と、背後から声がした。タオルを持ったルイが心配そうに立っていた。
 
ミシェルは泣き顔を見られまいと、ルイから顔を背けた。
 
「あのねルイ……友達が……具合悪くって」
「具合……? 大丈夫ですか?」
 と、ルイは歩み寄った。
 しかしアールはすぐに立ち上がって言った。
「大丈夫、大丈夫。お薬飲んだらすぐに治るってさ」
「そう……ですか?」
 
ルイは、顔を伏せたミシェルに目を向けた。垂れ下がった髪の隙間から、頬に出来た痣が見えた。
アールはミシェルの肩にそっと手を置いた。
 
「ミシェルさん……よかったら今日うちに泊まらない? うちって言ってもホテルですけど」
「でも……私……」
 
その時またミシェルの携帯電話が鳴り出した。ミシェルは反射的に電話に出ようとしたが、アールが奪うように携帯電話を取り上げた。
 
「出ないほうがいいです」
「やめて! 返して!!」
 蒼白した顔でそう言うミシェルは、とても怯えているようだった。
「──私が電話に出ます」
 と、アールは鳴り続けている電話に出た。
 
不安や怖さはあった。けれど、お節介だと分かっていながらも、怯えている彼女を放ってはおけなかった。
 
『どこでなにやってんだテメェ』
 電話の向こうから怒りに満ちた低い声がした。
「もしもし?」
『……誰だお前』
 ミシェルの声ではないとすぐに気づいた男は警戒するようにそう訊いた。
「私、ミシェルさんの友達です……」
『友達だと……?』
「ミシェルさん、具合が悪くなっちゃって。今日はうちに泊まらせようかと思っています」
『はぁ? 勝手なこと言ってんじゃねぇぞッ!』
「じゃあ心配なので、病院にでも連れていきます」
 
ミシェルが怯えた目でアールを見据えた。
 
『病院になんか連れていくなッ!!』
 どすを効かせた声で怒鳴った男。病院になど連れていかれたら、不自然な体中の痣や傷がバレてしまうと思ったのだろう。
「でしたら取り合えず今日一日、うちで休ませてもいいですか……?」
『勝手にしろッ!』
 と、電話は切れた。
 
アールはため息をこぼした。正直、物凄く怖かったのだ。
 
「ミシェルさん、今日はゆっくり休んでください」
 と、アールはミシェルに携帯電話を返し、彼女の腕を掴んで支えるようにして立ち上がらせた。
 
ホテルへ目を向けると、いつの間にかルイの姿がなかった。
 
「でも……帰らないと……」
「少し休みましょうよ……。このままだとミシェルさんが壊れてしまいます」
 
説得しながらホテルに戻ると、部屋の鍵を持ったルイがロビーで待っていた。
 
「アールさん、隣の部屋が空いていましたので」
 と、アールに鍵を渡す。
「え……部屋とってくれたの?」
「はい。僕たちと同じ部屋だと落ち着かないでしょうから」
 そう言ってミシェルに目を向けたルイ。ミシェルはすぐに目を逸らしたが、深々と頭を下げた。
「ありがとうルイ」
 アールはそう言って、ミシェルを連れて階段を上がった。
「ミシェルさんごめんなさい。エレベーター壊れてて」
 エレベーターの壁には《修理中》という張り紙が貼られていた。修理は進んでいるようだった。
「アールちゃんが謝ることじゃ……」
 一段、一段、ゆっくりと上がりながら、ミシェルは小さな声でそう言った。
「うーん……それが私が謝ることなんです。私のせいだから」
 

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