voice of mind - by ルイランノキ


 一体分身6…『衣装調達』

 
ハヤテ町で行われるチャリティコンサートに参加するアーティストの控え室は、コンサートステージの裏にあった。いくつか控え室が設けられており、廊下はステージに繋がっている。
アールがその建物の出入り口にやってくると、何度かお会いしたエイミーのマネージャーが立っており、すぐにアールをエイミーの楽屋へと通した。
 
「アールさん! お久しぶりです!」
 と、エイミーはソファから立ち上がって頭を下げた。
「お久しぶりです。お元気そうでよかった」
 と、アールも頭を下げた。
「どうぞ、座ってください」
 
ここの楽屋は畳み部屋になっていたため、アールは靴を脱いで上がって木製のローテーブルを挟んでエイミーの向かい側に腰を下ろした。エイミーがつけている香水だろうか、いい香りがする。
入り口から左側に、1段高さがあって12畳ほどの畳み部屋になっていた。その奥の壁は一面鏡で、上部にあるいくつかのライトで照らされている。反対側にはクローゼットとその横にハンガーラックが置かれ、衣装がズラッと掛けられている。そして入り口の横には冷蔵庫、加湿器、テレビ、試着室などが置かれていた。
 
「お衣装なんですけど、どういうのがいいのかわからなかったのとサイズもわからなかったので、一先ずすぐに用意できた衣装一式を持ってきてもらいました」
 と、エイミーが立ち上がってハンガーラックの方へ向かったため、腰を下ろしたばかりのアールも立ち上がって歩み寄った。
 
エイミーの隣に立つと、一際いい香りがした。自分は汗臭くないだろうかと、アールは一歩彼女との距離を開けた。
 
「どういう衣装がお好みですか?」
「えっと……実は顔を隠したくて」
 なるべくムスタージュ組織に居場所を知られたくはないと思ってのことだが、奴等のことだから既にどこかから監視していたりするのかもしれない。
「あら、どうしてですか?」
「……恥ずかしいので」
 と、ごまかした。
「顔を隠すなら……少しミステリアスな衣装にしますか?」
「ミステリアス?」
 想像がつかず、首を傾げた。
 
──私という人物を説明する文章の中に「ミステリアス」は存在しない。「セクシー」もだ。
顔が隠れればなんでもいい。目的は陽月の恋人に届くように彼女の歌を届けることなのだから。
 
「これはどうでしょうか。ブリムが大きめで、ヴェールがついている黒い帽子」
 と、エイミーはハンガーラックの下にあった帽子をひとつ、手に取った。海外のお葬式などで女性が身につけているトークハットというものだ。
「ブリムってなんですか?」
「帽子のこのつばの部分のことです。本来トークハットは葬儀用のものでブリムがないものが多いのですが、これはあくまでもお衣装なので」
 と、手渡される。
「被ってみてもいいですか?」
「えぇ。それに合う衣装はー…」
 エイミーはハンガーラックからトークハットに合う衣装を探した。
 
アールは鏡を見ながらトークハットを被ってみた。帽子自体が大きくつばも幅広で重さがあるため、すっぽりとアールの顔が隠れてしまった。それは不格好なほどだった。
 
「ちょっと大きいかもしれないです……」
 と、アールは帽子のつばで見えないエイミーを見遣る。
「あ……ふふっ」
 と、顔は見えないがエイミーが可愛らしく笑ったのがわかった。
「じゃあ、ブリムのない方でヴェール付きはどうかしら」
 エイミーはもう片方の帽子を手に取ってアールに手渡した。
 
つばはないけれどヴェールで少しだけ顔が隠れる。メイクをすればもう少し誰だかわからなくなるはずだ。しかしふと思い出す。オーディションの時に確か名前を紙に書いたはず。顔を隠しても名前をフルネームで呼ばれてしまうのなら意味がない。後でまたオーディション会場に戻って確かめる必要がある。
 
「黒いドレス、ありました。ヒールも」
 と、エイミー。
 
アールはエイミーに促されて試着室を借りて着てみることにした。
ドレスは首元からデコルテ、そして腕まで黒いレースになっていて肌が少し透けて見えた。胸元から下は分厚めの黒い生地の上にレースが重なっており、ひざ下まであるフレアスカートになっている。手首にファーがついている上品な手袋は肌触りが良かった。ストッキングも黒で合わせ、控えめなラメが部屋の明かりでキラキラと輝く黒いヒールはアールの身長を5cm伸ばしてくれた。
ドレスも帽子も問題ないが、ヒールが少し大きい。歩き回るわけではないから詰め物をすればなんとかなりそうだ。
 
「アールさん細いから似合いますね!」
 と、エイミーは試着室から出てきたアールを見て言った。
「そうですか?」
 と、照れ笑い。自分ではまったく似合ってないように思う。
 
コンサートまでまだ時間があるため、いつものツナギに着替えようと試着室のカーテンを開けたとき、誰かが部屋をノックした。
 
「はい」
 と、エイミーがドアを開ける。
 アールは少し恥ずかしくなり、試着室に身を隠して様子を窺った。
「楽屋の用意が出来ました」
「ほんと? よかった。ありがとう」
 相手はマネージャーだったようで、部屋に入ることなく伝言を伝えてドアを閉めた。
「アールさん、楽屋がひとつ空いているので、よろしければ使ってください。着替える場所が必要かと思いまして」
「え……でも……いいんですか?」
「話は通しておきましたので」
「お気遣いありがとうございます……。でも私みたいな一般人がいいのでしょうか……」
「勝手ながらアールさんのことを私のお友達だって言ってしまいました。この部屋を一緒に使うのもいいかなと思っていたのですが、後から取材陣が来るみたいで……」
「そうでしたか……。ではお言葉に甘えて使わせていただきます。あの、お金とかって……」
「必要ありません。私も祖母のことはずっと気にかけておりましたし、お役に立てることがあればなんでもしたいのです」
「ありがとうございます」
 と、アールは深々と頭を下げた。
 
何度お礼を言っても言い足りない。至れり尽くせりだ。こうなったらもうなにがなんでもステージで陽月の歌を歌いきるしかない。
 
ツナギに着替えると、エイミーのマネージャーの案内で楽屋の場所を教えてもらった。エイミーの楽屋から3つ隣だ。間違えないようにしなくてはと思ったが、楽屋の前には《アール様》と書かれた名札が既に用意されていた。至急用意したのか手書きではあるものの、急にアーティストになった気分だ。
 
「なにかありましたら、気軽にご連絡を」
 と、マネージャーから名刺を渡された。「電話番号を記載しておりますので」
 アールは名刺を見遣った。
「ノーマンさん? 色々とありがとうございます。ご迷惑をおかけしてすいません」
 と、頭を下げる。
「いえ。それでは」
 ノーマンは穏やかに微笑んで会釈をすると、エイミーの楽屋へと戻って行った。
 
ノーマンというマネージャーはスーツをビシッと着こなし、嫌な顔ひとつしない。大人の男性だな、とアールは思う。30代前半くらいだろうか。案外ああいうしっかりしていそうな人が家に帰ったらネクタイを緩めてすぐに冷蔵庫から冷えたビールを取り出して一杯やっていたりするのかもしれない、と思いながら楽屋のドアを開けた。
部屋の構造は同じだった。テーブルの上に楽屋の鍵が置いてある。アールは受け取った衣装をなにもかかっていないハンガーラックに掛け、箱に入った靴などはその下に置いた。
ゆっくり出来る場所があるのは助かる。ポケットから携帯電話を取り出して、仲間から連絡が来ていないかの確認をした。誰からのメールも着信も来ていない。
 
「ルイ……大丈夫かな」
 
アールはルイからの返事が未だに来ないことが気がかりだった。お見舞いに向かったカイからの結果報告を待つしかなさそうだ。
アールはヴァイスに電話を掛けた。3回ほどコールが鳴って、電話に出る。
 
『なにかあったのか』
 と、とても低く落ち着いた声。
「ううん、ちょっと色々あったからご報告」
 
アールはこれまでの流れを簡単に説明した。カイがルイのお見舞いに向かったことも、ヴァイスには伝える。
 
『そうか』
「そっちはどう? ゾマーさん、見つかった?」
『いや』
「そっか……。フルネームわかってるから簡単に見つかると思ってた」
『この町の住人は移り変わりが激しいらしい』
「え、なんで?」
『芸術家を目指している卵が移り住み、修業をして去っていく』
「なにかを学びに来て去ってく人が多いてこと?」
『あぁ。この町は家賃も物価も高いようだからな』
「長期で住むのには向いてないってことか……。じゃあゾマーさんはもうこの町にはいないのかもしれないね」
 せっかくの手がかりなのに、と肩を落とす。
『どうだろうな。住んでいないのなら住所変更の知らせくらいはするだろう。店で親の絵を売っているくらいならな』
「あ、そっか……。もう少し捜してみてもらえる? 私も捜せそうなら捜す」
『あぁ』
「じゃあまたあとで」
 

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