voice of mind - by ルイランノキ


 全ての始まり15…『愛』

 
アールは旅の途中で立ち寄った街を思い出していた。街の外の世界を知らずに生きている人がいる。魔法を使えなくても魔道具を買って生活を豊かにしている人たちもいる。泣いたり、怒ったり、笑ったり。結界の中で過ごす世界は小さいのかもしれないけれど、皆それぞれ自分の人生を歩んでいる。
 
「どんな人にも生まれて来たからには生きる権利がある……」
 と、アールは呟くように言った。
「私を殺そうとした人間が言う言葉とは思えんな。ならば私にも、父にも母にも生きる権利はあったはずだ。だが殺された。生きるべきではないと判断されたのだ。誰に、だ?」
「誰しも自由には生きられない……。共存するということは、ある程度制限された世界で生きるということ。自由の制限は縛りなんかじゃなくて、平等と平和を守るための掟。その中で、自分の生き方を見つけるしかないの」
「生きる価値のない人間に分け与えるものなどなにもない」
「分け与えるもなにも、はじめからこの世界はあなたのものじゃない」
「この世界が誰のものか、誰のものでもないと、お前が決めるものでもない」
「だからって自分の物にしていいわけないでしょ!」
 と、アールはため息交じりに言い、シュバルツに向かって剣を振り下ろした。シュバルツはよろめきながらも咄嗟に杖で迎え撃つ。
「人が人である以上、争いはなくならない。売り言葉に買い言葉で、譲れないものがある限り一生平行線で変わらない」
「なにが言いたい」
 ゲホッ!と、シュバルツはまた血を吐いた。粘り気のある唾液と血が口から垂れ下がる。
「あーだこーだ言ってもしょうがない。あなたを丸め込む言葉も私には思いつかない。だから、単純明快に言う」
「…………」
「私は、この世界に来て間もないけど、それなりに多くの人と出会って、多くの人の笑顔と死を見てきて、大切な仲間とも出会って、彼らを、この世界を、壊したくないと思った。彼らに生きていてほしいと思った。昨日今日、明日この先、生まれて来る命があるなら、その命が途絶えることなく続いていけばいいと思った。私に守れる力があるのなら、守り抜きたいと思った。そしてその守りたいものをあなたが壊すのなら、私はあなたを倒す。ただそれだけ」
「世界の為に、か?」
「……いいえ。私も、私の世界を守るため。私利私欲を満たすため」
 そう言ったアールの言葉に、シュバルツは微かに笑った。
「私も私の世界を築くために、邪魔なものは排除する」
 
アールの剣とシュバルツの杖が激しくぶつかり合う。まだこんなに体力が残っていたのかと驚くほどに、シュバルツの動きは機敏でアールに隙を与えなかった。
アールはシュバルツの顔が見る見る紫色に青ざめていくのを眺めながら、とどめを刺すその瞬間を待った。シュバルツの母親テレサから受け取った毒は確実に彼の体を蝕んでいた。
 
アールの脳裏にまだ赤ん坊だった頃のシュバルツの姿が浮かんだとき、シュバルツはアールを力任せに押しのけてコートのポケットからいくつものアーム玉を取り出して宙に投げた。魔物が何十体と放たれる。バジリスクやゲルク、グリフォンやガーゴイルなどといった魔物がアールを標的に捉えて向かってくる。
シュバルツは浅い呼吸を荒々しく繰り返しながら後ずさった。そしてコートの懐から回復薬を取り出した。すぐに飲み干したが、もう回復しない体を見て断末魔の叫びを上げた。
 
アールは払っても払って向かってくる魔物を交わしながら時折攻撃も仕掛けた。けれども別の魔物を相手にしている間に別の魔物が回復してしまう。ちらりと頭上に目を向け、月明かりを頼りにチェレンを呼び出した。
視界を塞ぐ敵を薙ぎ払ってはチェレンの背中で自分の回復を待ち、また前に飛び出しては剣を振るい、それを繰り返しているうちに無心になっていた。淡々と同じことを繰り返す。永遠なんてものは存在しないから、いつかは終わるとどこかで思いながら。
 
そして不意に、心が置いてきぼりになっていることに気が付いて、我に返ったときには地面に体を伏せていた。
 
グリフォンの鉤爪がアールの背中を抉り、バジリスクがアールの左腕に噛みついた。魔物が覆いかぶさり、その重さに体が潰れていく。骨が折れる鈍い音を聞きながら、気を失わないようにと強引に息を吸い込んだ。
けれど、肺が潰れたと同時にプツンとアールの意識が消滅した。
 
「ふっ、ふはははは……」
 シュバルツの不敵な笑い声が魔物の鳴き声と重なった。
 
アールの生命力が消えたと肌で感じたシュバルツだったが、途端にモーメルから授かっていた護符が力を発揮した。
アールの意識が徐々に戻って来る。アールは不思議な感覚に陥った。疲れた体が癒されてゆくように、嫌な焦りも静かに消え去ったのだ。
身動きが取れない状況に反して気持ちに余裕が生まれてきた。この余裕はどこから来るのか、意識で探った。そして、仲間の存在をすぐそばで感じた。
 
そうか、私は独りで戦ってるんじゃないんだ。
 
「私に仲間がいることを忘れたの?」
 と、アールは地面に爪を立てた。
「お前の後ろで壊れている人間か?」
 離れた位置で倒れ込んでいるヴァイスとカイに目を向ける。
「もう一人。──ね? シド」
 と、アールが身をよじって魔物の下から這い出ると、シュバルツの背後に目を向けた。
「!?」
 シュバルツは杖を構えながら後ろを振り返る。
 
シド・バグウェルが立っていた。そんなはずはないと血走った目を丸くする。シドの右手に握られていた刀がシュバルツの胸に深く突き刺さった。
アールを取り囲んでいた魔物が一斉に大ダメージを受けて広範囲に散った。アールがふらりと立ち上がると、正面に立っていたタケルがアールの剣を差し出した。「俺もいるよ」と、そう言って。
 
「ありがとう」
 
アールが剣を受け取ると、タケルは自分の剣を両手に構えてシュバルツを見据えた。
 
「よみがえりか……蘇りの術を使ったのか!?」
 シュバルツは動揺しながらまだしぶとく絶えているその命を震わせた。
 
シドはシュバルツの体から刀を引き抜くと、アールとタケルと目配せをして同時にシュバルツに大打撃を与えた。
シュバルツはアール・シド・タケルの連携技によって、「ガハッ!」と血が混ざった最期の息を吐いた。視界が歪み、消えて行く。
 
「お母さまから、伝言を預かっています……」
 そう言ってアールはシュバルツから剣を引き抜いた。「“私も、愛しています”と……」
 
息絶え、焦点を失っていたシュバルツの目から涙が流れ落ちた。
彼の体は次第に泥のように溶け始め、黒い蒸気となって消えていく。
 
──母は、私を産んだ後、間もなくして息を引き取った。
母の代わりに私を育てたのは、子を持つ村の女だった。乳飲み子の私の世話が出来るのは、その女一人だけだったからだ。だから女はやむを得ずに私を受け入れた。女は私を愛してはいなかった。他人の子を育てるゆとりなどなかったからだ。
だから言葉を覚え、一人で歩けるようになった頃、一人で村にやってきたグレンツェの男に私を引き渡した。生きていくための食料と引き換えに。
 
両親のように私も殺されるのだと思っていたが、グレンツェの男は私に言った。「お前の父親は偉大な人だった」と。そして如何に両親が私を愛してくれていたのか、男は知る限りのすべてを語ってくれた。幼いながら父に味方がいたことを嬉しく思った。男は組織に私を殺したと報告し、私を養子に迎え入れ、新しい名前をくれた。
父の背中を追うように、施設を受け継いだ。
母のぬくもりなど覚えていないが、夢で見る母は誰よりも美しく、闇を照らす月のようなあたたかい愛情でいつも私を深く包み込んでくれた。
追いかけても触れることのできない父の背中。求めても応えてくれない母の存在。
 
 会いたい……
 
シュバルツの声がどこからともなく風に乗って消えて行った。
アールの目から流れ落ちた涙が乾いた大地を濡らした。
 
「もう終わり……終わり終わり終わり……こんな悲しい物語はもうこれで終わりッ!!」
 
アールは叫びながら地面にうずくまった。
胸が苦しい。心が痛い。泣き叫んでも救われることはない。
多くの痛みを負い、癒す間もなく蓄積されていった。
 
これが私に課せられた宿命。遂行すべき運命なのだ。
 
痛みを負ったのは私だけじゃない。多くの人が傷ついて、涙に暮れた。
人々の歓喜の声は届いて来ない。
戦いが終わっても人々の中から消えない苦しみがきっとある。
これから先、抱えていかなければならない新たな問題もきっとある。
私が招いた犠牲も多くある。
 
人々の心を削っていく感情の向く先に、私がいなければと、アールは思った。
 
涙で潤った大地に小さな緑の芽が顔を出した。両手で顔を覆って泣いていたアールは、春の香りと共にさらりと髪を靡かせた風に顔を上げた。目の前を桜の花びらがひらりと舞って流れてゆく。
 
エテル樹があった場所に、満開の桜の木が立っている。アールはその美しさに息を呑んだ。
 
 泣かせてばかり……
 
柔らかい女性の声。桜の木の前に、女性の姿がぼんやりと浮かび、そして次第にはっきりと見えた。
 
「おかあさん……?」
 どことなく、母に似ていた。けれどもっと若い。
 アリアンだと気づくのに時間はかからなかった。
「ごめんなさいね……」
「………」
 アールは涙を拭きながら立ち上がる。そして。
「あなたが夢を見た未来は……こんなでしたか?」
 と、問いかけた。
 
背負った痛みが多すぎて、涙を拭いても、溢れてくる。心がずっと悲しくて、胸がずっと苦しくて、身を削る思いが消えない。
 
「こんなに沢山の人が死んで、私がここにいる……。こんなでしたか?」
「…………」
 アリアンは悲しげにうつむいた。
「やっぱり、酷い有様でしたか……?」
「あなたはよくやってくれたわ」
「…………」
 アリアンの手が優しくアールの頬に触れた。
「あなたはシュバルツの脅威から世界を救ってくれた。私もシュバルツの呪縛から解放されて、この世界を去ることができる」
「……この世界を去る?」
「私ももうすぐ消えてしまう。この世を去って、宇宙を彷徨う。そしてまた母の声に導かれ、私は私を必要とする世界に生まれる」
「母の声……?」
「私は水子。母の胎内から生まれ出ることができなかった水子。母は私を思い、毎日涙を流しながら祈っていました。『産んであげられなくてごめんなさい。どうか、新しい世界で、多くの人から愛されますように。多くの人から慕われ、あなたも多くの人々に愛を与える、そんな人に生まれて、幸せに暮らしますように』と。その想いは今も消えずに私の耳に届くの」
 
サラサラと風に靡いて桜の花が揺れた。
 
「……やっぱり、アリアン様は、いい人だった。悪者説は嘘っぱち」
 と、微かに笑う、
「いい子で生まれるように、母からの願いが強いのよ」
 と、笑う。
 
地面は青々とした緑で覆われ、自然の香りが穏やかに踊っている。
 
「そろそろ行くわね……。世界を守ってくれてありがとう。どうか、これからの人生は、自分のために生きて……」
「あのっ、私は本当に、あなたの娘だったんですか? そして本当にシュバルツの……」
 と、目を伏せた。
「あなたは私の大切な娘であり、私の大切な妹だった」
「え……?」
 
ふいに、母が仏壇の前で何かを眺めていたのを思い出す。
アリアンは自分の子供を、自分の母に託したことになる。
すべては繋がっていたのだ。
 

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