voice of mind - by ルイランノキ


 説明不足の旅11…『背離』

 
1匹、2匹、3匹……と、次々に現れる魔物をシドは斬り殺してゆく。魔物の呻き声と共に魔物の体内を流れていた血が外へと勢いよく飛び散り、刀に付いた血を振り払ってはまた血を浴びて赤く色づく。
 
休息所を出てからというもの、アールの様子は変わらず、腰に掛けてある剣を抜こうともせずにルイの結界の中から死にゆく魔物を眺めていた。
ルイはそんな彼女を気にかけながら、一刻も早くログ街へ着くことを望んでいた。
 
「アールは行かないのぉ?」
 と、彼女と一緒に結界で身を潜めているカイが言った。
 アールは、黙ったままカイを見据えた。
「行かないの? シドと戦闘に」
 と、カイは言い直した。
「アールって……だれ?」
「え……」
 キョトンとした表情で自分の名前を訊き返したアールに、カイとルイは動揺した。
「だれって……アールはアールだよぉ」
「アールさん、僕のことはわかりますか?」
 ルイは思わず腰を屈めて言った。
「だからアールって誰ですか? 私はアールじゃない……」
「なにを言ってるんですか……アールさんは貴女のことですよ」
 そう言いながら、ルイは酷い胸騒ぎに襲われていた。
 
カイは、あたふたしながらシドにアールの異変を知らせようとしたが、シドは戦闘に夢中でカイに気づいていない。
 
「私はアールじゃありません……私はアールじゃない……アールじゃない……」
 ルイは結界を外し、アールの肩に手を置いた。
「しっかりしてくださいアールさん」
「やめて……私はアールじゃない! 私はッ……?!」
 名前を言いかけて喉が詰まった。喉が塞がれて声が出ない──
「アールさん?」
「あ……あ"……」
 絞り出すような声が漏れ、勢いよく息を吸い込むと急に苦しそうに喉を押さえた。乱れた呼吸を繰り返し、またたく間に顔から血の気が引いていく。
「アールさん!」
 
2人の様子に漸くシドが気づいた。魔物を全て倒し終えると急いでアールの元へと駆け付けた。
 
「今度はなんだっつんだよ!」
「アールが自分のことわからなくなったぁ……」
 と、カイは助けを求めるようにシドにしがみついた。
 
アールはうまく呼吸が出来ずにパニックに陥りながらも、繰り返し思っていた。
 
 私はアールじゃない アールって誰
 私は……“良子”なのに。
 
「アールぅ! 見て見てー!!」
 カイが苦しむアールの前に腰をおろして言った。
 アールが息苦しそうに顔を上げると、カイは彼女の目の前にペロペロキャンディを差し出していた。
「飴……?」
「そう! 大きな飴! おいしいよ、甘くて甘くて頬っぺたが落ちるんだー! 限定品で残り1個なんだぁ」
 
アールの額からは汗が滲み出ている。気が遠くなりそうだった。
 
「アールにあげるぅー! 舐めてみて! うんまぁーいからさぁ!」
 そう言うとカイは、キャンディをアールの口元に持っていった。
 
甘い香りがする。アールが息を切らしながら小さく口を開けると、カイは彼女の唇にキャンディを触れさせた。
 
「おいしぃー?」
 唇から舌へ、そして口の中で甘い味が広がった。アールは自然と息がしやすくなっていることに気が付いた。
「おいしい……」
「でしょー? それ最後の1個だからちゃんと味わってねー」
「ありがとう……」
 漸く落ち着いたアールに、3人は胸を撫で下ろした。
「アールさん」
 と、ルイが改めて名前を呼ぶ。
「ん?」
 と、アールは飴を舐めながら返事をした。
「いえ、なんでもありません。美味しいですか?」
 ルイはホッとした笑顔で訊いた。
「うん、とっても」
 
アールの精神不安定さは日に日に悪化しているように思えた。シドはそんなアールを見てうんざりする。仕方がないとわかっていても苛々してくる。
再び歩き出しても、また時折アールの様子がおかしくなっては足止めを食らった。
 
「はぁ……」
 と、深いため息がこぼしたかと思うと、不安げに俯き、胸を押さえて苦しそうにする。
 けれど、その度に彼女を宥めたのはカイだった。
「アール! 俺の歌聞くー? マゴイの唄とか得意なんだよねー!」
「ふふ、なにそれ」
 カイに話し掛けられる度に、アールの気は紛れていった。
 
青く澄んだ空から降り注ぐ陽の光が大地を暖め、じめじめとしていた土はすっかり乾ききっている。
カイは水筒の水をがぶ飲みしていた。歩き進めながらずっとアールに話し掛けていたから喉がカラカラなのだ。
 
「あー…、水うまーい!」
 そう声を上げたカイを、アールは笑顔で見ていた。
「歩くスピード上げんぞ」
 と、先頭を歩くシドが言う。
「はーい」「はい」
 と、カイとルイは返事をした。
 
カイは今すぐにでも腰を下ろして休みたい気分だったが、文句は言わなかった。──勿論、その理由はアールにあった。
 
アールはただ、彼等の後をついて歩いていた。何故自分は彼等について歩いているのか理解しておらず、考えもしていなかった。無邪気に話し掛けてくるカイという少年の明るさに思わず笑顔になる。 優しく微笑みかけてくるルイという少年につられて自分も笑顔になる。シドという少年の綺麗な刀捌きに目を奪われては感動する。けれど血を流す魔物を見て心にモヤモヤとしたものを感じる。そうしてただ歩いていた。
 
ふと、シドが足を止めた。
 
「どうしました?」
 ルイはシドの視線の先に目を遣る。「あれは……?」
 
彼等のいる30メートル以上先に、何かが落ちていた。その周囲の土が黒々と汚れているように見える。そして他にも何かが点々と散らばっている。遠くからではハッキリとは見えないが、ルイとシドは薄々感づいていた。
 
「お前らはここで待ってろ」
 と、シドはアールとカイに告げた。
「う、うん……」
 嫌な予感を察したカイが情けない返事をすると、ルイは2人を結界で囲み、シドとその“何か”に歩み寄って行った。
 
結界の中ではアールとカイが腰を下ろしている。結界は大きければ大きいほど魔力を消費するため、なるべく身を屈めて小さな結界を張るのだ。
ルイ達はその“何か”に近づくと、顔を見合わせた。そんな2人の様子を結界の中から眺めているカイとアール。
  
「なに話してるんだろうねぇ……」
 と、不安げに呟いたカイ。
「なにがあるんだろうねぇ」
 と、アールはカイの喋り方を真似て言うと、両手を前について興味津々に身を乗り出した。
 
今のアールは不自然なほど平然としていた。
ふと、アールは自分の手元に視線を落とした。指先が、結界の外に出ている。
 
「見てこよっかなぁ」
 と、アールは明るく言った。
「なに言ってんだよぉ、結界から出られるわけない……って、えぇ?!」
 アールはするりと結界を抜けてルイ達の方へと歩いて行く。
「えーなんでぇ? ちょっと待っ──!」
 カイは直ぐに追いかけようとしたが、ガンッと結界の壁に頭をぶつけた。「いったぁー…もぉ……アールぅ! おいてかないでよぉ!」
 
カイの大声にルイ達が振り返ると、結界の中にいたはずのアールがすぐ後ろに立っていた。
 
「え……アールさん……?」
 ルイは驚いていた。自由に出入りが出来る結界を張った覚えはないからだ。
「何があったのー?」
 と、アールはニコニコと笑いながらルイ越しにそれを覗き込んだ。
 
ドクンと、心臓が大きく脈打ち、瞳孔が開いた。ドクドクと、体中に血液を流すポンプが暴れ始める。鼓動を感じる度に体が微かに揺れる。胃が締め付けられ、強烈な不快感がアールを襲った。
 
「うっ……オ”エェッ!?」
 
アールは今朝食べたものを全て吐き出した。
 
彼等の行く道に落ちていたものは、肉の塊だった。片手で持てるくらいの肉の塊だ。腐敗している臭いにつられてハエがたかり、肉の内部からは無数のウジムシがうごめいていた。その黒ずんだ肉の塊の周辺には、衣服の切れ端が乱雑に散り広がり、錆び付いた刃物が少し離れた場所に落ちている。
 
「人の肉だ」
 
視界が歪む中、アールの耳に聞こえたシドの言葉。
 
 生臭い。人の肉……? 死んだ人の……?
 殺されたの……? 食べられたの……?
 顔はどこ……? 腕は? 足は?
 
 人って こんなふうになるの?
 私も──?
 
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「アール大丈夫かなぁ……」
 寝ているアールを心配そうに見つめながらカイが呟いた。
 
あの後、意識を失ったアールをルイは抱き抱え、暫く歩き進めた。死体が転がっていた場所からなるべく離れる為だった。そして、道の端にテントを張ると、布団を出してアールを寝かせた。
カイの質問にルイは答えなかった。
 
「カイさん、アールさんを見ていてください」
 ルイは重い腰を上げてテントから出ると、シドが腕組みをして不機嫌そうに木に寄り掛かっていた。
「シドさん」
 ルイが声を掛けると、シドは鋭い目つきで彼を睨みつけた。
「いい加減にしろよ……俺はもう限界だ」
「そんなこと言わないでください。彼女にとっては全て初めて経験することばかりで……」
「んなことわかってんだよ! けどいちいち頭イカレたりぶっ倒られてちゃ、たまったもんじゃねーだろッ!」
「だからって、放ってはおけません」
「お前だって本当はうんざりしてんじゃねーのか」
「──?! 彼女はこの世界を救ってくれるかもしれないんですよ?!」
「ひでぇこと言うんだなぁルイ」
 と、シドは呆れたように笑いながら言った。「あの女に救う力がないと分かったら見捨てるんだな」
「違いますよ!!」
「なにが違うんだ。女の面倒を見てんのは女の為じゃねーだろ」
「……ッ」
 
ルイは、奥歯を噛み締めた。否定しようとしたが、出来なかった。
 
「俺はもうパスだ」
「どういう意味ですか。ここに彼女を置いていくわけにはいきませんよ?! せめてログまで……ログ街に行けばどうにかなるかもしれませんし」
「どうにかってなんだよアホくせぇ。適当なこと言ってんなよ」
「アールさんのことを任されたのは僕達なんですよ?!」
「だったらテメェが死ぬまで面倒見ろよ!! 俺は端からあんな女信じてねーからなッ!!」
 
そう言い放ったシドは、ルイに背を向けてログ街方面へと独り、歩いて行った。
 
 

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