voice of mind - by ルイランノキ


 海底の町11…『存在しない言語』

 
「遅くなってごめんなさい」
 と、主催者の女性がアールを捜して本屋へやってきた。
「交渉したら、夜なら空いてるって」
「夜……」
 夜、海の中へ潜るのは危険だ。
「地上で待つそうよ」
「地上で? 海から出てきてくれるんですか?」
「えぇ、今日は満月だから。満月の日には地上へ上がって、月に祈りを捧げるらしいの」
「何時頃ですか?」
「10時よ」
「わかりました。ありがとうございます」
「くれぐれも、話し方には注意してね。いきなり半魚人の話をされたら海に帰ってしまうわ」
「難しいな……わかりました」
「私の家はB地区の角にあるから、なにかあったらいつでも」
「はい、ありがとうございます」
 と、アールは彼女を見送った。
 
「行くときは僕も行きましょうか」
「うん、助かる」
 と、手に取っていた本を置いた。
「読みたい本はありませんでしたか?」
「うん、特には。それに今はゆっくり本を読む時間もなさそうだし」
「そうですね。鍵は全部で4つ。あと2つ」
 ルイも本を棚に戻した。
「でも……アリアンの像、見た?」
「え?」
「これまで鍵は首に掛かっていたけど、あの像には掛かってなかった」
「本当ですか?」
「うん。見間違いじゃないと思う」
「…………」
 ルイは考えるように虚空を見遣った。
「流されたってことはないよね?」
「それだと探すのは困難でしょうね。クラーケンかギルマンが関わってる方が助かります」
「あのクラーケンってイカだよね。大きかったけど、弱点とかないのかな。水中で戦うのは大変そう。だって巨大ダコですら苦戦したのに……あれよりは小さいけど。ていうかあのタコもクラーケンって言ってなかった?」
「えぇ、タコもイカも魔物はクラーケンです。イカがスクウィッドクラーケン。タコはオクトパスクラーケン」
「英語名か……」
「えいごめい?」
「英語」
「えいご?」
「…………」
「…………」
 二人は無言で顔を見合わせた。
「え、冗談でしょ? 英語だよ、英語。HELLOとか」
「ハロー? 挨拶ですか?」
「うん、それ英語でしょ?」
「えっと……すみません、エイゴというのはなにを意味する言葉ですか?」
「…………」
 
アールは開いた口が塞がらなかった。英語じゃないならなんなんだ!
 
「HAPPY! てどういう意味……?」
「うれしい、ですね」
「ですよね。じゃあ、SORRYは?」
「すみません、ですね」
「ならTIMEは?」
「タイム? 時間、ですね。」
「ですよね、じゃあ、Do you have the time?」
 勉強をしてこなかったアールから出てくる英語も英単語も、簡単なものばかりだった。
「ドゥユー…?」
「嘘でしょマジか……」
「すみません……」
 と、訳もわからず謝るルイ。
「えーっと、英語じゃないならそれらはなんなの? あ、SORRYってどう書くの?」
 と、アールはシキンチャク袋からノートとペンを取り出した。
 
ルイは小首をかしげながら、ノートにこう表記した。
《SORRY》
 
「英語じゃん! これ、英語って言わないならなんていうの?」
「ペオーニア語です」
「え、なにそれ」
「エスポワールの北側に存在する国の名前で、そこから全世界に広がった言語です。もしかして先ほどのドゥーユー…はペオーニア語ですか? もう一度話してもらえますか?」
「……いや、多分私の発音が悪すぎたんだと思う。じゃあこれって“ペオーニア字”って言うの?」
「えーっと……?」
「ペオーニア語って、言語の名前でしょ? じゃあその字の名前は?」
「エー字といいます」
「……へぇ」
 アールはとりあえずそのことをノートにメモしておいた。
「他にどんな字があるの?」
「タイヴァス語のタイ字ならありますよ」
 と、ノートにスラスラと記号を書いたルイだったがまるで梵字のようだった。
「なんじゃこりゃ」
「タイヴァスという国で使われている字です」
「そうだろうと思ったけど」
 
英語が存在しないわけではない。英語は存在しているが、英語とは言わないだけ。
枝分かれした世界という考えは、信憑性を増すばかり。
 
「カタカナはあるでしょ? こういうの」
 と、アールがノートに《アイウエオ》と書いた。
「えぇ、ありますね」
「こっちの世界ではペオーニア語って言われてる英語は私の世界では一番使われてる言語なの。でも私の国の人達は私も含めてその英語が苦手な人が多いよ。逆にカタカナは私の国で生まれたんだよ。英語とか外国語を片仮名表記にしたり、物音も片仮名が多いかな。ガタガタとか、ドンドン!とか」
「片仮名の使い方は同じですね」
「そうなんだ! あ、そうだよね、小説読んでて思った」
 
同じようで、同じじゃない。繋がっていないようで、繋がっているように思える別世界。
不思議でたまらない。
 
「英語しゃべるの苦手だけど、歌は好きだったから洋楽とか歌えるよ」
「よう楽とはどんな歌ですか?」
「…………」
 歌おうと口を開けるも、閉ざした。
「やっぱやめた。本屋さんでは歌えないよ」
 と、笑った。
 
━━━━━━━━━━━
 
シドたちが海へ出ていた間は大人しく宿で待機していたジャックだが、今はイラーハ町を離れて地上にいた。携帯電話を耳に当てたままイラハ村の森を進み、足を止めた。
そこにいたのはローザだった。ローザはジャックを見て不敵な笑みを浮かべながら携帯電話を下ろした。ジャックも通話を切り、ポケットにしまった。
 
「何者だあんたは……」
 と、ジャックは警戒心を向けた。
「あなたの仲間よ。そう言ったでしょ?」
「信用できるか」
「それはあなたもでしょ? 私には属印がある」
 と、二の腕にある属印を見せた。
 
ジャックもムスタージュ組織の一員であることを示すために、服をめくって腰にある属印を見せた。
 
「あら、本当に組織に入ったんだ?」
「どういう意味だ」
 と、服を下ろす。
「あんたのこと調べたけど、脅されたんでしょ? で、仕方なく組織に入ったって感じ?」
「…………」
 否定はできない。
「グロリアのお友だちだったんじゃないの? 自分の命の方が大事だった?」
「黙れ……」
「あまり組織を甘く見てるとバカを見るわよ」
「そんな話をしに来たのか。誰から俺の連絡先を聞いた」
「偉そうにしないでくれる? 私、こう見えても、第一部隊所属なの」
 と、ローザはジャックに歩み寄った。
「第一部隊……」
「あんたは組織の仲間とはいえ、なんの力もないでしょ? 下っ端中の下っ端。あんたの首をへし折るくらい簡単なんだから」
「そんな奴が俺になんの用だ……」
「見込んで頼みがあるのよ」
「頼み?」
「アリアンの塔を探しているのよね。もしそこでグロリアちゃんが何者かわかったら、すぐ私に連絡して欲しいの。特別に、一番に」
「なにをしようっていうんだ」
「それは何者か次第、かな。別にいいでしょ? どうせ第一部隊にも伝わるんだし」
「報告を待てばいいだろう」
「だから、偉そうにしないでくれる? なんなら直接彼女を襲ってもいいのよ? 勝手な行動をとって上から扱いづらい奴だと見なされて消されても平気だし。だって、消されるっていっても、死んだら私の力が宿ったアーム玉がシュバルツ様のお力になれるんだから、本望よ」
「ひとりで行動しているのか」
「さあ、どうでしょう」
「お前は俺のことを調べておいてお前のことはなにも教えてくれないのか……」
「気になるのなら自分で調べればいいじゃない」
「…………」
 ジャックは苦い顔をして視線を逸らした。
「出来ないわよね、こうやってちょっと一人で行動するだけでも冷や冷やものだものね、立場上」
「…………」
「グロリアに手を出すなって、思ってても言えないわよねーえ」
「なに……?」
「あなたの身体は組織のもの」
 と、ローザはジャックの背後に回り、属印がある腰に触れた。「じゃあ、あなたの心は?」
「…………」
 
二人は顔を見合わせた。涼しい風が木々を揺らした。
 
「ま、私はあなたのような下っ端には興味ないから、あなたがどんな風に生きようが死のうがどうでもいいけど。──連絡してね、ジャックさん」
 ローザはジャックの頬を撫で、ニコリと笑って背を向けた。
 
その瞬間、ジャックの携帯電話が鳴った。確認すると、ベンからだった。慌てて町へと引き返す。
 

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