ル イ ラ ン ノ キ


 ≪1≫ 人 殺 し と 女


 
私は人気の少ない路地裏を好んで歩いていた。今にも雨が降り出しそうな灰色の空の下でなるべくなにも考えないようにしながら足を動かして歩いた。
何度も同じ道を行ったり来たり。
 
「見ぃつけた」
 
その声にぞくりと背中に悪寒が走った。私は思わず足を止め、背後から聞こえてきたその声の持ち主の足音に耳をすませた。
足音は私のすぐ後ろに迫り、止まった。
 
「顔の確認、させてほしいんだけど?」
「…………」
 
私はごくりと唾を飲み込んで、意を決して振り返った。
 
「あ……」
 
そこには綺麗な顔をした男性が立っていた。生まれてこの方関わったことがない綺麗な顔の男。彼はくだものナイフを持っていた。CGのような綺麗な顔で笑って、ナイフの刃を私のお腹に突き刺した──
 
「うっ……」
 咄嗟にお腹に力が入り、あれ?と思う。痛くない。
「うっそぴょん」
 男はそう言って、持っていた果物ナイフを私の目の前に持ち上げると、反対側の手で刃先を押した。シュッと凹んだ。偽物だ。
「ど……どういうつもりですか……」
「どうもこうも、君が可愛かったからつい」
「は……?」
「ね、ちゃんと殺してあげるから、一日付き合ってよ」
「え……」
「どうせ死ぬんだ。別にいいだろ?」
「…………」
 
まるで、このあと用事がないなら遊ぼうぜって友達を誘うような言い方だった。
私は正直戸惑った。殺すなら早く殺してほしいと思う反面、こんなイケメンと話して一日を過ごせるのはこれが最初で最後かもしれないと。だったら遊んでからでもいいかなって。
 
「嫌ならいいよ」
 と、彼はつまらなそうに言い、偽物のナイフをコートのポケットに入れた。左手にはショルダーバックを持っている。バッグの中には、きっとロープや包丁などが入っているのだろうと憶測する。
「付き合ってって……なにに?」
「買い物。カラオケ」
「カラオケは私行きません……」
「なに言ってんの、どうせ死ぬくせに」
「そうだけど……」
 
確かにそうだけど。カラオケとか、そういうのは友達が沢山いる人が行ってワイワイするところだと思っていたから私とは無縁のものだった。
 
「歌わなくていいし。なんか食えよ、おごるから」
「…………」
 
結局私は彼のテンポに乗せられて、彼についていってしまった。これじゃあまるでナンパされて簡単についていった尻軽女と変わらない。これもどうせ死ぬのだから気にする必要はないのかもしれない。
 
彼はカラオケ店につくと、時間はフリータイムを選んで個室に移動した。部屋に入るやいなやマイクを手にとって音量やエコー調節をし、次から次へと曲を入れていった。
私は慣れない場所で落ち着かずにいた。そんな私を圧巻させたのは彼の歌声だった。普通にうまい。少しヴィジュアル系の歌い方が気になるけれど、ロック調からバラードまで歌いこなしていた。
 
「どう? 俺結構うまくね?」
「はい……」
 と、普通に答えてる。
 
彼の歌声に感心しながら、なんだかおかしくなってきた。このあと私たちは殺す側と殺される側になるというのに、仲良くカラオケだなんて。──仲良くはないか。
それにしてもどうして彼は手を汚すことを決めたのだろう。なんの不自由もなさそうな容姿と人懐っこい性格を持っていて、女性に苦労もしていなさそうだし、殺人なんかして捕まりでもしたら彼の人生は台無しになるだろうに。
それとも、捕まらない自信があるのかな。
 
「なんか頼む? 飲みものと」
 と、彼は歌の間奏になるとテーブルの上に置いてあったメニューを広げて私に渡した。
「特には……」
「死人が遠慮すんなって」
「死人って……私まだ死んでません……」
 そう言い返すと彼はマイクを持ったまま大笑いした。
 
愉快な人だなと思った。私とは住む世界が違う。
 
「……なんで人を殺そうと思ったの?」
 なんとなくでそう訊いた。こんなに容姿端麗な人が、犯罪に手を染めようとしているなんて。容姿端麗だからといって幸せだとは限らないんだろうけど。
「殺してみたかったから」
 平然とそう答えて、また歌い始めた。
 
変なの。私はこの人に殺されるのに恐怖を感じない。殺してみたかったから?それだけの理由で人を殺せるのかな。
 
「俺さ、宝くじ当たったんだよ」
 と、彼はまだ歌が続いているのに停止ボタンを押してマイクを置いた。
「いくらですか?」
「見てみ」
 彼は自分の横に置いていたショルダーバックを広げて中身を見せてきた。
 
私は漫画のように目を見開いておどろいた。札束が詰め込まれている。
 
「うそ……」
「嘘じゃねぇって。でさ、ぱーっと使っちゃおうと思って。カラオケに飽きたらブランド物買いあさりに行って、あ、高級ホテルの一番高い部屋借りてそこで殺してやろうか?」
 と、いいこと思いついた!と言わんばかりに笑う。
「も、もったいないですよ。せっかく当たったんですからもっと……」
「もっと? どうせこのあと君を殺すわけだし、殺したら捕まるだろ? したら暫く豚箱から出られなくなる。だったら今の内にぱーっとさ」
「…………」
「なんだよ、ノリわりぃな」
「…………」
 
殺される人間がノリよく「いいですねー! ぱーっといきましょう!」なんて言えるわけもなく。
 
「パーッと……」
「そう、パーッと。どうせ死ぬんだろ? 俺はどうせ捕まるんだ。最後の晩餐だと思って騒いで楽しもうぜ! 酒呑める?」
「私未成年だし……」
「じゃあホテルに行く前にコンビニかどっかで酒買い占めて行こうぜ」
「え……だから私未成年……」
「だぁーから死ぬんだろうが。未成年とか関係なくね?」
 と、ポケットからスマホを取り出した。
「そう……ですね」
「だろ? とりま、一番高いホテルはー……っと」
 
スマホでホテルを検索しているようだった。
なんだろう、わくわくしている自分がいる。これまで生きてきてこんなに清清しく、わくわくしたことがあっただろうか。──なかった。なかったから私は……
 
「五つ星ホテル見つけた。ちょうど一室だけ開いてたから予約した」
「え、もう?!」
「当たり前だろ前田さん」
「前……前田ですけど駄洒落って……」
 
彼は私の名前を知っている。
 
「おっさんくさいってよく言われるんだけどね」
 と、再び歌いだす。
 
そんな名前も知らない彼の横顔を眺めながら、こんな人が恋人だったらきっと楽しいんだろうなって思った。人を平気で殺そうとしている人ではあるけれど。恋人とまでいかなくてもいい。こんな人が友達だったら。きっと私の世界は今よりも明るくて太陽に照らされていたんじゃないかと思う。
彼なら私を知っても毛嫌いしないでくれそうだから。
 
「ほのちゃんさ」
「ほのちゃん?!」
 一曲歌い終えた彼はメニューを見ながら言った。
「なんで死にたいの?」
「…………」
 
そう、私は死にたいんだ。そして彼は、そんな私を殺してくれる人。
 
「疲れちゃって」
「なにに?」
「全てに」
「家族は?」
「いない。私が生まれたときから母しかいなくて、男癖悪かった。育児放棄されて、施設で育った」
「へぇ、ドラマみたいだ」
「あはは……確かにね」
「友達は?」
「いるわけない」
「学校は?」
「退学。わざと」
「なんでまた」
「いじめに合ってて、もう学校行きたくないと思って。でも登校拒否は逃げてるって思われそうで嫌だったから、自ら問題起こして退学にしてもらった」
「問題って?」
「大暴れしてやった」
「あはははは、なかなかやるね!」
 と、彼は綺麗に笑う。
 
でもなんか、引かれたり叱られるより断然いい。笑ってくれたことが私の救いになった。
 
「ほのちゃんを心配してる人はいないわけだ」
「うん、いない」
「世話になった施設の人は?」
「嫌いだった。施設の人は心優しい人ばかりっていうのはそれこそドラマの世界だよ。実際はえこひいきが凄かったし。私はこき使われてた」
「シンデレラみたいだな」
「シンデレラ? 笑わせないでよ」
 と、苦笑した。「じゃあこのまま生きていれば王子様と出会って幸せになれるっていうの?」
「言わないよ。現実はもっと残酷だからね」
「え……」
「適当に頼むから、ほのちゃんも食えよな」
 
そう言って彼はメニューを片手にフロントに電話をかけた。
てっきり、きれいごとでも並べられると思っていたのに。彼は違った。まるで私と同じ思いをしたことがあるかのように、理解してくれている。
私という世間のゴミのような存在を、認めてくれている。
 
「なぁ」
 と、注文を終えた彼は私に近づいた。
 
押し倒されるかと思うくらいの距離に、たじろいだ。
 
「な、なに……」
「経験したことある? ほのちゃん」
「…………」
 
私も子供じゃない。なにを?と聞き返すようなことはしない。でも、経験はない。
 
「ない……」
「んじゃ、する? ホテル行ったら。最期に。俺でよければ」
「…………」
 
こんな手の早いクズ男にさえ、私はありがたいと思ってしまうくらい腐っていた。こんな綺麗な顔をした男性が私なんかを相手にしてくれるんだ。感謝しかない。
 
「いいよ」
 
彼は優しく笑って、次の曲を選び始めた。
私は少し後悔した。こんなことになるならもっと可愛い下着を身に着けておけばよかった。最期の日になるからと綺麗な下着を選んではいたけれど、もっと、女の子らしい下着にすればよかった。
 
「ほのちゃんもなにか歌いなよ、下手でも拍手してやるから」
「…………」
 どうせ死ぬんだし。一曲くらい歌っておくか、と、マイクを握った。
 
人前で歌を歌うなんて考えられなかったのに、注文したものを店員が運んできたことにも気付かないくらいに熱唱。
スカッとした。これまで溜め込んできたものを吐き出せたように。
 
「いいね、別に下手じゃねーし」
 と、テーブルに置かれたフライドポテトを口に運ぶ彼。
「……そう?」
「もっと歌ってよ、ほのちゃん」
「…………」
 
私を殺す人が、彼でよかったと思った。
どこの誰でもいいから殺してほしいと思っていたけれど、気持ち悪いおっさんに殺されていたかもと考えると彼でよかったと思う。それにこんなにいい思いをして死ねるんだ。
ある意味、シンデレラより幸せかもしれない。だってシンデレラはその後のことが書かれていないから。めでたしめでたしの後は、王子様とうまくいってるの?ろくに互いのこと知らないのにさ。きっと価値観だって違うはず。
 
それに比べて私はいい思いをして、望みどおり死ねるのだ。
これこそめでたしめでたしってやつじゃないの?
 
━━━━━━━━━━━
 
彼が豹変するかもしれないという不安はあったけれど、どうせ死ぬんだしと思ってそれでもいいやと思った。でも、彼はこんな私を相手に、最後まで優しかった。嫌だといえばやめてくれたし、私が望んだことは口に出さなくても感じ取ってくれた。
彼は女慣れをしてる。彼がこれまでに抱いてきた女性の中できっと私は最下位だろうなって思う。
 
「ほのちゃん、どんな風に死にたい?」
「…………」
 
ベッドから身を起こして、ソファに座っている彼を見た。そうだ、私は殺されるんだと思いながら。
 
「希望はある?」
「……そっちの希望は?」
「ん? なんで俺の希望? ほのちゃんの最後なんだからほのちゃんが決めればいいのに」
「でも……無茶な殺し方頼まれたら嫌でしょ? 例えば……スプラッタみたいな」
「グロイね」
 と、笑ってテーブルの上にあったワインを飲んだ。「そういうのがいいの?」
「ううん……なんでもいい」
 
なんでもいい。どうせ死ぬんだ。
 
「じゃあ、眠ったところを殺していい? あんま痛みに叫ばれたりするの好きじゃないからさ」
 
これは彼の優しさなのかな。
 
「うん。ちゃんと殺してくれるなら」
「殺すよ、ホームセンターで本物買いなおしたんだし」
 と、買い物袋から刃渡り20センチの包丁を取り出した。
「うん」
「じゃ、おやすみ」
 
彼は睡眠薬をワインに入れて、私にそのグラスを渡した。
 
「子守唄歌ってもらっていい? 眠るまで」
「いいよ」
 
私はワインを一気に飲んで、ベッドに横になった。彼が身につけていた香水の香りに包まれて、目を閉じる。彼の歌声が聞こえてくる。綺麗な声。
やっと開放される。ずっと耐えてきた。ずっと頑張ってきた。いつになったら救われるのか、その保障もないのに信じて頑張ってきた。
でももう疲れちゃったんだ。
 
おやすみなさい。
さようなら。私が生きた世界。
 
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そして目覚めることはないと思っていた私は湿った布団の上で目が覚めた。
雨音が煩い。むしむしする。──ここはどこ?
高級ホテルじゃない。
体を起こすと、不機嫌そうに私を見下ろしている女がベッドの横で立っていた。目鼻立ちは綺麗だけれど、髪はぼさぼさで化粧っけがない。10代後半から20代前半くらいだろうか。
 
「起きた?」
「だれ……?」
「ミユキさんだよね?」
 と、私にペットボトルの水を渡した。
「ミユキ? 違いますけど……」
「そんなはずないよ。あんたの持ち物調べたんだから」
 と、ベッドの下に置いていた私の鞄を引き出して、中から財布を取り出した。
 
それは紛れもなく私の鞄だ。財布も、見慣れた使い古しの長財布。
でも、その財布の中から取り出されたのは私の保険証ではなかった。
 
「ミユキって書いてんじゃん」
 と、私の膝のうえに鞄などを放り投げた。
「私のじゃない……」
「あんたのだよ」
「ちがう……だって私は……」
「前田ほのみ」
「え……」
「彼女は死んだよ。私の仲間が殺した。殺し方はなんでもいいって言ったよね?」
「…………」
 
死にたかった。ずっと、死にたかった。
でも死ねなかった。勇気がなかった。自分で自分を殺す勇気がなかった。
そんなとき、あるサイトを見つけた。よろず屋。
なんでも出来るんなら、私を殺してよ、と思った。だから掲示板に依頼を書いた。それも一方的に。返事なんて必要としていなくて。
 
【前田ほのみといいます。A県B地区に住んでいます。○月○日、午前9時。C駅の南商店街の路地裏にいます。服装は白いYシャツにジーンズ、髪はセミロングで一つに束ねています。顔は画像を添付しますので確認してください。依頼の報酬は駅前のロッカーに500万入っています。その鍵は私が持っています。依頼を終えたら取りに行ってください。
ずっと待ってます。
私を殺してください。】
 
それで出会ったのがあの男だった。
そして私は、彼のいいように殺された……らしい。
 
「生き返りたいならどうぞご自由に。金は返さないよ」
「じゃあここって……」
「誰かに話したら生き地獄に落とすから。死ぬことより生き地獄にいる方が辛いのはよく知っているでしょう。今度こそ自分で自分を殺せるかもね」
「…………」
 私は偽造されたと思われる保険証を眺めた。
「ミユキさん。ようこそ、よろず屋へ」
「……あの」
「働く気がないなら今すぐ出て行ってくれる? そろそろ仲間が帰ってくる。ていうか、働くにしてもここはもう定員オーバーだから他所に行ってもらう予定だけど」
 
粗大ゴミ置き場から運んできたような木製のふるいちゃぶ台の上に置かれた黒電話が鳴った。
 
「──はいもしもし、よろず屋です。簡単なプロフィールと詳しい依頼内容・報酬額をお話しください」
 と、彼女は電話に出ずに私に言った。
「え……?」
「電話、切れたらどうすんの?」
「あ……はい……」
 
私は慌てて布団から出て、鳴り続けている受話器を取った。
 
「は、はいもしもし、よろず屋です……。簡単なプロフィールと詳しい依頼内容・報酬額をお話しください」
「訊いたことはこれに書いて」
 と、横から彼女が鉛筆とチラシで作ったメモ用紙を渡してきた。「電話番号忘れずに。全部訊いたら掛けなおすって言って」
「あ……はい」
 
彼女はベッドに腰掛けると、ポケットから煙草を取り出して一本吸いはじめた。
 
依頼の電話を受け終えた私は、彼女から私の依頼を受けた男のことを訊かされた。宝くじに当たったなんて真っ赤な嘘だった。
 
「あの金は20万分だけ本物」
「……彼は私を……抱きました。そんなこと依頼してないのに」
「抱かれたかったんでしょ? じゃあいいじゃん」
「そんな……彼は嫌だったでしょうに。私みたいな地味な女の相手するなんていくらなんでも……」
「そうでもない。依頼を受けた後は全部任せてる。あんたを抱いたのはあいつが勝手に決めたことだ」
「でも……」
「あいつも色々抱えてんだよ。訴える気がないならいい思いをしたと思って許してやってよ」
「…………」
 
前田ほのみ。
あの日、彼女は幸せを感じながら死んでいった。
 
私の名前はミユキ。
こうして第二の人生が始まった。
 

end - Thank you

お粗末さまでした。150721
修正日 221229


≪あとがき≫
シリーズ物の4話でした。

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©Kamikawa
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