voice of mind - by ルイランノキ


 捨てた想い26…『光の中へ』

 
だいぶ呼吸が整ってきたアールは、上半身を起こして剣を握った。
獣は弱ってはいるものの、まだ起き上がろうとしている。うまく体が動かず、苛立っているようだ。
 
「ごめんね」
 
必死に起き上がろうとする獣の姿の片隅に、斬り落とされた脚が転がっている。その周辺は黒い血の池が出来ており、急に罪悪感に襲われた。──やらなきゃ、やられてた。そう言い聞かせるが、心が疼く。せめて一撃で倒せたら、こんなに苦しませなくて済んだのに。
 
アールは立ち上がろうとしたが足に力が入らず、一度膝をついた。体中に痛みを感じた。筋肉疲労と、地面に打ち付けた体の痛み。
どうすれば、一撃で倒せるのだろう。どうすれば一瞬の痛みだけで眠らせることが出来るのだろう。殺すことに違いはないにしても、何度も繰り返し苦痛を負わせるのは残酷に思えた。
 
アールが思考をめぐらせていると、剣を握っている手に熱を感じた。そしてまた、心臓を握っているような鼓動が剣から伝わってくる。
 
「あなたにも、意思があるの?」
 
アールは悶え苦しんでいる獣に目を向け、鼓動を打つ剣を握る手に力を入れた。
 
「私にはまだ一撃で倒せる力がない。名前も知らないしあなたを手にして間もないけど、あなたの力を、貸してください」
 
モーメルに借りた剣が放った熱がじわりとアールの手に伝わった。アールには確かに剣の意思を感じた。素振りをして、最後の力を振り絞って倒れている獣に向かって走り出した。
殺気を感じた獣は体を起こしたが、勿論、脚が無いため立ち上がることは出来ない。その場で腕を振り回し、唸り声を上げる。
アールは獣のすぐ手前で立ち止まった。剣の意思が再び伝わってくる。感じたままに、獣に向かって力いっぱい空(くう)を斬ると、三日月型の光が獣の心臓を目掛けて勢いよく放たれた。
 
「うわぁっ?!」
 と、アールは思わず声を上げた。
 
握った剣から、自分がどうすればいいのかイメージは伝わっていたが、何が起こるかまでは分からなかったからだ。獣は構えた腕ごと胴体が真っ二つに斬り裂かれた。
 
「す……凄い……ありがとう」
 剣を見つめながらそう言ったが、放っていた熱はすっかり冷めていた。
 
獣は漸く、ピクリとも動かなくなった。やっとその息の根を止めて、苦しみから解放してやることが出来た。
アールは力なく地面に座り込んだ。一眠りしたいところだが、まだ泉から出られたわけではない。油断は出来なかった。へたりこんだまま辺りを見渡したが、次のドアは見当たらない。
 
額に滲んでいた汗を、袖で拭い、剣を腰に仕舞った。ここは何もない空間。壁さえ見えず、突き当たりなどない場所。
疲労でガクガクと震える足を膝から立たせると、獣に背を向けて辺りを見回しながらヨレヨレと歩き始めた。
 
「出口……どこ……?」
 
出口があるのか、新たな部屋へと続く扉があるのかわからないが、暫く出口を探して歩き進めた。次第にまた不安が襲ってくる。出口は存在しないのではないかと思えてくる。──と、遥か遠くに小さな光が見えた。指で隠せるほどの小さな光だ。
 
「出口……?」
 
アールは足を速め、光へと向かった。光は近づくたびにどんどん大きくなり、光の暖かさに触れた。
 
「うっ……眩しい……」
 手で光を遮りながら、目を閉じた。
 
━━━━━━━━━━━
 
「アール…… アール……」
 
遥か遠くのほうから聞こえてくる声が、徐々に近づいてくる。その声は聞き慣れた優しい声だと気が付いたとき、重く閉ざされていた扉を開けるように、瞼を開けることが出来た。
アールを心配そうに上から覗き込んでいるモーメルがそこにいた。
 
「モーメルさん!」
 と、アールは体を起こした。
 
ふかふかなベッドの手触り。どうやらここはモーメルの家の2階にある部屋だ。
 
「大丈夫かい?」
 モーメルは心配そうに言った。
「あ、はい!」
 
そう元気に答えたアールは、モーメルの後ろにルイたちが立っていることに気が付いた。皆、安心しきった笑顔で彼女を見つめている。
 
「みんな……」
「心配しましたよ」
 と、ルイがアールに近づいた。
「俺も心配しちゃったよぉー」
 カイもベッドに歩み寄り、そう言ったあと、ヘヘッと嬉しそうに笑った。目には涙を浮かべている。
「心配させんな」
 シドは壁に寄り掛かり、腕を組んで呆れたようにそう言ったが、穏やかな表情だった。
「ごめんね……心配かけて……」
「疲れただろう? もう少し休んでなさい。あんたが無事に戻ってきてくれて、本当によかったよ……」
 と、モーメルはアールに布団を掛けた。アールは再び横になり、みんなを見遣った。
「うん。あ、ライズは……?」
「下にいるよ。後でゆっくり話すといい。さ、みんなも下に下りるよ。少しでも休ませてあげないとね」
 
みんなの笑顔が温かかった。優しさが嬉しくて、笑みがこぼれた。無事に戻って来れた安心感から、アールはドッと疲れを感じ、倒れるようにベッドに横になると、すぐにまた眠りに落ちた。
 
それから暫くして、一階から聞こえてくる笑い声にアールは目を覚ました。疲労はまだ残ってはいたけれど、気分は晴々としていた。──あの番人は何を思って私を解放してくれたのだろう。試練を乗り越えたからといって、帰すかどうかは番人の気分次第だと思うのだけど。
 
階段を下りると、みんなは紅茶セットと一斤のパン、そしてサラダが置かれたテーブルを囲んで談笑していた。その中にライズの姿もあり、椅子にお座りしている姿が可愛らしく思えた。
 
「おはよう」
 アールはそう声を掛けると、待ってましたと言わんばかりにモーメルは満面の笑みで立ち上がった。
「漸く起きたかい、いい報告があるんだよ」
「いい報告?」
 
ルイはアールの分の紅茶を注ぎ、パンを切り分け始めた。カイは慣れない手つきでアールの分のサラダを取り分けた。
 
「──家に、帰れるよ」
 モーメルはアールの肩に手を置いて、ニコリとそう言った。
 
それは想像もしていない報告だった。
 
「え? 家って……?」
「なんだい、元の世界に帰りたかったんじゃないのかい?」
 モーメルの言葉に、胸が高まった。
「え……帰れるのっ?!」
「あんたの世界へ繋がる扉を出現させることに成功したのさ。あんたが眠っている間にね」
「う、うそだぁ。だってそんな短時間で……」
「正確には、あんたがこの世界へ来た頃から、色々と試してはいたんだよ。まさかこんなにも早く実現出来るとは思っていなかったがね」
「でも……私が帰っちゃったら……」
 と、アールは仲間たちに目を向けた。
「心配ありませんよ」
 と、ルイがアールの席の椅子を引きながら言った。
「アールさんの力を、アーム玉に移す方法も見つかったのです。試してみなければまだわかりませんが、それさえあれば、きっと大丈夫です。──席へどうぞ」
「ありがとう……。本当に?」
「嘘ついてどーすんだよ」
 と、シドが笑いながら言う。「嘘ついたって俺たちにはなんのメリットもねぇだろ」
「確かにそうだけど……」
「おまえが泉から戻った後、番人が姿を現した。お前の力を認めた番人は、沈められた魔道具を婆さんに託した」
「魔道具……?」
「別世界への扉を開く鍵だ」
「そうなんだ……」
 と、アールは一先ず心を落ち着かそうと、紅茶を飲んだ。
「もっと喜びなよぉ」
 と、向かい側に座っているカイがテーブルに身を乗り出して言う。「家に帰れるんだよー?」
「うん……でもなんかまだ実感がわかなくて。でも、みんなとお別れだね」
「それも心配いらないよ」
 モーメルが席に座りながら言った。「いつでも遊びにおいで」
「また来れるの?!」
「あぁ、来たくなったらいつでも。もしかしたら、またあんたの力を必要とするときがあるかもしれないが……とにかく一度帰って、心を休ませたほうがいいね」
 
アールは、満面の笑みを見せた。
 
泉の中で見た記憶は、とても残酷で悲しいものばかりだった。心をえぐるだけえぐって、放り出す。そんな場所。みんなの元へ帰れるかどうかもわからず、ただ目の前に用意された扉を通って先へ進むことしか出来なかった。このまま戻れなかったらと不安に陥る心を奮い立たせて、立ちはだかるものに立ち向かった。
そしたら、望んでいた結果よりも遥かに大きな報酬が待っていた。
戦いの全てが終わったわけではない。この世界の未来は安泰だと保障されたわけじゃない。ただ私が一時的にでも元の世界へ帰れるようになっただけだ。
 
笑い声の耐えない食事を終えると、モーメルに促されて以前アールのデータを読み取った丸い台の前に移動した。
 
「なにをするの?」
「今から扉を開くよ」
「ここで?!」
「そうさ」
「そんな簡単に……?」
「侵害だねぇ、アタシを誰だと思ってるんだい。ギルトなんかに負けやしないよ。──と言いたいところだけど、少し不安もあるのが正直なところだね。信じてくれるかい? アタシに全てを任せてくれるかい?」
「……はい!」
 
失敗したらどうなるの? という考えは、すぐに捨てた。モーメルは自分の力を信じている。だから私も……と。
 
モーメルは番人から授かったという20cmほどの大きな鍵を持ってくると、台の中央に鍵を翳し、呪文を唱え始めた。
ルイたちもアールの後ろに集まり、その時を待ち侘びている。
 
「アールぅ、絶対また遊びに来てねぇ? すぐだよ? すぐ!」
 と、カイがアールの肩に手を回して言った。
「もちろん!」
「約束だよぉ? 遊びに来たらデートしてあげてもいいよー」
「それはいいや……」
「えぇーっ?!」
「お前なんかと誰がデートしたがるかよ」
 と、シドが嫌みを言う。
「なんでだよぉ! ルイはそうは思わないでしょー?」
「さぁ……僕は女性じゃありませんから」
 そんな会話をしながら、笑い合った。
 
台の上に魔法円が浮かび上がる。モーメルは魔法円の中心に鍵を差し込むようにして回した。すると魔法円が光を放ち、扉が出現した。天井まで高く、泉の中で見た扉とはまた違う、高貴で頑丈な扉だった。
 
「さぁ、自分の手で開けるんだよ」
 と、額から汗を流しながらモーメルは優しく微笑んだ。
「ありがとう、モーメルさん……」
「いいんだよ、みんな、あんたの幸せを願っているんだから」
「うん……」
 アールの目に涙が滲んだ。
「泣くんじゃないよ、永遠に会えないわけじゃないんだから」
「うん……あ、お守り、ありがとう」
 と、アールは首に賭けていたペンダントをモーメルに渡した。
「アールさん」
 と、ルイが悲しげな面持ちで声を掛けた。「色々とすみませんでした。貴女を守るどころか、追い詰めてばかりで……」
「そんなことないよ。ありがとうルイ」
「よかったなぁチビ。あっさり帰れるなんてよ」
 と、シドは相変わらず憎たらしく言う。
「チビじゃないってば。あっさりって……私にとっては長かったし……大変だったんだから……」
「わりぃ、わりぃ。じゃあな」
「あっさりしてるのはシドじゃない……。でも、ありがとね……シド。カイもありがと」
「ついでみたいに言われたぁー…」
 と、歎くカイの足元から、ライズがアールに歩み寄った。
「結局、拙者はお前に苦労をかけただけだったな……」
「そんなことない。今回の一件で大切なこと、教わったから。──あ、でもライズの人間の姿、見てみたかったなぁ」
「ふん、また遊びに来い。その時は人の姿に戻っている」
「ほんと?! じゃー期待しとく!」
 と、アールは冗談っぽく笑った。
「……期待には添えんがな」
 
沢山笑いながら、いつまでも話していたいと思った。それは、元の世界へ戻れる安心感から来る感情だった。
 
「さぁアール、扉が消える前に行っておくれ。急かすようで悪いけどね」
 モーメルはそう言って、アールを扉へ誘導した。
「消える……?」
「今もアタシの魔力を消費しているんだよ」
「あっ、ごめんなさい!」
「遊びに来たくなったら、ミクレシムレと叫んでおくれ。あんたがどこにいようと、そう叫んだ声だけは、ちゃんと届くから」
「はい! じゃあみんな……またね。ありがとう」
 
アールはそう言い残し、扉を開いた。強い風が吹きすさんでくる。春の訪れに似た、懐かしい香りがした。
扉の向こう側へ足を踏み入る。家族や恋人や友人のいる故郷へと、アールは帰っていった──
 
 ミクレシムレ
 
忘れないように、何度も何度も頭の中で繰り返す。
 

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