voice of mind - by ルイランノキ


 一日三秋12…『色鉛筆』

 
「あら、ひとり? アールさんは?」
 
サルジュの家に訪れたのはヴァイスだった。アールから届いたメールを見せ、状況を説明。サルジュはそれならばと一応アールの衣装は用意しておき、ヴァイスの衣装を先に貸すことにした。客室を借りて着替えたヴァイスに、サルジュはワンピースを持って来て言った。
 
「これ。アールちゃんに二着用意していたから一着持って行っとく? うちに寄る時間が無くてどこかで衣装調達する時間もないままレストランに着たときのために。靴も用意してあるわ」
「すまないな」
 と、ワンピースを受け取った。
「もう一着あるからうちに来たらそっちを貸すわね。ディナーの時間に間に合いそうになかったら私が彼女を送り届けてあげてもいいわ」
「感謝する」
「いい夜を」
 
ヴァイスはサルジュ家を出て、コートを羽織った。落ちてくる雪が視界を塞ぐ。このまま吹雪にならなければいいが。
 
宿ではルイがキッチンで2人分の夕飯を作っていた。カイはすっかり落ち着いたのが今はぐっすりと眠っている。ルイはカイの体調を気遣ってヘルシーで栄養のあるものをと思ったが、アールとヴァイスだけレストランで美味しいものを頂いていると知ったらさぞ悲しむだろう。マゴイ肉を使った煮込み料理を考えた。
材料を切りながら、アールとヴァイスのことを考える。場所は詳しく聞いていないが、ドレスアップが必要となると高級レストランで間違いないだろう。テーブルマナーは大丈夫だろうかと余計な心配をする。カイの場合はテーブルマナーを知らなければ気にすることなくそのまま食べたいように食べてしまうが、彼女の場合は知らなければ気にするタイプだ。周囲を見ながらなんとかするかもしれない。それに彼が一緒なら……。
 
「…………」
 
二人はレストランでどんな会話をするのだろう。
ヴァイスは日ごろから口数が少ない方だ。だからほとんどアールが一方的にしゃべって、それを聞いているのだろう。
ルイは小さなため息をついた。正直、二人でレストランへ行くと聞いたとき、複雑な思いだった。二人で?と。ずるいとかそういった感情ではなく、明らかに嫉妬が含まれていた。
 
ルイはキッチンからカイを見遣り、まだ当分は起きないだろうと考える。夕飯は下準備だけ済ませ、買い足しに出かけようと思い立った。確か近くにスーパーがあったはずだ。ただ、まだ開いているだろうか。
 
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シラコの母親の名前はナタリーと言った。
アールに見破られ、隠し通せないと思った瞬間涙がこぼれた。自分を守るように膝を抱えてすすり泣く姿にアールの心は痛く傷ついた。
 
「誰にも弱さを見せられなかったんですか? シラコさんにも……」
 アールが問いかけると、顔を伏せたまま彼女は頷いた。
 そして、震える声で心情を語った。
「私は……自ら居場所を無くしたんです。今の私に与えられた居場所はここ……元いた場所に戻る気力も、戻りたいという思いも、今の私にはありません……」
「だから、おかしくなったふりを?」
「…………」
 ナタリーは嗚咽を漏らして泣いた。
 
アールは鉄格子に寄りかかるようにしてその場に座った。
 
「私も、心が……精神が壊れてしまったことがありました。今も、定期的に薬を飲んでいて、以前ほど幻覚を見たり幻聴を聞くことはなくなりましたけど」
 アールがそう話し始めると、ナタリーは伏せていた顔を上げた。
「旅仲間に見捨てられました。……って言うと聞こえが悪いけど」
 と、苦笑する。「少し休めって、旅を続けることをやめさせられました」
「あなたも……がんばりすぎたの?」
「……いえ。私の場合は、元々強くなかったんです。ずっと逃げたかったんです。でも逃げられなくて、がんばらなくちゃいけなくて、がんばろうと前向きに思っている自分と、怯えている自分が分離してしまって……おかしくなったようです」
「頼れる人は……?」
 と、ナタリーは優しく問いかける。
「…………」
 アールは目を泳がせ、口を閉ざしてしまった。
「共に旅をする仲間の中に、頼れる人はいないの?」
 と、訊きなおす。
「みんな頼りになる人ばかりですよ。ただ私は、弱さを見せるのが怖いんです。それに、プライドもあるし、なにより……」
 アールの脳裏に雪斗の存在が浮かぶ。
「私と似ているのね」
 ナタリーはそう言って、寂しそうに笑った。
 
シラコがアールに向かって母に似ていると言っていた言葉を、アールはようやく理解した。
彼は母親のことがあって、母のように不安定な私を見て救いたくなったのだろう。痛いほど抱きしめられた。あれはきっとナタリーさんにそうしたかったのだろう。彼は母親を救えなかったことを酷く後悔している。
 
「シラコさんにだけは、弱さを見せてもいいんじゃないですか?」
「…………」
 ナタリーは思いつめたように首を振った。
「お母さんの力になれなかったこと、酷く後悔しているようでした。もっと自分が頼りになる存在だったらこんなことにはならなかったって」
「彼のせいじゃないわ……」
「だったらそう言ってあげてください」
「出来ないの……」
「どうしてですか?」
「……怖いの。あの子を失うのが」
「失う?」
「あの子は毎日ここに来て私の話し相手になってくれる。優しく抱きしめてくれる。でも私が私ではなくなったからよ……。シラコは耳元でいつも呟くの。母さん、戻って来てって」
「演技だったって知られたら、シラコさんはあなたから離れていくと、思っているんですか?」
「そうよ……。マシューや夫のように……私に幻滅するの。そして、私を元いた場所へ戻そうとする」
 ナタリーは笑って、床に置いてあった絵本を手に取った。
「今のままがいいってことですか?」
「…………」
「ナタリーさん?」
「もう、疲れてしまったのよ……」
「…………」
「休みたいの……わかるでしょう?」
「…………」
 
アールがなにも言えずにいると、足音が近づいてきた。その途端にナタリーはまた少女のような笑顔を浮かべ、ぬいぐるみを抱いて絵本を読み始めた。
 
「遅くなってしまって、申し訳ありません……」
 と、シラコは息を切らしていた。その後ろにはメイドの姿もあった。
「いえ……」
 と、立ち上がる。
「なにもありませんでしたか?」
 アールはナタリーを一瞥して言った。
「うん、ぬいぐるみで遊んだり、絵本読んだりしてただけ」
「そうでしたか」
 シラコはホッとして、母に歩み寄った。
「新しい絵本、今度買ってきますね」
 ナタリーは嬉しそうに微笑んだ。
 
アールはそんなシラコの背中に向かって訊いた。
 
「シラコさん、あの話、本当ですか?」
「あの話……というと?」
 ナタリーはぬいぐるみに絵本を読み聞かせている。
「私の、愚痴吐き場になってくれるって。人肌が恋しくなったら、抱きしめてくれるって。泣き言を言いたくなったら、私のために時間を割いてくれるって。私の心にあるわだかまりが、解消されるまで」
 
本を読み聞かせていたナタリーの声がピタリと止んだ。
 
「えぇ、本当ですよ」
 と、ナタリーの隣でしゃがんでいたシラコは立ち上がり、アールと向き合った。
「いつでも?」
「いつでも」
 
シラコがアールに触れようとしたとき、「やめてッ!!」と、ナタリーが立ち上がった。
シラコは驚いて振り返ると、涙を浮かべた母が鋭い目を向けていた。
 
「母さん……?」
「あなたまでいなくならないで……あなたまで私を見捨てるの……?」
「なにを言ってるんですか……。見捨てたりはしませんよ!」
「その子を選ぶんでしょう? あなたも……私ではない他の女性を……」
 シラコは、両手で顔を覆って泣く母親を優しく抱きしめた。
「私は父とは違う……」
「だったらわかってくれるわよね……?」
 シラコは母と顔を見合わせた。
「母さん……?」
「もう、戻りたくないの……もうあんな生活は嫌なのよ!」
「……ですが、兄も父も、母さんの戻りを待っているのですよ」
「待ってなんかないわ! あの人たちが待っているのは王妃。私じゃない。常に気高く美しく、与えられた責務を華麗にこなし、夫を支え、愛し、王族として恥じぬよう振舞う王妃という存在を待っているだけ」
「……王族から身を引きたいということですか?」
「あなたも、私について来てくれるでしょう? 私を一人にしないで……」
「…………」
 
タイミング悪く、アールの携帯電話が鳴った。
 
「あっ、ごめんなさい……」
 と、鉄格子の外に出て階段まで移動した。
 
携帯電話を開き、電話に出る前に時間を見てぎょっとした。20時を過ぎている。──もうこんな時間!
 
「もしもし!」
 と、電話に出たとき、ナタリーの叫び声が地下室に響いた。
『もっしー、アール? 俺俺。心配してるんじゃないかと思って電話したんだ。大丈夫、俺もう元気』
 と、電話をくれたのはカイだった。
「それならよかった! ねぇ、お願いがあるんだけど!」
『うーん、今から会いに行くのは難しいかなあ。病み上がりだし。会いたいのはわかるけど。ていうかアール今どこにいんの?』
「ヴァイスに連絡して欲しいの! ごめん行けなくなったって! 埋め合わせは必ずするって! あと改めて謝るって!」
『えー、いいけどなんで?』
「全部伝えてね! じゃあね!」
 と、電話を切って急いでシラコの元へ戻った。
 
血まみれで床に蹲っているナタリーが目に入る。シラコは母親の名前を呼びながら揺さぶっていた。
 
「……なにがあったの?」
 アールが背後から覗き込むと、ナタリーの顔に大きな太くえぐられた傷がいくつもあり、首には青色の色鉛筆が突き刺さっていた。
「すぐに病院へ連れて行きますっ!」
 シラコはナタリーを抱き上げ「父に知らせてください!」とメイドに伝えた。

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