voice of mind - by ルイランノキ


 心声遺失19…『悪者』

 
──冷たい。痛い。体が痛い。
 
アールは顔をしかめ、閉じていた目を開いた。視界にコンクリートの瓦礫が入り込む。そのゴツゴツした上に預けていた体を起こした。
 
 ここは、どこ……?
 
鉄筋コンクリート造の朽ち果てたアパートが目に入る。かつてそこに人々の暮らしがあったようだが、長い年月、誰の手にも触れられていないのかまったく人の気配はない。
アールは足場を確かめながらゆっくりと立ち上がり、周囲を見回した。黒ずんだコンクリート造のアパートには窓ガラスが無く、ぽっかりと黒い口を一定間隔に開けている。まるで人々に忘れ去られた巨大な墓場のようだった。
 
──なんでここにいるんだっけ……? と、視線を落とす。
誰かの手の温もりが右手に残っている。誰の? ……雪斗だ。雪斗と一緒だったはずだ。
 
「雪斗……?」
 恋人の名前を呼ぶ。「雪斗ー?」
 
なんで雪斗と一緒だったんだっけ。──扉が開いたからだ。扉? なんの?
 
「…………」
 アールは自分を見下ろした。ツナギが目に入る。
 
ハッと思い出し、今一度周囲を見遣った。「雪斗ー!?」不安げに恋人の名前を呼び、近辺を探し回った。床に倒れ込んでいた仲間の姿が脳裏にフラッシュバックする。心臓が暴れて嫌な汗が滲んだ。
 
──私は仲間を殺した。戦いに夢中になって、仲間を巻き込んでしまったんだ……。
そこに雪斗が現れた。私を迎えに来てくれたんだ。
 
瓦礫に躓きそうになりながら、廃墟の隙間を抜けていく。錆びた遊具が目に入った。公園だろうか。
 
──リセット出来る。彼はそう言った。
 
足を進める先に、海が見えた。塩の香りがする。
ふと、建物の外壁に書かれた落書きが目に入る。
 
《この島は 荒れるにまかせ 朽ち果てて くち果てていた この島は もう再びよみがえることはない》
 
見覚えがあった。──なんだっけ、どこで見たんだっけ、この落書き。
でも私はこんなところに来たことがない。焼け落ちたように腐食された島など。あれば覚えている。
 
「うそ……」
 
記憶が蘇る。昔立ち寄った雑貨屋の書籍スペースで見つけた本に載っていた。あの本はたしか──
アールは海へと駆け出した。瓦礫の多い足場に転倒する。手の平をすりむいた。血がにじむ。すぐに起き上がり海の前までやって来ると振り返って島の建物を見上げた。
 
「ここは……軍艦島……?」
 
雑貨屋で見つけたのは軍艦島の本だ。上空から撮影された軍艦島が表紙になっている本。長崎県にある端島。昭和49年に島民はこの島を離れた。
アールは元の世界に帰って来れたのだと慌ててズボンのポケットをまさぐった。咄嗟に誰かに連絡を取らなければと携帯電話を探したのだ。でもポケットの中にはなにもなかった。
 
「なんで……なんでよ……」
 シキンチャク袋もない。なにも持っていない。一先ず誰かいないかと歩き出す。
「どうしよう……どうやって帰ったら……どうやって……」
 目をこらしながら足を進める。周囲は海。この島から出なければ家に帰ることが出来ない。
 
なぜこんな場所にいるのか。きっと異世界への扉を開いた場所が違ったからだ。別の場所で開いたから、別の場所に繋がった。そう考えるのが自然に思えた。
 
「どうしよう……どうしよう…………?」
 と、逸る思いで人を捜す。
 
雪斗はどこに行ったの? 雪斗は私を迎えに来てくれたはず。私の手を取って、元の世界に戻って来れた。
……本当に? と、足を止めた。
 
あれは本当に雪斗だった?
「もう、大丈夫だから……」雪斗のあの言葉はどこから来た? 私の様子を見て、大丈夫じゃなさそうだから言った言葉?「良子、リセットしよう」雪斗は突然そう言った。確かにリセットしたいと願ったのは私だ。でも口には出してない。私の心の声が聞こえていたの? 「世界をリセットするんだ」なにも知らない雪斗があの状況だけを見てそんな言葉を吐く……?
会話の不自然さに今になって気づく。
 
本当は雪斗なんていなかったんじゃないの?
突然キーンと強い耳鳴りがして耳を塞いだ。足元がふらつき、その場にしゃがみ込む。
 
耳鳴りはすぐに治まった。顔を上げて立ち上がる。
 
「…………」
 
アールは目のやり場を失い、ただ茫然と呼吸を繰り返した。
 
「なにを……探してるんだっけ……」
 
私は今なにを探していたんだっけ。
ここは……? 軍艦島だ。なんでここにいるんだっけ。
私は、どうやってここに来たんだっけ。
手が痛い。なんで私は怪我をしているの?
見覚えのないツナギを着ているのはなぜ──?
 
私はここでなにをしているの?
 
「…………」
 
なにかぼんやりと浮かんで、すぐに頭にもやがかかる。探れば探るほど記憶が抜け落ちていくようだった。
そしてなにも思い出せなくなった。
ただ、漠然とした恐怖に近い不安が胸を圧迫する。正体がわからない不安によるものなのか、無意識に自ら記憶を消し去ろうとする脅迫概念から来るものなのか、はたまた別のなにかによるものなのかも、わからない。
 
ここからどうしたらいいのかもわからない。
 
足元を見下ろした。この場から動けずにいる。一歩前に踏み出してもいいものか、下がるべきなのかさえわからない。足のつま先を向けるべき方向はどこ?
まるでこの先に道がなく、一歩踏み出せば崖から落ちてしまいそうな恐怖を感じて嫌な汗が滲んだ。
 
突然、背中に人の気配を感じて振り返った。なにもない空間に、大きな光の切れ込みがあった。錆びたのこぎりで乱暴に切り裂いて無理矢理こじ開けたような裂け目だ。だけどその裂け目から射し込む光を囲むように虹の輪が見えて美しかった。
 
そしてその裂け目の前に、ルイが立っていた。
 
「アールさん……」
 
その声に、どくりと心臓が跳ねる。理由はわからない。綺麗な顔をした青年に、アールは恐怖を抱いた。近づいてはいけない、逃げるべきだと本能が騒いでいるようだった。
ルイはアールに手を差し伸べた。アールはびくりと体を震わせ、後ずさる。
 
「だれ……?」
 
アールの知らない人を見る目。拒絶する目は、ルイの心臓をえぐった。
目の前にいるのはアールじゃない。僕の知らない彼女がいる。そう思った。
ルイは差し出していた手をギュッと握り、静かに下した。  
 
「ここは、どこでしょうか……」
 と、ルイは老朽化したコンクリートの建物を見る。
「軍艦島……」
 と、アールはルイを警戒しながら答えた。
「ぐんかん島?」
 ルイはアールを見据え、再び島に目を向けた。「なんだか、悲しい島ですね」
「……かなしい?」
「人類がいなくなった世界の片隅のようです」
「…………」
 アールは建物に目をやった。人々がいなくなり、建物だけが取り残される。悲しみや寂しさよりも、少しだけ恐怖を感じた。
 
アールが視線をルイに戻すと、彼は悲しそうにアールを見つめていた。アールにはその理由がわからない。彼の感情が読めず、胸がざわめいた。見覚えのない罪を押し付けてくるような、大切なものをまるで私が奪ったとでも言いたげな表情に見え、逃げ出したい衝動にかられる。
 
ルイは背後で別世界へ通じる“扉”が塞がっていく音を聞いた。その音に急かされ、アールの腕を掴んだ。
 
「やだっ……怖いッ!」
 と、アールはルイの手を振り払う。ズキンとルイの心が悲鳴をあげた。
「アールさん……」
「誰かッ! 誰か助けてッ!!」
 
アールはルイに背を向けて駆け出した。遠くの方に船が見える。
 
「誰かッ!!」
 船に向かって大きく手を振り、自分の居場所を知らせる。
 
──僕は 悪者でしょうか
 
ルイの手が再びアールの腕を掴んだ。「離してッ!!」アールの叫び声が島に響く。振り払おうとしたがルイの力が強く、振り払えなかった。
ルイはアールを強引に引き寄せた。身をよじりながら必死に抵抗するアールを両腕で抑え込み、抜け出せないように服を掴んで“扉”へと連れて行く。
 
──僕は、悪者なのでしょうか
 
「嫌っ……誰かッ!!」
 船から人が島に降りて来た。アールは喉が切れそうになるほどに大声で助けを求めた。
「誰か助けてッ!!」
 
船から降りて来た人物がアールに気づき、異変を察して走って来る。
ルイはアールが泣き叫んでいるのを聞いた。その声はルイの心を引き裂いて、ズタズタにしていった。
 
アールはルイに羽交い絞めにされながら、異世界への扉をくぐった。
 
──僕は悪者なのでしょう。
僕は恐れてしまった。
あなたではなく、僕の世界が壊れてしまうことを。
 

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