voice of mind - by ルイランノキ


 ログ街18…『ゴミくず』 ◆

 
ルイは部屋の中から、ドアに寄り掛かって座っていた。反対側にはアールが寄り掛かってドアを塞いでいる。
シドがルイに近づき、しゃがみ込んだ。
 

 
「飯、残さず食ったぞ。カイも」
 ルイは俯いたまま、黙っている。
「残すなって言ったお前が残してどーすんだ。もう冷えちまってんぞ」
「…………」
「ったく……。あの女のことは放っとけよ。あいつもそれを望んでんだろ。女のことを思うなら、放っといてやれ」
「でも……」
「ルイがしっかりしないとぉ……」
 と、カイもルイに歩み寄って言った。
「アールが頼りたくなったときにルイがしっかりしてないとぉ。頼りないやつに頼りたいとは思わないし支える人が不安定だと意味ないよぉ……」
「お前に言われたくねぇだろうけどな」
 と、シドがすかさず言って立ち上がった。
「なんだよぉ! 人が珍しく真面目に言ってんのにぃ!」
「カイさんの言う通りですね……」
 と、ルイも立ち上がった。「すみません、心配かけてしまって」
「わかったならさっさと食え。邪魔でストレッチも出来ねぇ」
「もうひとつのベッド畳めばいいじゃーん!」
「バーカ。埃が舞うだろうが」
 
ルイはドア越しにアールを気に掛けながら、部屋の奥へと戻った。
すっかり冷え切ってしまった食事を、アールの分はテーブルに運び、シキンチャク袋からキッチンペーパーを取り出して被せると、自分の分を食べ始めた。
もし、自分が彼女の立場だったなら、どういう心境なのだろうかと考えながら、味の薄いおかずを口に運ぶ。家族と離れ離れになる。帰りたくても帰れない。知らない世界の運命を託される。危険な場所での生活。それから……それから……。
事が多過ぎて整理がつかない。パッと思い付いたことだけでも押し潰されそうになる。そんな彼女が頼れる場所は……きっと今はまだない。ひとりで抱え込んで耐えている。そんな彼女に、“全て”を話せるのだろうか。
 
彼女が知りたがっていたことを、ログ街に着いたらゆっくり話そうと思っていたルイだったが、不安が募る。だから今まで話せずにいた。説明不足の旅を続けさせていた。今の彼女に全てを話すのはどうしても気が引ける。
 
「食べてあげよーか?」
 と、カイが箸を止めていたルイの顔を覗き込みながら言った。「やっぱりマズイんでしょー?」
「あ……いえ。少し考え事をしていたので」
 ルイはそう答えながら急いで食事を終わらせた。
 
カイとシドの食べ終えた食器も一緒に重ねてお盆に乗せると、ルイは部屋のドアの前に立った。食器は廊下に出しておけば回収に来ると言われていた。──だけど、廊下にはアールがいる。
ルイはドアを開ける前にノックをした。
 
「アールさん……?」
 声を掛けてみるが、返事は無かった。そっとドアノブに手を掛けると、ゆっくりドアが開いた。
 
そこにアールの姿はなく、嘔吐して汚した廊下は綺麗に掃除されていた。ルイは食器を持ったままフロントへと急いだ。
 
 グロリアの付き人として役目を果たせ
 
旅を始める前に、ゼンダに言われた言葉が彼の脳裏を掠めた。
安否を心配して逸る気持ちは、彼女を守る義務があるからだろうか。確かに重要な役目だけれど、それだけでこんなにも揺れ動くものなのだろうか。重要な役目を“それだけ”と思える心情にも疑問が湧いてくる。
 
ロビーに着くと、フロントからオーナーが顔を出した。
 
「おやおや、今度はなんだい? 食器は廊下に置いておけば回収に行くのに」
「すみません……。あの、アールさんを見かけませんでしたか? 同じ部屋にチェックインした女性なのですが」
「彼女ならさっき掃除道具を借りに来たよ。廊下で嘔吐してしまったと申し訳なさそうにねぇ。そのあとは、外へ出て行ったよ」
「外……?」
「まだ具合が悪いようだったから近くの病院を紹介したんだが、悪かったかね?」
「いえ……ありがとうございます。どちらの病院でしょうか」
「ここを出て右に真っ直ぐ行けば見えてくるよ」
「わかりました、ありがとうございます」
 と、ルイが頭を下げた。
「食器は私が厨房に運んでおくよ」
「すみません、お願いします」
 
ルイはホテルを出ると、言われた通りに右方面へと歩いた。外は少し薄暗くなっていた。
身分証明カードを持っていないアールが病院へ行くとは思えず、途中で立ち止まって電話を掛けた。着信音が何度か鳴り続けるが、出る気配がない。諦めて切ろうとした時、アールが漸く電話に出た。
 
『もしもし……?』
「アールさん? 今、どちらですか?」
『薬局……の近く』
 ルイは辺りを見渡して薬局を探したが、付近には見当たらない。
「どちらの薬局ですか? 武器を持たずに1人での行動は危険ですよ」
『うん……ごめん……』
 
電話の向こうから聞こえるアールの声は小さく、聞き取りづらかった。
 
「他に……近くに何かお店がありますか? オーナーさんに紹介された病院の近くですか?」
『病院の近くだけど……』
 ルイは再び歩き出した。電話に耳を傾けながら周囲を見渡す。
「まだ具合が悪いのですか?」
『ううん……もう大丈夫。ただちょっと……』
「どうしました?」
『……狙われてる』
「え……? 今なんて?」
 ルイは思わず立ち止まって、反対側の耳を塞いで訊き返した。
『狙われるの……』
「誰にですか?! まさかまた……」
『犬……』
「はい……?」
『犬。ワンコ。野良犬』
「犬、ですか?」
『うん。だから今隠れてて……大声出せないの』
「……犬……ですか?」
 つい、ルイはもう一度訊き直した。
『そう、犬。薬局に入ろうとしたときに野良犬と目が合ったの。目が合っただけで吠えられて追いかけられた……』
「大丈夫ですか?」
 と、ルイは足早に向かう。
『大丈夫じゃないよ……動物と目が合っただけで喧嘩売られるなんて初めてだもん。私自慢じゃないけど動物には好かれるタイプなのに……ショックだよ。だって私なにもしてないんだよ?』
 小さな声でそう悩むアールに、少し微笑ましく感じたルイは、
「すぐ行きますからね」
 と、優しく言った。
 
 
その頃アールは薬局の隣にあるビルの隙間にあった室外機の横に身を隠していた。散らかっている生ゴミの異臭がする。
 
「ルイ……さっきはごめんね」
 
電話越しに、アールは後悔して謝罪の言葉を口にすると、申し訳ない気持ちが溢れて胸がグッと締め付けられた。謝ってもまた同じことを繰り返してしまうかもしれない。
ゴミが散乱しているのに誰も見向きもしないこの路地裏が、自分に適した場所に思えた。惨めに思える自分……。
 
『気にしないでください』
 と、ルイが言った。その言い方はいつもと変わらず優しさで溢れていた。
「また同じこと繰り返してしまうかも……。その度に私は謝って許して貰おうとするのかも……」
『何度でも許しますよ』
 ケータイの向こうからそう聞こえたかと思うと、路地裏に差し込んでいた光が途絶えた。
 
アールが目を向けると、ルイが路地裏の入口に立っていた。
 
「気にしていないから、許すもなにもありませんけどね」
 と、逆光でハッキリとは見えなかったが、優しく微笑んでいるのだとアールには感じ取れた。
 
狭い路地裏に座り込んでいたアールに、ルイは手を差し延べた。アールは差し出されたルイの綺麗な手を掴もうとしたが、自分の手が汚れていることに気づき、躊躇した。けれど、ルイがアールの手をしっかりと握った。
 
「出ましょう。どうやら犬はもういないようですよ?」
 
手が汚れていることに気づいていないわけがない。きっと、気にしないのだろう。それがルイの優しさの一つ。
それでも、アールは彼の手を振りほどきたかった。彼の綺麗な手を自分が汚(けが)していると思えてならなかったから。
 
アールはこんな物語を思い出していた。
 
雪がチラチラと舞い降りる季節、ある大富豪の、まだ小さな一人息子が、散歩中に子猫を見つけた。
少年は子猫を抱き寄せた。子猫は少年のぬくもりが温かくて懐かしくて、何度も鳴き声を上げた。
少年は子猫を気に入って、家に連れて帰った。
でも、少年を出迎えた母親がこう言った。
 
「買ったばかりのお洋服が汚れちゃったじゃない! その猫は置いてきなさい! 病菌を持ってるかもしれないでしょ? ペットがほしいなら、“買って”あげるから──」
 
子猫は少年の母親にくびねっこをつかまれて、寒い寒い外へと追い出された。
玄関のドアが閉まるとき、少年は悲しい瞳で子猫を見ていた。
 
子猫は少年に、ありがとうと何度も何度も思った。
そして、何度も何度も謝った。
 
あんなに優しい少年の大事な洋服を汚してしまった。
僕が汚いからだ。ごめんね。
僕がもっと綺麗な猫だったら、もっともっと一緒にいられたのかな……。
 
少年が見せた最後の悲しそうな表情を思い浮かべながら、少年の家からゆっくりと離れた。
優しい優しい少年。僕と出会ったせいで、あんな悲しい顔をさせてしまった。
 
僕は悪い子。野良として生まれたのに、飼い猫になることを少しだけ夢見てた。
 
抱きしめられた温もりを知って、外の寒さがより一層強く身に染みた。
また、風を避けるようにいつもの路地裏へと入り、身を丸くして寒さを凌いだ。
 
 平気。大丈夫。
 兄弟も親もいないけど、
 ひとりぼっちだけど、大丈夫。
 
子猫は、少年の暖かい笑顔を思い出し、か細い声で鳴いた。
 
 
──それは、小学生くらいのときにアールが読んだ絵本の物語。
子猫の気持ちなんて、幼い頃は分からなかった。少年の母親はなんて酷いんだ……と、思っただけだ。
なぜ繰り返し「大丈夫」と言ったのか、誰に対して言ったのか、その時はまだわからなかった。
 

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©Kamikawa
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