voice of mind - by ルイランノキ


 無常の風14…『父』

 
アールは時折足元を注意しながら走った。黒いごみを見つけるたびについ立ち止まってエノックスかどうか確かめる。外に出るまでに1匹だけ、民家の塀に張り付いていていたエノックスを見つけ、勢いで踏み潰した。躊躇している暇はない。被害が起きないことを願った。
 
外へ飛び出すと、街のスピーカーから魔物の侵入を知らせる警報が鳴った。街の人々は室内に避難し、ありとあらゆる侵入口を閉じていく。
アールは周囲を見回し、ニッキの姿を確認した。見える範囲にはいない。外に出たわけではないのだろうか。足場を見遣り、足跡を探した。
 
「ニッキさーん!?」
 と、声を上げてみる。
 
もしも、考えている通りのことが起きていたら。彼が外に出る理由はひとつ。被害を拡散させないためだ。エノックスという魔物をどこまで知っているのかはわからない。エノックスに寄生されて見た目が変貌し、それを隠すために暑苦しい格好をしていたのかもしれないし、エノックスの脅威を知っていて撒き散らかしてしまわないようにと配慮してのことかもしれない。
 
「ニッキさんいませんかー?!」
 
声を上げ、耳を済ませた。かすかに助けてくれと声が聞こえた。
 

ニッキさんは本当に父に似ているんだろうか
それとも、私にだけそう見えているんだろうか

 
「ニッキさん!!」
 
アールの目に、ニッキと思われる男の後姿が見えた。その目の前には魔物が迫っている。アールは剣を構え、魔物に立ち向かった。
 

もしも私だけにそう見えているのだとしたら
その理由はなんだろう
 
ただ、会いたいと求めているからだろうか。

 
ニッキを襲おうとしていた魔物の首を撥ね、振り返った。マスクと帽子を取ったニッキの姿に愕然とした。見開いた目は真っ赤に充血し、爛れた下瞼からエノックスが這い出ている。鼻も腐ったようにひん曲がり、ボロボロにはがれた唇の皮、穴と言う穴からヒルのようなエノックスが湧き出し、やわらかい頬の皮膚も引き裂いて体中を這いずり回っている。
アールはニッキの変わり果てた姿にたじろいだ。
 
「どうして……こんな……」
「あ……がはッ?!」
 言葉を発しようとしたニッキは咳き込み、口の中を覆っていたエノックスを吐き出した。
 アールは動揺をにじませ、ニッキから距離を取った。どうすることもできない。
「昨日魔物に……足を噛まれた……」
「イズルさんと魔物を捕まえに行ったときですか……?」
「あ”ぁ……」
 ニッキは何度も咳き込み、粘り気のある唾液を垂らした。
「助からないんだろう……?」
「…………」
 答えられずに目を伏せた。
「自分で……調べたんだ……エノックス……気が狂う前に……ころ……」
「…………」
「ころし……」
 
ニッキの右頬が、ズルリと剥がれ落ちた。
 
アールの目には、ニッキではない、父の苦しむ顔がそこにあった。父の顔が見る見る爛れてゆく。父の見開いた目が救いを求めている。袖から、ズボンの裾から、エノックスがウジのように這い出てくる。地面に落ちたエノックスは人肉を求めてまた父の身体に這い上がってゆく。
 
「殺してくれ……」
 よたよたと、アールに向かって歩いた。
「や……やだ……寄らないで……」
「魔物も……襲ってきや……しないんだ……」
「来ないで……」
「頼むよ……助けてくれ……助けてくれよ…… 良子 」
 
「──?!」
 

あの時、本当にそう言ったのか
そう聞こえただけなのか
 
真実はきっと、
私の中でまた、幻聴として聞こえただけのこと。
父が私に救いを求めているように見えたから、そう聞こえただけのこと。
   
それでもそれは父の声で、私の名前を呼ぶ声だった。
 
そして
 
父の手が私の頬に触れそうになったとき、私は
父の首を撥ねた──

 
銃声が轟き、アールの目の前で、額に穴を開けられた父が血を流しながら倒れこんだ。頭は体から斬り離され、地面を転がった。その衝撃で体を這っていたエノックスが飛び散り、アールにへばりついたがヴァイスがすぐに払い落とした。
街からスィッタが呼んだ特殊部隊が駆けつけてくる。ヴァイスはアールを抱きかかえ、街の出入り口まで移動した。
 
「大丈夫か?」
 
と、アールを下ろして声を掛けるも、アールは一点を見つめたまま反応がない。アールの頬に触れて目を合わせた。
 
「しっかりしろ。アール」
「お……お父さんが……」
 と、うろたえた。
「ニッキだ。お前の父親ではない」
「でもっ……」
 パニックになるアールを、ヴァイスは抱き寄せた。
 

人の体温は どうしてこんなにも落ち着くのだろう
 
動悸で激しく呼吸を繰り返すごとに、ヴァイスの香りに包まれる
震える身体も、次第に落ち着いてくる
 
そして 泣きそうになるんだ。

 
特殊部隊はガスバーナーでエノックス共々ニッキの遺体をも焼き尽くした。街の中で徘徊していたエノックスも、一匹残らず焼き殺し、念には念をと住民には魔物を寄せ付けない薬を家の周りに撒き、もし見つけた際には素手で触れずにスィッタに連絡するか駆除する場合は潰して殺すよう、注意を促した。
 
暫くして、街の騒ぎもだいぶ落ち着いてきた頃、キャバリ街の裏口でヴァイスがひとり、グレフィティソードを持って誰かを待っていた。そこに、イズルがやってくる。
 
「ヴァイスさん! 遅くなってすみません。なんか魔物が出たとか騒ぎがあったみたいで」
「…………」
 ヴァイスは黙ったまま、グレフィティソードをイズルに渡した。
「これは? 確か懸賞品……」
「お前の父親が愛用していた武器だそうだ。ニッキからの贈り物だ」
「まじ?! 知らなかった……でもニッキさん、具合悪くて寝てるのに」
「……代わりに参加した。魔物を選んだのも、掛け金を出したのも、ニッキだ。賞金もお前に渡しておく」
 と、紙袋に入っている賞金も手渡した。
「わざわざ……ありがとうございます」
 と、イズルは頭を下げた。「ニッキさんの体調がよくなったら、ちゃんと礼を言っておきます。お金も届けます」
「……イズル」
「はい?」
「…………」
 
言うべきか、迷う。
いずれ知ることだろうが。
 
「ニッキのことだが」
 と、言いかけたとき、イズルの名前を呼ぶ女性が小走りで近づいてきた。
「イズル! イズル!」
「母さん?」
 イズルの母親は血相を掛けて、息を整えながら言った。
「ニッキさんが……亡くなったみたいなの……」
「え……なに、どういうこと?」
「いいから早く来て!」
「あ……うん……」
 イズルは困惑しながら、ヴァイスに頭を下げて母親とその場を後にした。
 
ヴァイスはイズルの後姿を暫く眺めていたが、近くの寂れた喫茶店へ向かった。
喫茶店の奥ではアールが力なく背もたれに寄りかかって座っていた。アールのために頼んでいたメロンソーダは、一口も飲まれないまま氷が溶けて層になってしまっている。
ヴァイスはテーブルを挟んで向かい側に腰掛け、一先ずコーヒーを頼んだ。アールが落ち着くまで、ここにいるつもりだ。
 

[*prev] [next#]

[しおりを挟む]

[top]
©Kamikawa
Thank you...
- ナノ -