voice of mind - by ルイランノキ


 心声遺失20…『今がすべて』

 
召喚魔法を行うサモンズルームに、ルイとアールが戻って来た。二人共床に座り込み、ルイの腕の中にアールが小さくうずくまっている。
 
「連れて行け」
 と、ゼンダが隣に立っていたデリックに声を掛けた。
「……はいよ」
 デリックはルイの腕からアールを強引に引きずり出した。
 
アールは力なく床に倒れ込む。激しい頭痛に見舞われ、苦しげに頭を抱えた。失われていた記憶が、痛みが、苦しみが、一気に脳に流れ込み、心臓を握り潰した。
「あ”ぁああぁあぁぁぁぁ!」
壊れたように悲鳴をあげる。──うまく息ができない……。
「お嬢、ボス戦が待ってる」
 デリックは頭を抱えているアールの腕を掴み、引きずるようにサモンズルームを出て行く。
 
力なく座りこんで俯いているルイに、ゼンダは言った。
 
「なにをしている。エテルネルライトの準備を手伝いなさい」
「…………」
 ルイは静かに顔を上げ、ゼンダを見上げた。
「休んでいる暇はないぞ」
「エテルネルライト……?」
 と、疲れ切ったかすれ声が出る。
「アールを眠らせる舞台を整える」
「…………」
 ルイは悲しげに笑って、涙を流した。そして、消え入りそうな声で言った。
「もう、やめませんか……」
 
周囲にいた兵士たちは慌ただしく動きまわっている。流れの速い時間の中で自分に与えられた任務をこなそうと必死に食らいついている。──誰一人として、立ち止まって僕らの心情に寄り添ってくれる者などいない。
 
「なにをだ」
「もう、いいじゃないですか……」
 
これ以上、彼女に傷ついてほしくなかった。
もう十分に、多くの責任と痛みを負った。帰ってしまった彼女を迎えに行ったとき、なにもかも忘れている彼女を見て胸が苦しくなった。彼女の中から消え去った僕に怯え、逃げ出そうとしたその背中を、僕は見送るべきだった。
そうすれば彼女はあのまま、すべての荷物から解放されて幸せに暮らせたのに。
 
だけど僕はそれをしなかった。
彼女の腕を掴んで離さなかった。
 
「元の世界へ帰してあげればいいじゃないですか……」
 
自分の感情を止められなかった。
あの時、僕を突き動かしたのは、世界を守る使命なんかじゃない。
 
「溢れ返った魔物たちはどうする。この星を蔓延る邪悪な力はどうするつもりだ?」
 
もっと単純で、もっと強欲な感情。
彼女の幸せを願いながら、彼女を失いたくなかったんだ。
 
僕が彼女の腕を掴んで力任せに引き寄せたのは、私的感情。
死ねなかった。死にたくなかった。自分の心を犠牲に出来なかった。自分の心が死んでいくのを、黙って受け入れられなかった。
 
力任せに抱き寄せても、僕のモノになることはないのに。
 
「そんなもの……僕たちでどうにかしていけばいい。ヨグ文字があればなんだってできるはずです!」
「…………」
 ゼンダは腰を下ろし、座り込んでいるルイに視線を合わせた。
「それが危険な考えなのだ。愛は人を狂わせる。冷静な判断を奪う。守りたいものを守るために手段を選ばなくなる。──君ならわかるだろう?」
 
父は、禁忌を犯してまで母を生き返らせようとした。失敗に終わってしまったけれど。人は父をどう思うのか、母はそんな父をどう思うのかはわからない。だけど少なくとも僕は、父の愛を、美しいものだと思える。
あんな風に僕も誰かを愛せたらと、思ってしまう。
それは僕が、上手な愛し方を知らないだけだろうか。
 
「あなたの手段は間違っている……」
「犠牲は必要だ。多くの犠牲を選ぶわけにはいかない」
 ゼンダはルイの肩に手を置いて、立ち上がった。「さぁ、世界のために手を貸してくれ」
 
一方的な愛は、いつだって行き場を失って迷子になっていた。
相手に届けることも出来ず、自分の中だけにとどめていたのに、いつの間にか大きく成長して、あふれ出していた。気づかれまいと慌てて掬っても、指の隙間からこぼれ落ちた。
こぼれ落ちたモノの正体さえ口に出さなければいい。そう思った。
愛のカタチはひとつにとどまらない。相手に気づかれてしまったとき、僕の愛は小さな針となって彼女を刺すだろう。僕はそれを知っている。
 
ルイは立ち上がり、サモンズルームを出て行こうとするゼンダの背中を見遣った。
 
「シドさんに言われました」
 ゼンダは足を止めてルイに目を向けた。
「僕の愛し方は異常なんだそうです」
 ルイはそう言って、デスペルタルの指輪が嵌められた左手をゼンダに向けた。
「ゼンダ様ッ!!」
 周囲にいた兵士たちが騒ぎ立てる声は一瞬にして消えた。
 
ゼンダは自分を取り巻くすべてのものを奪い去ったような真っ白い光に目を細めた。そして次第に見えてきた点々と足場を作っている崖と、青のない空が広がる異空間を眺め、ルイの後ろにいる竜に目を向けた。
 
「君が私に歯向かうとは……」
 ゼンダはトン、と杖で地面を叩いた。
「僕は彼女に幸せになってもらいたいんです。彼女は幸せになるべきなんだ」
 ルイがロッドを構えると、背後にいたデスペルタルが咆哮を上げた。
「ならなぜ連れて帰ったのだ」
「…………」
 ルイは言葉を探すように視線を落とした。
「君もこの世界に彼女が必要だと思ったからだろう」
「それは違います。僕が彼女を必要としたからです。僕の世界から、彼女を消し去りたくなかっただけです」
「…………」
「あの時、僕に背を向けて走って行く彼女を見て、咄嗟に体が動いてしまった。この世界のことなんて考えていません。欲しいものに、手離したくないものに、手を伸ばしただけなんです……。間違いだったと、思っています」
「どのような理由であれ、連れ戻してくれたことに感謝している」
「…………」
 ルイは眉間にしわを寄せた。
「ヨグ文字を如才なく扱えるようになれば確かにあらゆることが可能になる。この世界を蔓延る邪悪な力も、魔物も、消し去ることが出来るだろう。──だがそれらを実現させるために、絶対的な力が必要なのだ。闇と光、ふたつの力を持った彼女の存在が、すべてを可能にする」
「彼女を最後までこの世界を守る道具の一つとして扱うのですね」
「必要な犠牲だ。君が命をもって反対の意思を示そうとも、私の考えはなにも変わらない」
「……アールさんに、元の世界へ帰すと約束したんです。ここであなたの計画を止めなければ、その約束を果たせない」
「どうあがこうと君には止められん。よく考えなさい。君の世界は今後も続いて行く。今がすべてだと思うでない」
「今がすべてです。僕の世界も、彼女を失うことで崩壊する。彼女が幸せにならない未来を、僕は生きたいとは思わない」
「……若いな」
 ゼンダは険しい表情で視線を落とした。
 
ルイの攻撃魔法がゼンダを無慈悲にも襲い掛かる。ゼンダは結界を張って身を守った。
痛くも痒くもないはずなのに、心が切り刻まれる。
 
前途有望な若者の未来を、奪っていいはずがないのだ。
 

第五十五章 心声遺失 (完)

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