voice of mind - by ルイランノキ


 海底の町12…『全力で』

 
アクアスーツを着るときに、シドの腕にお揃いのブレスレットがないことに気付いた。
いつ外したんだろう、自ら外したのかな、それとも無くしただけかな。捨てたのかな……そんな風に考えると心が痛くなってしまうから、考えないことにした。
 
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宿に戻ったアールは部屋にある洗面所で顔を洗い、コテツからもらった精神安定剤を服用した。胸を押さえ、深呼吸を繰り返した。心が追いつかないことばかりだ。けれど、最近気付いたことがある。
アールは鏡を見ながら手ぐしで髪をといた。以前は何本も指に絡まるように抜けていた髪が、今ではほとんど抜けることがなくなった。
──対応。
 
「…………」
 複雑な感情が心の中を煙のように充満する。
 
ふいに、キャバリ街で出会ったニッキを思い出し、嫌な汗が滲んだ。
コンコンと誰かが洗面所のドアをノックした。アールは慌てて精神安定剤が入った瓶をシキンチャク袋に入れた。
 
「夕飯できましたよ」
 と、ルイの声。
「はーい、すぐ行くー」
 
明るく返事をして、鏡を見遣った。ニキビ痕はあるものの、ニキビ自体はない。旅をしていると自分の顔を眺めることなんてほとんどなくなっていたけれど、よく見ると心なしか顔つきが凛々しくなっているような気がする。
頬を膨らませ、顔のマッサージをした。
 
夕飯を食べ終えるとヴァイスはふらりと部屋を出て行き、カイはベッドにダイブした。アールはルイと食器を片付けながら、カイを見遣った。
 
「食べたらすぐに寝るのになんで太らないんだろう。羨ましい」
 毎日結構な距離を歩いて戦闘を繰り返しているのだから太るほうが難しいが、彼の場合は大食いで、尚且つお菓子は別腹なのだ。
「俺っち、こう見えても腹割れてますから」
 と、カイはペロンと服をめくってお腹を見せたが、アールはちょうど食器をキッチンに運んでいるところだった。
「風邪引きますよ」
 と、ルイ。
「アールにサービスしたのに!」
「私より筋肉あるのになんでいつもすぐダルそうにするのよ」
 アールはキッチンから戻ると床に座った。
「気持ちの問題なんだよ。どんなに筋肉あってもさぁ、やる気がなかったら腹筋1回ですら面倒くさいもん」
「やる気出そうよ……」
 と、アールは苦笑した。
 
9時まで宿で時間を潰すことにしたアールは、シキンチャク袋からノートを取り出した。
この青いノートは、旅を始めた頃から愛用していて、残っている白紙のページはあと3ページしかない。パラパラとめくり、これまで出会った人たちの簡単なプロフィールや、魔物に関する情報、そしてムスタージュ組織についての情報などを読み返した。
数行の日記だけは意図的に読み返さなかった。
 
「ルイってなにかノート使ってる?」
 洗い物を終えて戻ってきたルイにそう訊いた。
「えぇ、出納張、ちょっとしたメモをとるノート、本用のノートなど色々と」
 そう言って、テーブルの向かい側に座った。
「本用のノート?」
「これまでに読んだ本をメモしているんです。同じ本を買ってしまわないように」
 と、ルイはシキンチャク袋からそのノートを取り出し、アールに手渡した。
 
アールはそのノートをパラパラとめくり、まずその綺麗さに驚いた。本当にこれが10代の男の子が書いたノートだというのだろうか。本のタイトル、著者名、その本の粗筋と、感想が7行でまとめて書かれているのだがきっちりと整理されていて、読みやすい。その綺麗に整われた書き方はノートの中盤になっても続いていた。
 
「ルイにはノートあるあるが通じなさそうだね」
「ノートあるある?」
「新しいノートの使い始めは綺麗に書いていこうと思ってがんばるんだけど、中盤にもなると字が汚くなってきたり雑になったりするの。だから最後まで使わずにまた新しいノートに今度こそ綺麗に使っていこうと思って書き始めるんだけど、やっぱり中盤になると汚くなっちゃう」
「なぜでしょうか」
「わかんない」
 と、アールは笑いながらノートをルイに返した。
 
携帯電話が鳴った。アールはポケットに入れていたケータイを取り出して着信相手を確認した。
 
「ヒラリーさんからだ……」
「…………」
 ルイは無言で視線を向けた。
 
少し戸惑いながら、電話に出た。
ヒラリーの第一声は、とても明るいものではなかった。何度も電話してごめんねと謝って、少し無言の時間が流れてからシドの名前を口にした。
 
『シドと連絡が取れなくなっちゃった……。何度も電話したせいかな。着信拒否されちゃったのかな』
「ヒラリーさん……」
『ごめんね。アールちゃんにこんなこと話してもしょうがないってわかってるんだけど、私……シドを失うような気がして怖いの』
「失う……?」
『嫌な夢を見ちゃって……もう、帰って来ない夢。やっぱり私が嘘をついてしまったことがきっかけだよね。私がちゃんと話していたらこんなことにはならなかったのかな。私が……あのとき私がちゃんと犠牲になればよかったのかな……』
 
声が震えていた。泣いているのだとわかった。あんなに笑顔が柔らかくて優しいヒラリー。泣いている姿なんて想像できなかった。だから、酷く心が痛んだ。
 
『私だけでも彼らの要望に応えていればこんなことにはならなかったかもしれないのに……』
「そんなこと……言わないでください……。あまり自分を責めないでください」
 

大丈夫ですという言葉も、私を信じてくださいという言葉も、喉から出掛かって、飲み込んだ。
安易に口には出来なかった。シドの命が掛かっていることだから尚更。
でも、それでもなんの保証もなくても言いたかった。 大丈夫です、私がなんとかします。安心して信じていてくださいと。必ずシドを取り返しますから、と。
言いたかった。なんの根拠も自信もないのに。その場限りのなぐさめにでもなればと。
でも、そんな優しさなど必要としていないのをわかっているから言わなかった。

 
『ジムさんから連絡があったの……』
「え……?」
『余計なことは言うなって。シドの命が惜しければ、大人しくしていろって……』
「…………」
 
少しでも彼をいい人そうに感じた自分が腹立たしかった。本当にこの人がヒラリーさんを?と思った自分が憎かった。普通に私たちと会話を交わす彼に、酷い苛立ちを覚えた。
ヒラリーを脅し、シドを騙して平然としてる。
 
絶対に許してはいけない。
 
「私がいます」
『…………』
「私だけじゃなく、ルイもカイもヴァイスも、スーちゃんだっています。シドには、私たちがいます」
 
その言葉に、ルイは黙ったまま頷いた。
 
『アールちゃん……』
「全力で、守ります」
 
守れるかどうかはわからないけれど、私たちに出来ることはなんだってする。
守りたいものを守るためならどんなに汚いことだって、出来ると思った。
 

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