voice of mind - by ルイランノキ


 一体分身8…『エイミーからの贈り物』

 
アールは用意してもらった楽屋でそわそわと歩き回ってはソファに座り、立ち上がって鏡の前で自分を眺め、再びソファに腰かけた。自分が大勢の前でステージに立つことを想像するだけでバクバクと心臓が落ち着かない。しかも歌を歌わなければならない。カラオケで友達の前で歌うのと訳が違う。
携帯電話が鳴った。ゾマーが見つかったのだろうかとケータイ画面を見遣ると、知らない番号からだった。組織が頭を過る。相手が誰なのかわからない電話には出たくない。
大事な用なら留守録にでもメッセージを残すだろうと思い、電話には出ずにドレッサーの椅子に腰かけた。エイミーから借りた衣装に似合うメイクをしようとシキンチャク袋を漁ったが、メイク道具がない。──そうだ、自分の世界から持ってきたものはあの洞窟に置いてきてしまったんだ。
 
「すっぴんで出るしかないな…」
 
ほとんど顔が隠れる衣装だからメイクをしていようがいまいがあまりかわらないのだけれど、ステージに立って歌を歌い、しかも全国放送に流れる以上、ちょっとはおめかししたくなるものだ。
 
そんなことを思っている間も尚、携帯電話は鳴り続けている。
よほど緊急なんだろうか。めんどうなことだったら電話を切ってしまえばいい。そう思って、アールはようやく通話ボタンを押した。
 
「はい」
『あぁああああのっ、んぼ…んぼ…』
「え……」
 なんかやばそう人から電話が掛かって来た。電話に出た早々『んぼんぼ』言う人なんてなかなかいない。
『んぼ、ボリスです!『』
「え? ボリス?」
『はい!』
「えっと……私の知り合い?」
 その名前に覚えがなかった。
『デリックさんからごご連絡がありまして! タケルさまの携帯電話をお届けにまいりました!とと突然のお電話失礼いたします! ボリスと申します!』
 やけに緊張しているのか、声は震えているしたどたどしいし早口だ。
「あぁ! こんなに早く……ありがとうございます。今どちらにいますか?」
 と、楽屋から顔を出す。
『ステージの近くにおります!』
「今行きます」
 
楽屋を出て足早にステージへ向かうと、既にイベントを楽しみにしている客たちが騒がしく乱雑に並んでいた。シークレットゲストが誰なのか、マイナーな歌手だったら最悪、などという声が聞こえてくる。
 
「あ! アールさん! こち、こちらです!」
 と、右手を高く上げ、ジャンプをしながら居場所を知らせるボリス。
 アールはボリスに歩み取って、タケルの携帯電話を受け取った。
「ありがとう。助かりました」
「そんな……とんでもございません……僕なんてそんな大したことはなにも……」
「でも休暇だったんですよね? 誰かとデートですか?」
「そそそ、そんな相手はおりません! 僕は純粋に音楽を楽しみに来ましたので!」
「そっか。じゃあゆっくり楽しんでくださいね。ケータイありがとう!」 
 と、アールはボリスと別れ、控室へ急ぎ足で戻った。
 
控室の前に、20代前半くらいの女性スタッフがクリップボードを手に立っていた。STAFFと書かれた赤色のビブスを着ている。
 
「アール・イウビーレさん?」
「あ、はい」
「歌う曲は決まりましたか?」
「はい、一応」
「音源を用意しますので教えていただけますか?」
「あ、えっと……オリジナルの曲なので、大丈夫です」
 陽月の歌を歌う。この世界には無い曲だ。
「どなたか演奏されるのですか?」
「えーっと……」
 タケルの携帯電話を手に入れたが、持っている陽月の曲にはもちろん彼女の歌声が入っている。そのまま流すわけにはいかない。
「アカペラで……歌います」
「アカペラですか! わかりました」
 と、クリップボードに挟んである紙にメモを取る。
 演奏無しのアカペラで歌うと聞いて、きっと歌に自信があるんだろうと思われているに違いない。勝手にハードルが上がって困る。
「──あの、名前って変更できますか? もし全国放送で名前も紹介されるのであれば変更したいんですけど」
「大丈夫ですよ」
 と、誰かに確かめもせずにすんなり受け入れる様子から、これまでにもそういった要望があったのかもしれない。
「あ、じゃあ陽月、でお願いします」
「ヒヅキ、ですね? わかりました。ヒヅキさんは3番になります。ステージ裏に番号を書いた紙を貼っている椅子がありますので、順番が来るまでそちらで待機をお願いします」
 と、丸い番号シールを渡された。「胸に貼ってくださいね」
 
てっきり、名前の変更はオーディションが行われていた会場まで行かないといけないと思っていたから、手間が省けてよかった。スタッフは駆け足で慌ただしく次の控室へ向かった。
アールは控室で衣装に着替えて胸に番号シールを貼った。高そうでゴージャスな衣装なのに、彫りの浅いすっぴん顔と簡素な番号シールのせいで台無しだ。
 
コンコン、と誰かが部屋をノックした。
 
「はい?」
「エイミーです」
 アールは慌ててドアを開けた。慣れていない靴のせいで足をひねりそうになる。
「これ、よかったら」
 と、ラッピングされたお菓子の詰め合わせを渡された。
「え、いいんですか?」
 カイが喜ぶに決まっている。
「ウェルカムスイーツが凄いんです。どうせ全部は食べきれないから」
「じゃあありがたく頂きます!」
 と、笑顔で受け取った。
「アールさんは3番なのですね」
 と、エイミーはアールの胸に貼られている番号シールを見遣った。
「これってやっぱり歌う順番なのでしょうか……」
「えぇ、説明されませんでしたか?」
「忙しそうだったからあまり質問攻めできなくて。強制なんですね」
 と、笑う。
「アールさん、メイクはしないのですか?」
「あ、メイク道具持ってなくて……。でも顔が隠れるからいいかなって」
「よかったら私の使いますか?」
「え!? いえいえ、いいです! そこまでしていただかなくて……」
「でも、せっかくお衣装もあることですし、どうせならメイクも楽しんでみては?」
 と、エイミーは笑顔でそう言ってマネージャーの名前を呼ぶと、エイミーの控室からマネージャーのノーマンが顔を出した。
「メイクさん、呼んでくれる? アールさんにメイクしてあげてほしいの」
「かしこまりました」
「えぇ……なんか、すいません……」
 と、頭を下げるしかない。
「あ、そうだ! ちょうどいいわ。貰ってほしいものがあるんです」
 
そういってお菓子の次に持ってきたのは、新品のメイク道具一式だった。まだ試作品らしいが、エイミーがプロデュースしたコスメブランドの新製品だと言うのだから、彼女の知名度や影響力の高さに改めて驚愕するに他ならない。
 

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©Kamikawa
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