voice of mind - by ルイランノキ


 一日三秋4…『救いの手』◆

 
客間を出ると、待っていたシラコが「こちらです」と、アールをどこかへと案内し始めた。
 
「あの……」
「歩きながらお話を聞いていただきたいのですが」
「あ、はい」
 長い通路を歩きながら、シラコは言った。
「実はご相談したいことがありまして。城内の食堂で働いている20代の女性がいるのですが、数ヶ月前、不注意で顔に火傷を負ってしまったようで」
「それは災難でしたね……」
「笑顔が素敵な女性で、兵士たちからも人気があったのですが、火傷は完治したものの痕が残ってまったようで、それを気にしてか表に出ることがなくなり、今はずっと厨房の奥で働いています。笑顔もすっかり消えてしまったようで」
「それで……私は?」
「アールさんはお若いので、メイク術をご存じではないかと。ルイさんに今回の展示会のことでお話をしたついでにこの話をしたのですが、アールさんならお化粧で目立たないようにしてくれるかもしれないとおっしゃられて」
「あ、そういうことですか……。お役に立ちたいんですけど、正直火傷痕がどのくらいのものかわからいので……」
「一応見ていただけますか? 彼女には伝えてありますから」
「その方はなにか言っていましたか?」
 と、余計なお世話にならないかと不安になる。
「化粧をすることで少しでも目立たなくなるのならと前向きでした。彼女はこれまでお化粧をしたことがないそうです」
 
シラコに連れられてその女性が働く厨房へ向かうと、まだ食事時ではないため食堂には誰もおらず、厨房の奥からエプロンとマスクをした女性が小走りで近づいてきた。そして、マスクを外しながらアールに頭を下げた。
 
「わざわざすみません……モエと申します」
「モエさん? 可愛い名前ですね。私はアールです」
 と、女性の頬を見遣った。確かに火傷の痕があるが、思っていたより範囲は小さい。
「目立ちますか……?」
「いえ、メイクで目立たなくは出来るかと思います。メイクしてみましょうか」
「是非、お願いします」
 
自分のメイク道具を出そうと思ったアールだったが、シラコが兵士の空き部屋へと二人を案内した。そこには既にメイク道具一式が用意されており、複数のハイブランドが揃っていた。ファンデーションが色の濃さ順に並んでおり、マスカラもチークもグロスもテーブルいっぱいに並べられ、必要なものは全て揃っている。
 
「すごーい!」
 と、二人は目移りした。
「化粧品に関して私は全くわかりませんでしたので、お店の方に聞いて一式揃えてみることに致しました。お好きなものを使ってください。私は部屋の外で待っております」
 と、シラコは部屋を出て行った。
 
モエという女性は早速椅子に腰掛けた。アールも椅子に座り、テーブルに並べられているメイク道具を確認。化粧水まであったため、まずは肌を整えることにした。
 
「シラコさん、優しいですね」
 と、アールはコットンに化粧水を染みこませ、彼女の顔にパッティングをしはじめた。
「えぇ、とても。だからここで働いている女性たちは困っているんです」
「あ、もしかしてシラコさんよりいい男性がいないからですか?」
「そうです。周りの男性がしょぼく見えてしまって」
「ふふ、ちょっとわかります」
 と、アール。「あ、化粧水とか乳液の使い方はわかりますか?」
「ごめんなさい、あまりわからないの」
「では──」
 と、アールはひとつひとつ説明しながらメイクを始めた。
 
そのため、少し時間が掛かってしまったが30分ほどでフルメイクが完成。特殊メイクではないため、火傷痕を隠すのには限界があったが、手鏡を渡して見てもらうと彼女の表情はみるみる明るく輝いた。
 
「自分じゃないみたい!」
 その笑顔を見て、アールはミシェルを思い出した。彼女もこんな風に喜んでくれていたっけ。
「あまり隠せなくてごめんなさい」
「全然! 十分よ……」
 と、アールを見遣った。「本当にありがとう」
「いえいえ」
 と、照れ笑い。
「私ね、火傷したばかりのときはもっと酷かったの。それで……お付き合いしていた人と連絡が取れなくなってしまって」
「え……なにそれ酷い……」
「でもおかげでそういう人だったんだって知ることが出来てよかったとも思っているの。このままだったら結婚するところだったから」
「…………」
 結婚まで考えていた相手ならよりいっそう複雑だ。
「火傷痕に関して私はそこまで気にしてなかったのよ。もちろん酷かったときは心底ショックだったけど、だいぶよくなってきたし。ただ、周りの哀れむ目は辛いの。気にしてないのに『大丈夫?』って。視線も私の目じゃなくて頬に向けられるし」
「そうですよね……」
「でもなんかどうでもよくなっちゃった」
 と、彼女はもう一度鏡に映る自分を見遣った。
 
アールはそんな彼女を眺めながら、元々とても前向きで明るい人なんだろうと思った。女性は顔にニキビが出来ただけでも悩むし落ち込む。それが火傷となると気にしないわけがない。でもそれ以上に彼女はメイクを施した自分の顔を見て嬉しそうに笑っていた。
 
「シラコさん!」
 彼女は部屋のドアを開けて、シラコにその笑顔が似合う顔を見せた。
「どうですか? 自分で言うのもなんだけど、綺麗になったでしょう?」
「えぇ、とても」
 と、シラコは満点の受け答えをした。そして、アールに向かって一礼をした。
「化粧品ですが、すべて差し上げますので、また兵士のみなさんに笑顔をわけていただけませんか。無理にとは言いませんが……」
「もちろんです!」
 モエはむしろこんなにも変わったことを一人でも多くの人に見せたくてしょうがなかった。
 
アールは使った化粧品を綺麗に元の位置に戻しながら、席を立った。
 
「アールさんも、お礼になるかどうかわかりませんが、気に入った化粧品がありましたらプレゼント致しますよ」
「あ……私はお気持ちだけで」
 と、笑顔を向ける。
「どうして?」
 と、モエ。「せっかくだからもらったら?」
「お化粧する機会ってほんとにないんです。宝の持ち腐れになってしまうので」
「それはもったいないですね」
 と、シラコはアールに近づいて頬に触れた。
 
アールはどきりとして一歩後ずさり、ヴァイスに言われた言葉を思い出して動揺した。
 
 ……あまり触らせるな
 
「失礼」
 と、シラコは手を下ろした。
「そういうの、ダメですよ。ね?」
 と、アールは助けを求めるようにモエを見遣った。
「私は全然いいんですけどね? 恋人がいらっしゃる女性に触れるのはダメですよ?」
 モエはアールの薬指を見て、笑いながら言った。
「なるほど」
「あ……じゃあ私はそろそろ……」
 と、部屋を出る。
「アールさん、ありがとう」
 モエは改めて礼を言った。
 
シラコはアールをルイたちが待っている客間に送り届けながら、気になっていることを口にした。
 
「その恋人は今どちらに?」
「……この世界にはいません」
「なるほど。それでも好きでいられるものですか?」
「…………」
 どういう意味? と、眉間に皺を寄せる。
「すみません、失礼なことを」
 シラコにとっては純粋に知りたかった質問だった。
「いえ……」
「私はこれまでお付き合いをした女性はおりますが、そこまで人を愛せたことがないのですよ」
「え……? それって……好きじゃないのに付き合ってたってことですか?」
「私はきちんと愛していると思っていたのですが……どの女性にも同じ理由で振られてしまいました」
「シラコさんが?」
 こんな綺麗な王子様を振る女性を見てみたい。
「愛されている気がしない、と」
 シラコはそう言って、視線を落とした。
「それは……難しいですね」
「えぇ。私は本当の愛を知らないのかもしれません」
「…………」
 
本当の愛、と言われると、アールも首を傾げた。本当の愛とは?と訊かれても答えることが出来ない。
 
「アールさんは真実の愛をお持ちのようで」
 シラコはアールの薬指を見遣った。「羨ましいですね」
「…………」
 真実の愛って、なんだろう。
「なにかまた失礼なことを言ってしまいましたでしょうか……」
 シラコはアールの沈んだ表情を見て言った。
「あ……いえ。改めて言われると、私もよくわかりません」
「…………」
 シラコは考えこむように虚空を見遣った。
「本当の愛、真実の愛ってなんなんでしょうね……」
「アールさんはその指輪の男性に対する愛に、自信はおありですか?」
「自信……?」
 と、シラコを見遣ると、彼は足を止めてアールと向かい合わせに立った。
「離れていても、会えなくても、ずっと彼だけを見ている自信です。この先もずっと、彼だけを愛し続ける自信です」
「……あるけど」
 と、返答に間があった。
「なにがあっても、ですか?」
「どういう意味ですか?」
「あなたは世界中の人間を知っているわけではないでしょう。また、彼の全てを知っているわけでもない」
「…………」
「あなたの心には少しも、他の男性が入る隙はないのですか? あなたの全てを受け入れ、愛し、あなたのために命を捧げる男性が現れたとしても、あなたの心はその指輪の男性で埋め尽くされ、微動だにしないのでしょうか」
 アールはシラコから目を逸らした。
「私は……私には心に決めた人がいるから」
 と、薬指の指輪に触れる。
「未来のことは誰にもわからないと思いますが、なぜもう決めてしまうのです?」
「……やめてください」
「そう思いたい、そう感じる、というだけでしょう。私にはあなたが、無理をしているように見えるのですよ」
 と、再び歩き出す。そしてこう続けた。
「他の男性を心に入れていはいけない。なぜなら心に決めている人がいるから。それなのに他の男性に心が揺らぎでもしたら自分を信じられなくなる。そして彼に申し訳が立たない。離れていてもきっと彼も自分だけを見ていてくれる。自分を待ってくれている。彼ほど自分を愛してくれる男はいない。──どれもこれも確かなものではなく、そうであってほしいという願望からからそう思い込んでいるだけのことではないでしょうか」
 
ふと、アールの足音が聞こえないことに気づき、シラコは足を止めて振り返った。
アールは立ち止まって、俯いていた。
 
「申し訳ありません……。少し……いえ、大分むきになってしまいました」
 と、慌ててアールに歩み寄った。
「羨ましかったのです。あなたがはっきりと彼に対する思いに自信がおありだと答えたことが。私にはそれができませんでしたから……」
「…………」
「怒って、いますか?」
 アールは下を向いたまま、首を振った。
「アールさん……すみません……」
「私……彼の声も顔も、もう夢の中では聞こえないし見れないんです」
「え?」
「それって……どういうことかわかりますか?」
 泣きそうな声で訊くアールに、シラコは答えることが出来ずに首を振った。
「私、この世界に来たときから、彼のことを思い出すのが辛くて思い出さないようにしていたんです。そしたら……忘れちゃいました……」
 と、悲しげに笑う。
「今更どんなに彼を思っても、彼は出てきてくれません。彼を怒らせてしまったんでしょうか……。彼のこと大好きなのに。今でもそばにいてくれたらと思うのに、忘れちゃったんです。……そんなのおかしいですよね。忘れたくなんかないのに」
「アールさん」
 シラコはアールの手を取り、薬指に嵌められている指輪を見遣り、親指で撫でるように触れた。
「……この指輪を外したら、彼への想いや、彼が私に向けてくれた想いとか、彼とのつながりがすべてなくなってしまいそうで怖いんです。この指輪だけが唯一彼と繋がっているものだから」
「では、自信があると言ったのは、嘘なのですね」
 
「……はい」
 
かすれた声で素直にそう言ったアールは、あふれ出る涙を止めることが出来なくなった。
誰にも言えなかった彼への思いが、涙となって流れていく。
シラコは優しくアールの手を引き寄せて包み込むように抱きしめた。
 

 
「申し訳ありません……。あなたへの興味から、どうしてもあなたの本音が聞きたかったのです……」
 アールが鼻をすする音が響いた。
「泣かないでください……」
 アールはシラコを軽く押しのけ、袖で涙をぬぐった。
「泣いてないです……すいません……もう大丈夫です」
「…………」
「ちょっと最近不安定で……いろいろあったから……」
「……あなたはどうしてそうも強がるのですか」
 
シラコは無理して笑うアールが記憶の中の女性と重なり、言い知れぬ不安を覚えた。
 
「先に戻ります」
 と、アールは足早にルイたちが待っている部屋へ戻ろうと歩き始めたが、シラコはそんなアールの手首を掴んで再び胸に引き寄せた。
 

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