voice of mind - by ルイランノキ


 一日三秋5…『敬愛』◆

 
アールは同情されているのだと気づき、その腕を振り払おうとしたがシラコはより一層アールを強く抱きしめた。
 
「あの……離して下さい……」
「あなたは母に似ている」
「……?」
 
眉をひそめ、思い切り胸を押し退けようとしたがびくともしなかった。その力の強さにぞっとして、全力で突き離そうともがいたが、シラコは小さなアールの身体を絶対に離すまいと締め付けた。
 
「い……痛い! やめてくださいっ!」
 
アールが叫ぶと、シラコは我に返ったようにアールをその腕から開放した。
 
その頃、ずっと客間で待機していたヴァイスが、突然立ち上がった。
 
「どうかしましたか?」
 と、ルイ。
「いや、電話だ」
 と、ヴァイスは部屋を出た。アールの声が聞こえたような気がしたのだ。
「アールどこいったんだろうねぇ」
 カイはテーブルに出されていたお菓子のほとんどを食べ、満腹のお腹を擦りながらでソファの背もたれに寄りかかっている。
「おそらくですが、ここで働いている方に会いに行ったのではないかと」
 ルイは心当たりを思い出していた。シラコから顔に火傷を負った女性がいると相談を受けたことをカイに話した。
 
「もうしわけありません……」
 と、シラコは言った。
「……いえ」
 アールが腕を擦りながら短く答えると、シラコは思いつめた表情で口を開いた。
「私は、人が壊れる姿を見たくはないのです……」
「どういう意味ですか」
 怪訝そうに、シラコを見遣った。
「あなたが今にも壊れてしまいそうで」
「…………」
 
アールの心にじわりと滲み出てきたのは不快な感情だった。一番見せたくない弱い部分を覗き込み、全てわかったように口にする。優しさなのかもしれないけれど、自分にとっては必死に安定させようとしている心をかき乱すものでしかない。
 
「彼は、あなたの側にいますか」
 シラコはそう言って、アールの薬指に目を向けた。
「…………」
 アールはペアリングを嵌めている左手を隠すように体の後ろに回した。
「そばにいてほしいときに、そばにいないという現実が返ってくる。あなたに降り注ぐ痛みを癒すどころか、支えるどころか、求めれば求めるほど応えてくれない悲しみが痛みの上に重なって、あなたの心を蝕んでいく」
「彼の存在は、大きいです。心に寄り添ってくれています。それに、私には、仲間もいますから」
「あなたは先ほど自分が言った言葉を忘れたのですか? 彼のことを忘れ始めているのでしょう? 心に寄り添うどころか遠ざかっているように思うのですが。そして仲間では埋められない隙間もあるでしょう」
「そんなもの……自分で埋められる」
 むきになって、そう言い放ったが、シラコはそんなアールを憐れむように見下ろした。「ではなぜ、私に涙を見せたのでしょうか」
「それは……」
 ドクドクと不快に心臓が脈打って、嫌な汗を滲ませた。
 
──距離が近い人が苦手だ。誰にも荒らされないように分厚い壁を隔てていても、その壁を見て笑う者、壁を壊して侵入してくる者、壁より高い場所から覗き込む人、私は荒らしではありませんと穏やかに近づいて、気を許して壁を取っ払った途端に踏み荒らす人。
大嫌いだ。
 
壊れてしまいそう? そんなの自分が一番よくわかってる。必死に両足で立って「大丈夫」と余裕を見せても、ただの強がりで自分を偽ってるだけだからちょっとでも揺さぶられたら足元から崩れそうなこと。砂のお城のように脆く弱いから、崩れないように誰も近づかせず遠ざけていること。
 
「まだたったの2度しか会っていない私の前で涙を見せるのは、あなたの心にはもう、少しの余裕もない証拠でしょう」
「ちがう……」
「私はただ、あなたが私を選ぶのならその思いに答えたいと思っているだけです」
「え……?」
 
シラコはアールに一歩近づくと、後ずさろうとするアールの手を掴んだ。
 
「あなたが弱みを見せる相手です」
「…………」
「仲間だからこそ見せられない弱みも、私になら見せられる。違いますか」
「……離して下さい」
「関係ないからこそ、見せられる。私はあなたが望むなら、いつでも寄り添うつもりです」
「…………」
 アールは複雑そうにシラコを見遣った。
「誤解しないでくださいね。けっしてあなたの心にいる男性の代わりになれたらと思っているのではありません。あなたをどうにかしようと思っているわけでもありません。私でよいのなら、あなたの愚痴吐き場にでもなるという意味です。人肌が恋しくなれば私の身体を貸しましょう。あなたの心が落ち着くまで、抱きしめて差し上げます。泣き言を言いたくなったらいつでも私の時間をあなたに差し上げます。あなたの心にあるわだかまりが少しでも解消されてまた進めるようになるまで」
 と、シラコは自分の胸に手を当て、誓うように言った。
「なんで……そこまで……」
「言ったでしょう。私は人が壊れるのを見たくはないのです」
「…………」
  
シラコはアールの耳元に口を近づけた。
そして、あることを呟いたとき、人の足音がして二人は振り返った。
 
「ヴァイス……」
 ヴァイスが通路の先に立っていた。
 
シラコの手からアールの手がするりと抜け、アールは駆け足でヴァイスに向かって走り出した。シラコはその後姿を切なげに見つめ、ヴァイスを見遣った。
 
「客間ってこの近くだったっけ」
 と、アールは周囲を見遣った。
「あぁ。この先を左に曲がった先だ」
「よかった! お菓子まだ残ってる? カイに食べられちゃったかな」
 と、足早に客間へ戻っていく。
 
コツコツと靴音を鳴らしながらシラコはヴァイスに近づいて言った。
 
「盗み聞きでしょうか」
「人より耳がいい」
「そうですか。そろそろ展示会が開かれる時間です」
 と、客間に向かう。
「なにを企んでいる」
「…………」
 シラコは足を止めてヴァイスを見遣った。
「なにも。ただ、救いの手を差し伸べただけですよ」
「必要ない」
「…………」
 シラコはクスリと笑った。「本当に?」
「…………」
「自分の羽を休める場所として誰を選ぶかは、彼女の自由です。選択範囲は広いほうがいい」
「…………」
「国は違えど、同じ星で生きる者として、私も世界の平和を願っているのですよ」
「…………」
「それからなにか勘違いされているようですのでお伝えしておきますが、私は彼女を異性として見てはいませんのでご安心なさってください。あくまで事情を知っている者として、彼女を慕い、敬愛しているだけです。──貴方と違って。」
 

 
シラコはヴァイスに背を向け、悪戯気に笑ってルイたちが待っている客間へと迎えに行った。
 

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©Kamikawa
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