voice of mind - by ルイランノキ


 説明不足の旅10…『執着』

 
アールは、シェラの手鏡に映る自分を眺めていた。
 
 酷い顔……。
 
目が少し充血していた。シキンチャク袋から目薬を取り出した。自分の世界から持ってきたものだ。まさかこんな場所で使うなど、思ってもいなかった。
 
ルイ達は結局、カイのわがままを聞いて泉で体を流している。
テントの中でアールは1人、時間を持て余していた。最初は背中の傷が気になって、手鏡を取り出したのだが、鏡に映った自分の背中に動揺を隠せなかった。顔をしかめ、苦痛の溜息が零れる。そしてふと、自分の顔を映した。久々にハッキリと見た自分の顔は別人のようで、思わず鏡を顔に近づけた。目が充血していたので目薬をさしてもう一度鏡を見る。頬やおでこにニキビが出来ていた。スキンケアを怠ってしまったからだろうか。環境が変わったストレスからくるものなのだろうか。
アールは、鏡を持った手を静かに下げ、一点を見つめていた。
 
 ボロボロになってく……
 
鏡に映った自分は、自分の知っている“良子”ではなかった。
そこにいたのは初めて目にした新しい自分。“アール”だった。
 
 
暫くして、テントへ真っ先に戻ったのはシドだった。
 
「なにやってんだ」
 
テントで待っていたアールに、シドは怪訝な面持ちで声を掛けた。なぜなら、アールはシキンチャク袋に入れていた全ての物を袋から取り出していたからだ。呆然と座っている彼女の周囲には、化粧品、洋服、薬などが散らかっている。
 
「おいっ!」
 シドがもう一度声を掛けると、アールはハッと振り返った。
「あ、ごめん……今片付けるから」
 と、少し慌てながら言う。
 
──私なにやってたんだろう……こんなに散らかして。
 
シキンチャク袋に仕舞っていると、シドがアールの横にしゃがみ込んだ。
 
「ったく、カイじゃねんだから散らかすなよ」
 と、足元に転がっていたアールのマスカラを手に取った。
 シドはただ、片付けを手伝おうとしただけなのだが、
「触んないでッ!!」
 と、アールは大声で怒鳴り、シドからマスカラを奪い取った。
 
アールのその行動は少し異常だった。両手で大切そうにマスカラを握りしめたかと思うと、化粧ポーチに仕舞い、胸に抱いたのである。
 
「おい……」
 さすがにシドは、その行動に奇妙さを感じた。
「どうしました?」
 と、ルイがテントに戻って来ると、催眠術が解けたかのようにアールはまた何事もなく散らかった物をシキンチャク袋へと戻しはじめた。
「ちょっと探し物してて散らかしちゃった。ごめんなさい」
 
カイも泉から上がり、一同は休息所を離れる準備を済ませ、最後にテントを仕舞った。そこに、ジャック達が声を掛けてきた。
 
「そろそろ行くのか」
「えぇ、お世話になりました」
 と、ルイ。色々あったが、貴重な食糧を貰い、アーム玉も頂いたのだ。きちんと挨拶はしておきたかった。
「迷惑かけてすまなかったな。ところで、兄ちゃん達はログに行くんだろ? すまねんだが、用を頼めるか?」
「構いませんが……」
「実はな」
 と、ジャックが言いかけたとき、
「返してよッ!」
 と、アールが叫んだ。
 アールはカイにつかみ掛かっていた。
「返してったらッ!」
「返すよ! 返すって! そんなに怒らないでよぉ!」
 
ルイが直ぐに2人の間に入り、事情を訊いた。
 
「何があったのですか?」
 アールは顔を真っ赤にして怒り心頭していた。そしてカイの手から、目薬を奪い取った。
「それは……?」
 ルイが訊くと、アールは目薬までも両手で大切そうに持ち、胸に抱いた。
「さっきテントで目薬見つけてさぁ、目が疲れてたから勝手に使ったらアールのだったみたいで……」
 と、カイは申し訳なさそうに言った。
「勝手に使わないで!」
「ごめんアールぅ……」
 
その場にいた誰もが、“目薬くらいで”と思っていたが、誰も口には出さなかった。それは、小さな目薬を大切そうに胸に抱くアールの姿が、どうみても異様だったからだ。
 
「そんなに大事な物だって知らなくてぇ……」
 カイは今にも泣きそうな声で言ったが、アールは目薬を胸に抱いたまま俯いていた。
「なぁルイ、さっき俺が先にテントに戻ったときも、俺があいつの私物に触れたら激怒してたぞ」
 と、シドは腕を組んだ。
「ほんとですか……?」
「あぁ。態度が豹変した。俺が思うに、あれはこっちの世界で買ったもんじゃねんじゃねーの?」
「どういうことですか?」
「自分の世界から持ってきた物に……異常なほど執着心を持ってる」
 
ルイは黙ったままアールに視線を戻した。もうこれ以上、私からなにも奪わないでほしい、もう手放したくない。誰にも触れさせやしない。私のものなんだから。……そう言っているように思えた。
 
「アールぅ」
 カイがアールの顔を覗き込んだ。
 アールが顔を上げると、カイは子供のような笑顔で言った。
「アールぅ、それ宝物でしょ? 俺の宝物はこーれ!」
 と、古びたトランプを見せた。
「トランプ?」
「そう! 思い出が詰まった、失いたくないものなんだー」
 
その言葉に、アールはボロボロなトランプを見つめた後、カイと目を合わせて切なげに笑った。
 
「なんだかよくわかんねぇが……」
 と、ジャックは言う。「頼みてぇことがあったがまぁいい。それどころじゃねぇみてぇだしな。気をつけて行けよ?」
 
一行はジャックたちに別れを告げると、休息所を後にした。
 
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「このままでいいのか?」
 シドは刀を抜きながら言った。
 歩き進めて間もなく、行く先に魔物が姿を現した。
「このままでいいかというと……?」
 と、ルイは訊く。
「女だよ。かなりやべーんじゃねーの? 精神的に」
 そう言い残してシドは魔物を目掛けて走って行った。
 
アールは、カイと一緒にルイの結界に身を潜め、視線はシドに向けられているが、どこか無気力でシド達の会話は全く耳に入っていなかった。
そして、シドが魔物を仕留めると、アールは小さく呟いた。
 
「かわいそう……」
「え?」
 と、ルイとカイはアールを見遣った。
 
ルイが結界を外すと、アールは立ち上がってシドを見据えていた。アールの視線に気づいたシドが不快そうに彼女の元へと歩みよる。
 
「なに見てんだよ」
「可哀相だと思って」
「はぁ?」
「なんで殺したの」
「は? なんでってそりゃあ」
「ねぇ、なんで殺すの。なんで戦うの」
「……ヤらなきゃヤられんだろが」
「魔物だって生きてるのに。彼等はなにも悪くないのに」
「そう思ってろ。嫌でも直ぐにわかる」
 
シドが『嫌でも直ぐにわかる』と、言った矢先に、本当に言葉通りになるとはシド本人も思ってはいなかった。
 

──あの日
 
今思い出しても気が狂いそうになる。
 
この世界の現実
 
私はこの世界で 死と隣り合わせで生きているのだと
 
目の当たりにしたあの日
 
この目で知ったあの日……

 

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©Kamikawa
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