voice of mind - by ルイランノキ


 全ての始まり2…『マニアックな夢』

 
結局良子はその日、デートらしいデートはしないまま時間だけが過ぎ、午後10時には自宅に帰り着いていた。靴を脱ぐやいなや、2階にある自分の部屋へと直行し、倒れるようにベッドに横になった。目を閉じながら、将来への思いに浸る。
 
──アパートに行っては掃除や料理……。これじゃあまるで家政婦じゃない。ううん、子供の面倒を見るベビーシッターだったりして。“一生”あの子の面倒をみるとなると、気合いが必要かも。
 
良子は数ヶ月前、彼から“仮プロポーズ”を受けていた。正式なプロポーズとは違い、婚約指輪を渡されたわけではないため、薬指にはまだ付き合い初めに貰ったペアリングが光っている。口約束ではあるものの、計画的に結婚資金を貯めている最中だった。
 
雪斗は休日となればゲームばかりしているものの、仕事はきちんと熟す、意外にも働き者だ。ゲームは彼の唯一の趣味だった。日頃がんばって働いている彼を知っている良子は、「たまには外でデートしようよ」なんて言うのは気が引けていた。
 
 お風呂に入らなきゃ……。
 
ベッドに寝転がったままそう思ったが、溜まった疲れと心地好い布団の柔らかさがお風呂へ行くことを拒んだ。
 
「朝入ろうかな……もう疲れた……」
 
着替える気力もなく、そのまま良子の意識は段々と深い眠りへと沈んでいった。
 
雪斗とは違って、良子はテレビゲームにあまり興味が無かった。見ていると操作が難しそうで、操作を覚えるだけでも大変そうに思えたからだ。そのため、自分がプレイすることは無かったが、雪斗から出る話題の殆どがゲームの話しばかりのせいか、軽い知識だけはあった。
 
 《 Role playing game 》

それは作られた世界。モンスターや魔法など、当たり前に存在する、夢のある世界。そんな世界に嵌まっている雪斗のせいで、その日、可笑しな夢を見た。

森の奥深くで、2メートルはある岩のようなモンスターに寄り添う若い3人の戦士達が、自分に向かって手招きをしているのだ。グレーカラーの短髪で筋肉質の、少し怖そうな男と、オレンジ色の髪に、前髪を上に縛っているパイナップルみたいな髪型の、見るからに人懐っこそうな明るい男。この2人は腰に刀を掛けている。もう1人は杖の先に丸い石が嵌め込まれたロッドを持った、サラサラブラウンヘアーの優しそうな男だ。
3人共笑顔で、でも、彼等はどこか切なげな表情で、手招きをしていた。
モンスターが怖くて恐る恐る歩み寄った良子に、サラサラヘアーの男は言った。

「帰りたいと今でも思っていますか?」

 帰りたい? 何処へ……?

そう疑問に思ったとき、後ろからもう1人、男の声がした。それはとても低い声で、でもどこか温もりを感じる声だった。
名前を呼ばれた気がして、その声に振り返ろうとしたところで目が覚めてしまった。だから、もう1人の顔を確認することは出来なかった。
 
良子は目が覚めてから、違和感を覚えていた。自分の名前を呼ばれた気がしたのに、自分の名前ではなかったような気がしたからだ。
 
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朝目が覚めれば、またいつも通りの1日が始まる。
朝の決められた時刻に仕事へ行き、夕方頃には帰り、母親の相変わらずな手抜き料理を食べ、携帯電話を片手にテレビを見る。
休みの日には雪斗と会う。何処かに出掛けるわけでもなく、彼のアパートでまったりと過ごす。彼と会えない日は、友達と専らカラオケだ。
これと言って不便なことはないけれど、平凡過ぎる日々に、良子は少し、つまらなさを感じていた。
 
家族はごく一般的で、父親の信二は平凡なサラリーマンだ。ドラマに出てくるような頑固な親父というわけでもなければ、家に帰ると酒を飲み、休日はパチンコに行くようなだらしの無い親父でもない。かといって、休日は必ず家族サービスをするような完璧な親父でもなく、ごくごく平凡な父親だ。
母親の佐恵子は、朝の9時から夕方までパートに出ている。料理や家事が苦手なようだが、毎日主婦業を怠らない。
姉もいるが、良子はあまり口を利かなかった。年齢が近いだけあって、喋ると衝突することがよくあるからだ。嫌いなわけではないけれど、喧嘩すれば姉には敵わないことから、避けている存在だった。姉の美鈴が恋人と二人暮らしを始めると言って家を出て行ったときは、宝くじでも当たったかのようにガッツポーズをして大いに喜んだ。やっと自由を手に入れた、そんな気分だった。

そして、部屋の中でバタバタと走り回っているのは遊び盛りの子猫。美鈴が拾ってきた野良猫で、「小さいからチイ」というなんの捻りもない名前をつけた。今は良子にとっても、大事な家族の一員である。

そしてこの物語の主人公である彼女の名前が、
 
    桜井 良子
 ━SAKURAI RYOKO━

ごく普通の平凡すぎる名前。名前の由来は『良い子に育ちますように』といった、これもまた在り来りなもの。母親の佐恵子いわく、はじめは「よいこ」と名付けるつもりだったらしい。それを聞いた良子は、特別可愛い名前ではなく平凡な名だが「りょうこ」で良かったと安堵した。

平凡な家庭で育ち、平凡に生きて来た。
平凡ではないことといえば、彼女の身長だろう。21歳にして150センチしかない。この身長が、彼女にとってはかなりのコンプレックスだったりする。貧乳であることよりも、だ。頭が悪いというのも“平凡”ではないだろう。勉強嫌いな彼女の脳内は中学生レベル、もしくはそれ以下だった。


──ありふれていて平凡な日々。
そんな日々が、幸せな日々だったんだとそう気付けたのは、良子という名を、名乗らなくなったあの日から。

“幸せだった毎日”から私を引き離す強い力が、刻々と近づいていることに、気付くはずもなかった。



 全てを失う痛みを

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©Kamikawa
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