voice of mind - by ルイランノキ


 捨てた想い8…『父の願い』

 
アールはモーメルが言っていたゲートを使って崖の下へと下りた。そのゲートは街中にあるゲートボックスとは違って、ただ平坦な地面に魔法円が描かれた台があり、上に乗っただけで崖の下にあるゲートに移動するというものだった。モーメルが設置した個人用のゲートである。
 
木々が生い茂る森の中に、一本の細い道がある。アールが暫く歩き進めると、左右に分かれる道に出た。どちらが正しいルートか忘れてしまい、ライズの足跡がないかと足元を確かめると、背筋がぞっとした。大きさが異なる足跡がそこら中にある。モーメルから借りた剣を抜いて周囲に警戒を向けた。
 
「右……かな」
 
なんとなく右に曲がると、遠くになにか動いているものが見えた。生き物というよりリボンのようなその物体は、宙に浮いてゆらゆらと靡いている。
 
「あ……やっぱり左かな」
 
正体がわからないものに近づく勇気がなく、結局左の道を選んだ。モーメルが言ったのは『左へ真っ直ぐ』である。結果的には良かったと言える。
 
沈静の泉がある場所へ辿り着くまでに、何度か物影を見た。その度に武器を構えたアールだったが、物影は森の奥へと消えて行くばかりだった。確実になにかがいる気配はしているのに、姿を現さない。戦闘をせずに済むのは有難いことだが、深い森の中で物音や気配はするのになにも起きないというのはかえって不気味に思えた。
 
「もしかして……」
 と、アールは首に掛けていたペンダントに触れた。
 
このお守りのお陰かもしれない。魔物を寄せつけないペンダントだろうか。なにはともあれ、無駄な戦闘を避けられるのは助かる。アールは先を急いだ。
 
━━━━━━━━━━━
 
森の奥深くに、雑木林に囲まれた黒い泉がある。水深深く底は見えないが、浅瀬となっている池の縁は碧く透き通っていた。
 
ライズはしばらく泉の水面を眺めていたが、ふとなにかの気配を感じ、体を低くして戦闘体勢をとった。だが、目の前に現れたのはアールだった。ライズはうんざりしたように首を振った。
 
「なにしに来たんだ……」
「おっきな泉ですね……ビックリした……」
 と、アールは泉を眺めた。
「なにしに来たと訊いてるんだ」
「泉を見に来ました」
 
アールは剣を鞘にしまってライズの横に立つと、改めて泉を見遣る。中央はどす黒く、綺麗なんだか不気味なんだか、異様な空気が辺りを漂っている。
ライズは泉に顔を向け、体を伏せた。
強めの風が吹くと、水面が波打つ。この泉の中に、“番人”がいるとは思えないほど、静かな場所だった。
 
「このままでいいんですか?」
 と、アールは重い口を開いた。
「…………」
「ギルトって人に会ったのなら話は聞いてますよね……。彼が見たという“光”の中に貴方も含まれてるって」
「だからと言って頷くつもりはない」
「そうですか……」
 
アールは長期戦になりそうだなと、一先ず地面にあぐらをかいて座った。ライズに目を向けると、ライズの毛並みが風に靡いていた。
 
「ライズ……ライズさんの毛って黒いと思ってたけど光りが当たると深い紫色なんですね」
「……この姿になってから変色したのだ」
「じゃあ元々は黒なんですね。 ──あの、やっぱり……簡単には引き下がれません。貴方の事情を知ったうえで、危険な旅に誘うのは気が引けるけど……」
「拙者はお前たちに貸せる力を持っていない」
「その姿だから、ですよね? モーメルさんが人の姿に戻れる魔法があるって言ってました」
「戻る気はない。それに姿だけを人間に戻しても仕方あるまい」
「姿だけ……?」
「村を燃やした男が拙者になにをしたのか、はっきりとしていない。これが黒魔術による“呪い”ならば、呪いをかけた本人にしか説くことはできない。その場合、モーメルが言っている魔法は、呪いを解くものではなく、一時的に体だけを人間の姿にするものだ。魔法に永遠はない。いつかはその効果も切れ、この姿に戻るだろう」
「そんな……」
「拙者は、人として生きるのはやめたのだ」
「でも心は人のままでしょ? いくら形見を捨てても、捨て切れない思いがあるからここに来るんでしょ? 何度も足を運んで……」
 
アールはそう言いながら、人の心に足を踏み入れるのは、身がすくむ思いだった。
閉ざした心に土足で入り込まれる痛みと恐怖を彼女は知っていた。なにも出来ないなら入るべきじゃない。ただ荒らしてしまうだけだ。でもきっと、ライズは知らない。一番受け止めるべきことを。
 
「お前の仲間に言われた。『誰一人救えなかったお前が、世界のために出来ることなどない』……と」
 ライズはそう言って、濁った白い目にぼんやりと泉を映した。
「シドか……ひどい」
 アールは、そういうことを言うのはシドしかいない、と察した。
「いや、お前の仲間の言うとおりだ。それに、その気もない。……諦めてくれないか。拙者より力のある人間なら、いくらでもいるだろう」
「貴方じゃなきゃダメなんですよきっと……。それにもし旅に出たら、貴方の大切な人たちの命を奪った男に出会えるかもしれない」
「適当なことを言うな!」
 ライズは立ち上がり、牙を剥き出しにした。
「……でも、ここでじっとしているよりは可能性があると思います」
「例えそうであろうと、どうすることも出来まい」
「ライズさんはそれでいいんですか? それで……満足なんですか? 自分を責めて、変えられた姿で生きて……誰もそんなの望んでいないと思います」
 
ライズは今にも噛み付いて来そうな体勢で、唸っていた。
それでもアールは怯まなかった。ライズの心に入り込んでしまったからには、もう後戻りは出来ないのだ。
 
「亡くなった人達の無念や悲しみは……どうなるんですか」
「黙れ……」
「貴方のお父さんは燃え盛る炎に身を焼かれながらも、貴方を捜していたんですよね。貴方の名前を繰り返し呼びながら……」
 
アールの言葉に、しまい込んでいた記憶が、一気に蘇ってきた。──ライズは、あの日受けた痛みがよみがえる。
 
きっと息もうまく出来なかっただろう。視界も炎に遮られていたのだろう。体中焼ける痛みに耐えながら息子を捜して、見つけた。
 
「やめてくれ……思い出したくない!」
 と、ライズは頭を振った。
「ディノさんが貴方に残した最期の言葉は……」
「やめてくれ! これ以上思い出させないでくれッ!!」
「どんな思いで貴方の名前を呼び続けていたのか……ライズさんは向き合ったんですか? 貴方の記憶の中のディノさんは……ただ炎に包まれて亡くなっただけ……。貴方の中には、ただ悲しみと怒り、そして自分を責める思いだけしか残ってない。お父さんの思いに気づいてあげてください……」
 
ライズは酷く胸をえぐられる思いがした。
 
アールは、嫌われることを覚悟で彼の深い心の中に入り込んで行った。決してただ心を荒らす目的で入り込んだわけではないけれど、いずれにせよ、仲間の誰かがやらなければならなかったことだ。
 
彼を、連れ出してやってほしいとモーメルにも頼まれていた。ずっと閉じこもっていた殻の中から。そして思考を停止していたライズの心を再生してゆく。
 
「ディノさんは銃を手に持っていた。『奴らが来る』と言った。ムゲット村を炎で焼き尽くした犯人を見たんだよ。でも……その村から逃げることもせず、貴方の名前を呼び続けた。……きっと、貴方の無事を確かめたかったから」
 
 
   ヴァイス! ヴァイス!
 
──ライズの頭の中で、封印されていた記憶の扉が開き、父親の声が蘇る。
 
 どこにいるんだ……ヴァイス……
 
──喉が焼けて酷く掠れた声で呼ぶ、父親の声。
 
 ヴァイス……生きていたんだな……
 
──そう言って炎に焼かれながら笑っていた。安心した笑顔で。
 
 逃げろ……ヴァイス……
 
──沈静の泉のように深い奥底にしまい込んで忘れていた記憶が蘇ってくる。
 
 
 生きるんだ……お前だけでも……
 
 自慢の息子よ……
 
 

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