voice of mind - by ルイランノキ


 一体分身10…『陽月の恋人』

 
ハッとヴァイスが会場がある方へ振り返った。アールの歌声が流れて来たのだ。
 
「いい声だね。アカペラか」
 と言ったのは、髭の濃いゾーマ・リュバーフだった。
 
口を囲む濃い黒い髭は頬にまで広がり、もみあげと繋がって髪の毛に行き着く。眉毛も生やしっぱなしでまるで使い古したハブラシのようだ。
 
「私の旅仲間だ」
 と、ヴァイスが応える。
 
アールが全国放送で歌を披露するために四苦八苦している最中、ヴァイスは聞き込みから辿ってゾーマ・リュバーフを見つけていた。家を逆さまにしたデザインの一軒家に住んでおり、ゾーマは玄関前で腰を下ろしている。40代半ばと思われる彼は、ヴァイスから見せられた似顔絵を見て、自分の父親であるサム・リュバーフが描いたもので間違いないと言った。
 
「わざわざ捜しに来てくれたのに申し訳ないが、父は5年前に亡くなった。89歳だった」
「……それは残念だ」
「だが、もしかしたらその男が誰なのか、その絵からわかるかもしれん。もう一度よく見せてくれ」
 と、手を差し出す。
 
ヴァイスが似顔絵を手渡すと、ゾーマは似顔絵が描かれている紙をまじまじと見遣り、回転させては顔に近づけ、目を細めたりしながら絵の細かい部分を凝視している。
 
「……あった。あったぞ。ここをよく見てくれ」
 と、ゾーマは何かを見つけ、指さした。
 横倒しにされた似顔絵をヴァイスは見遣る。
「数字か?」
 そこに数字らしきものがあった。似顔絵の線になじんでいて言われるまで気が付けないほどだ。
「父が描いた絵には日付が隠されているんだ。その日の父の日記を見ればなにかわかるかもしれない。持ってくるからちょっと待っててくれ」
 と、ゾーマは少し気だるそうに立ち上がり、家の中へ日記を取りに入った。
 
ヴァイスは今も聴こえてくるアールの歌声に耳を傾けた。愛する我が子に子守唄を歌うような優しい歌声だ。心地よく、目を閉じればそのまま深い眠りに誘われる気がして来る。
と、そのとき、視界の片隅でオーブがふわりと舞い上がった。
 
「…………」
 
ひとつ見つけると、またひとつ、そしてまたひとつと舞い上がる。
確か全国ネットで流れると言っていたことを思い出し、ヴァイスに焦りが生まれた。彼女が歌い出した途端にオーブが舞う。妙な噂が広まる前にこの町を出た方がよさそうだ。
 
「あったぞ。これだこれ。ここ、ここ。ヒヅキ、という名前が書かれてる」
 ヴァイスはゾーマが持って来た日記を手に取り、内容を一読すると「感謝する」と言ってその場を後にした。
 
今から約48年前の日記にはこう書かれてあった。
《ヒヅキと名乗る女性が自身と恋人を描いてほしいと声を掛けて来た。男の方は写真も何もなく、口頭で特徴を伝えられた。不安であったが彼女の口から伝えられる男の描写はとても細かく、思いの外 順調に描き上げることができた。恋人の名前はフォルカー・コリント。突然いなくなり、捜しているとのことだった。》
 
━━━━━━━━━━━
 
和室のローテーブルに運んだうどんを箸で持ち上げたままテレビに釘付けになっている老爺がいた。老いた心臓が残り少ない寿命を縮めようとしているかのように鼓動を速める。いや、縮めるどころか、元気に暴れているようにも思える。
 
「陽月……」
 
老人は箸を乱雑に置いてテレビに近づいた。画面に映る女性を食い入るように眺める。自分の知っている女性ではないとわかると、ではこの子は一体誰なんだ?とへたり込んだ。
 
首元の襟の中に手を伸ばし、首に掛けていたチェーンを引っ張り出す。チェーンの先にはロケットペンダントがぶら下がっている。爪を引っかけ、ペンダントを開いた。
若かりし頃の自分と陽月が寄り添っているモノクロ写真が入っていた。
 
「この世界に……君を知っている人がいるというのか……?」
 
もしかしたら、また君に逢えるかもしれない。そんな期待が胸を躍らせる。もう二度と逢うことはないだろうと、何度諦めようとしたことか。それでも今も尚、こうしてこのロケットペンダントを手離さずにいるのは、どこかでまた巡り合えるかもしれないという期待を捨てきれなかったからだ。
 
陽月と名乗り、陽月の歌を歌う謎の女性。老爺は彼女に会わなければならない衝動に駆られた。
記憶に残る陽月の歌を聴きながら、テレビのリモコンを操作する。【番組表】と書かれているボタンを振るえる人差し指でぐっと押した。画面が切り替わり、今見ていた番組の情報がわずかながら記載されている画面が映し出された。
 
わかるのは生放送が行われている地域と、番組名だけ。
そこからどうしたらいい? 番組表を閉じ、画面を戻して陽月の歌を歌う彼女を見つめた。
 
ここを出よう。どこかの町に行って、誰かに聞けばいい。
老爺は後ろの棚に置いてある電話脇のメモ帳に番組名と地域を書き、着古したグレーのコートのポケットに入れ、財布を持って家を出た。
家の周りには湖が広がっている。スペルを唱え、橋を出現させると老いぼれた体に鞭を打つように足早に渡った。
 
──陽月。あの子は誰なんだ? 君の知っている人なのか? 君にもう一度逢えるのか?
 
気が付けば涙が頬を伝っていた。
薄汚れた袖で涙を拭く。
 
会いたい。会いたい。
陽月、もう一度、君に逢いたい。
 
君の声が聴きたい……。
 

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©Kamikawa
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