voice of mind - by ルイランノキ


 全ての始まり4…『後悔』

 
2階にある自分の部屋からリビングまで下りると、いつも通り母親が作ってくれた手抜きの朝食がテーブルに並べられていた。焼いただけで何も塗られていない食パンと、お湯を入れすぎて味が薄くなったインスタント味噌汁。──正直、美味しくはないけれど、文句は言えなかった。
まだまともに料理を作り始めて間もない良子は、恋人に作ってあげるだけで精一杯で、とてもじゃないが家に帰ってまで自分の食事を作る気にはなれなかったのだ。作ってもらっているのだから、寧ろ感謝すべき……と、分かってはいるけれど、たまには美味しい朝食を食べたいと思ってしまう自分がいた。
 
「あんたいつ結婚するの?」
 と、突然母の佐恵子が言った。
 良子は口に頬張っていたパンを慌ててお茶で流し込んで答えた。
「まだ先だよ。お金貯めなきゃいけないし……」
「順調なの?」
 佐恵子はテーブルを挟んで良子の向かい側に座り、心配そうな顔を浮かべて訊く。
「うん、まあね」
「ほんとに? 早く安心させて頂戴ね」
「そう急かさないでよ……」
「心配なのよ。だってお隣の川崎さん、娘さんがもうすぐ三十だっていうのに、相手がいないんだって」
「私まだ21歳だよ? それに川崎さんと一緒にしないでよ。一応相手はいるわけだし……」
 
親という生き物は、どうして他人の子供と自分の子供を重ね見るのだろう。
 
「川崎さんだって、まだ大丈夫、まだ大丈夫と思ってたらもう三十よ!」
「だから川崎さんとうちは違うでしょ? そんなに私に早く家出てってほしいの? それにお姉ちゃんだってまだ結婚してないじゃない! 心配するならお姉ちゃんが先じゃないの?」
 良子はパンをかじりながら、うんざりした顔でそう言った。
「美鈴はしっかり者だから少しくらい婚期が遅れても心配いらないけど、あんたはだらし無いから貰ってくれる人がいるのか心配なのよ。川崎さんみたいになったらもう……どうするの」
「だからお隣りさんと重ねるのやめてよ! お姉ちゃんと比べるのもやめて!! ていうか川崎さんに失礼だよ!」
 
居心地が悪くなった良子は朝食をそそくさと食べ終え、母から逃げるように風呂場へ向かった。
 
姉の美鈴は、良子とは正反対の性格だった。良子に似ず綺麗で、なんでも自分一人で熟し、人見知りもせず、愛嬌がある。頭も良くて学年トップだった。そんな姉と比べられたくないと、良子はものごころついた頃からずっとそう思いながら生きてきた。
 
ふて腐れながらシャワーを浴びる。歯を磨き、顔を洗い、また部屋に戻って用意していた服に着替えて髪をセットし、鏡とにらめっこをしながらメイクをする。ムスッとしているとメイクがキまらない。無理矢理ニッコリ笑顔を作ってみたけれど、ふつふつと苛立ちが募るばかり。
メイクは1時間かけて漸く完了。仕事へ行く準備は整った。
 
良子は若い女性向けのブランドショップで働いている。ショップ店員は店のイメージでもあるため、身なりには気を遣わなければならないし、着る服もそのショップで取り扱っている服でなければならない。
客の殆どが10代から20代のギャルになる。正直、感じの悪い客もいてストレスが溜まり、最近は特に仕事へ行くのが憂鬱になっていた。
先日、常識知らずの女子高校生が5人、良子が働くショップに来店。大声で騒ぎ立て、何着も試着したあげく、脱いだ服は裏返しのまま適当に棚に置いて帰ろうとしたのだ。服はシワくちゃのままで、襟元にファンデーションがついてしまっていたため売り物にならなくなり、店長が彼女達を引き止めて買い取りをお願いしたものの、逆切れ。
一部始終を見ていた良子は、心の中では頭をどついてやろうかとさえ思っていた。というか妄想の中ではとっくにどついている。しかし臆病な彼女にそんなことは出来もしなかった。
 
部屋の掛け時計を見ると、家を出る時間まで15分はあった。
今日は面倒な客が再び来ないことを願いながらベッドに腰掛け、ボーッとテレビを眺めて時間を潰した。時間はあっても、恋人からのメールに返事を返す気にはなれなかった。
  
家を出る時間になると、怠さからくる重い体を起こして、玄関へと下りた。いつもは「いってきます」と言うが、まだ不機嫌だった良子は黙って家を出た。けれど、玄関のドアを閉める音に気付いた佐恵子が、「いってらっしゃい、頑張ってねー」と、家の中から声を掛けた。
 
 言われなくても頑張ってるし。
 
心の中で、母親の言葉を欝陶しく感じた。
 

──私を見送る「いってらっしゃい」の声を、
もう一度聞きたいと、今 強く思う。
 
決して上手とは言えないお母さんの手抜き料理も、
もう一度食べたいと強く思う。
  
どんなに美味しい料理を食べても、
あの手抜きで味の薄い、
決して美味しいとは言えないお母さんの料理には
敵わない……。
 
お母さん ごめんね……
 
 [件名]
 Re:
 [本文]
 お母さん元気?
 お父さんは元気?
 お姉ちゃんは?
 チイは?
 
 私は
 元気だよ……
 
 
 《送信中・・・》
 
 《ERROR。送信出来ませんでした。》
 
 
──願いを込めて打ったあのメールは
今も送信されないまま行き場を失って手元にある。
 
送っても送っても
自分の元から離れないメール。
 
繋がるものが何ひとつないよ……
 

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©Kamikawa
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