voice of mind - by ルイランノキ


 一日三秋6…『トラブル』

 
氷の彫刻展示会は、リオート街の一角にあるこの国で一番大きな美術館の外で行われていた。広い敷地内には雪が積もっており、通り道には雪を溶かす特殊な石畳が敷かれている。
美術館の入り口でシラコから渡されたチケットを持って並び、彫刻の写真と説明分が乗ったチラシを貰って裏庭に出る扉から外へ。風はないもののひやりと冷たい空気に目を細めたが、氷の彫刻は小さいものでも2メートル、大きなものでは6メートルもあり、その迫力に誰もが息を呑んで目を見開いた。
 
始めに一行を出迎えたのは自画像である。そして動物や伝説の生き物をモチーフにした彫刻から、植物、人までジャンルは様々で、来観者の視線を釘付けにした。たかが趣味でやっているとは思えない出来栄えである。
空から降りてくる日の光が氷の表面を照らしてより一層作品を輝かせた。
 
「うおー! これトラじゃない?! これトラ! アールトラ知ってる?」
 と、カイは動物の彫刻に目を輝かせた。アールからしてみればトラ自体はそこまで珍しくもないが、この世界で生きている人たちにとってはなかなか目に出来ない生き物であり、動物はどれも絶滅危惧種として扱われている。
「知ってる。本物みたい」
 後ろ足で地面を蹴り上げた瞬間を彫刻にしている。今にも襲い掛かってきそうな迫力があり、大きく開けた口の中も繊細に表現されていた。
 
アールの目を引いたのは、女性の像だった。片手を空に翳して、その細い指先には一羽の蝶がとまっている。その女性の背中にも大きな蝶の羽があった。羽の模様も細かく着色もされているためステンドグラスのようにも見えた。
 
「みなさん」
 と、シラコが声を掛けてきた。その隣にはシラコとは似ても似つかない男性が立っている。シラコは女性と見間違うほど中世的だが、隣の男性は短髪でガタイもよく、髭を生やしていた。
「こちらが兄のマシューです」
「こんにちは。俺の作品、楽しんでくれているかな」
 と、マシューは白い歯を見せた。
「えぇ、お招きくださり、ありがとうございます」
 ルイは率先して応えた。「どれも鳥肌が立つほど素晴らしいです」
「寒いからじゃないのか?」
 と、笑う。「ありがたいね。頑張った甲斐があったよ」
「趣味にしては凄すぎ!!」
 と、カイ。
「ありがとう。本気でやってたら父がいい顔しないからね。けど正直趣味のままで終わらせたくはないと思ってる。だから今回は父に俺の作品を見てもらって俺の才能に気づいてもらう戦略でもあるんだけどね」
「私もまさか兄がここまでのものを作っているとは思いませんでした」
 と、シラコもはじめて足を運び、驚いた。
「まぁゆっくり見てってくれ」
 
マシューとの挨拶も済ませ、それぞれ自由に作品を見て回ることにした。他にも客が多くいるため、通路を譲りながら時間をかけてひとつひとつの作品に触れる。
中でも一番人が集まっていたのは龍の彫刻だった。全長6メートルほどあり、顔の髭もうろこの一枚一枚も丁寧に掘られている。
 
「すごいねー」
 と、親子が指を差しながら話している。
「ぜんぶこおりなのー?」
「そうよ、大きな氷のブロックから削って作ったのよ?」
「すごーい!」
 
アールは氷の彫刻を眺めながら、シドを思い出していた。シドがここにいたら、どんな反応を見せていただろうか。あまり興味を示さないかもしれない。でも、さすがに動物や龍などには目を奪われるだろう。
 
全部で30近くある彫刻を、どのくらいの時間をかけて作ったのだろうと思う。
アールは、最後の作品の前でシラコが立っていることに気がついた。城内の通路でシラコから耳打ちされた言葉を思い出し、一言言いたくなって声を掛けようとしたものの、作品を見上げているシラコの表情がとても険しく気安く声を掛けられる空気ではなかった。
 
「……?」
 アールはシラコが険しい表情で見上げている彫刻を見遣った。凛と佇む美しい女性の像がある。
「あの……あのっ、シラコさん?」
 アールが意を決して声を掛けると、シラコは少し間を置いてアールに気がついた。
「アールさん……」
「どうしたんですか? 凄く……怖い顔で見てましたけど」
 と、女性の像に目を遣った。
「……いえ」
 
──と、そのとき、急に会場が騒がしくなり、子供の泣き叫ぶ声が聞こえてきた。
なにかあったのだろうかとアールがすぐに駆けつけると、妖精を模った彫刻の羽が折れ、通路に落下していた。
 
「怪我はありませんか?!」
 と、マシューが駆けつけると、泣いている少年の母親がマシューに向かって土下座をした。
「すみません! すみません!! うちの子が……っ」
「え?」
 状況を把握しようと周囲を見遣り、近くにサッカーボールが転がっていることに気がついた。
「あのボールは君のかい?」
 マシューは少年に訊く。けれど少年は泣いてばかりで答えなかった。
「そうです……うちの息子がボールを蹴って……ここではボールで遊んじゃダメだって入る前に注意したんですけど……」
 母親は必死に頭を下げて謝った。
「顔を上げてください。怪我はなかったのですね?」
「怪我はありません……」
「じゃあ泣いているのは驚いたからかな」
 と、困ったように笑って、少年に近づき、頭に手を置いた。
「あんなに高いところまで飛ばしたのかい? 凄いね」
「ごめんなさい……」
 と、やっと少年は泣き止んでマシューを見上げた。
「お母さんの言うことは聞かないとダメだよ? もしかしたら誰かが怪我をしていたかもしれないだろう?」
「うん……」
「でも、ボールを受け付けで預かっていればこんなことにはならなかったわけだし、君だけが悪いわけじゃない。今後は気をつけるようにね」
「はい……」
「あのっ……私はどうしたら……」
 弁償、といっても売り物ではない。お金で解決するとしても、いくら払えばいいものか。
「どうもしなくていいですよ。作品は全部見られましたか?」
「いえ……まだ……」
「でしたらゆっくり見て回ってください」
「でも……」
「そのあとはどうか、マシューという名の新人のことを口コミで広めれ下されば十分ですよ」
 と、マシューは冗談半分に言って、周囲を見遣った。
「みなさま、すみませんがこの彫刻の前は通らないようにしてください。羽がなくなってバランスを崩して倒れかねませんので、応急処置をするまではご協力お願いします」
 
マシューの優しい対応に、自然と拍手が沸き起こった。
アールはほっとしたと同時にルイやカイの姿がないことに気がついた。カイはともかく、ルイなら真っ先に様子を見に来そうなのだが。そして、いつのまにかシラコの姿もどこかへ消えていた。
 
マシューはほうきを用意して粉々に砕けてしまった彫刻の一部を通路の端に寄せながらある人物に電話を掛けたが繋がらない。
 
「困ったな……」
 と、電話を切って周りを見遣り、ヴァイスが目に入った。──あれは確かシラコが連れていた知り合いの1人だ。
「すみませんが」
 マシューはヴァイスに声を掛けた。
「シラコのご友人ですよね」
「……知り合いだが」
「申し訳ないのですが、少し頼まれてもらえませんか」
「なんだ」
「いつも彫刻に使う氷を手配してくれるイエロさんと連絡が取れないんだ。ここだけの話、あの妖精の彫刻は人から依頼されたものでね、明日にはその依頼主に受け渡す予定だったんだ。すぐに作り直したいから電話したんだが……」
「どこにいるのかわかっているのか?」
「えぇ、きっと《つらら》という居酒屋に入り浸っていると思うんだ。酒を飲んでいると連絡が取れないからあの人は」
 と、苦笑する。
「捜しに行けばいいんだな?」
「頼めますか? 初対面なのに申し訳ない」
「かまわん。素晴らしい作品を見せてもらった礼だ」
 と、ヴァイスは居酒屋の詳しい場所を聞き、すぐに向かった。
 
マシューは羽を失った妖精の彫刻にブルーシートをかけようと思ったが、目立ってしょうがない。他の作品の世界観を壊したくは無く、頭を悩ませた。そして、通路の脇に積もっていた雪でブルーシートを隠すように乗せていき、雪でツリーを作って見せた。
 

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©Kamikawa
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