ル イ ラ ン ノ キ


 ≪5≫ 復 讐 と 女


 
「DV男が出てくるドラマを見てるとさ、必ず被害者女性の方は言いなりになっているんだ。ドラマだからであってほしいよね。私がもし男に殴られたら、なにがなんでも仕返しをしてやる。倍にして返してやる。別に警察に捕まってもいい。その人を懲らしめてその男から逃げられるのならどんな卑怯な手を使ってでも仕返しをして逃げてやる。トラウマになるまで仕返ししてやる。仕事にも行けなくして、顔を晒して近所も歩けないくらいに精神的にも追い詰めてやる。自殺まで追い込んでやる。相手の家族まで巻き込む勢いでな。じゃないと仕返しにこっちの家族が危険な目に合わされかねない」
 
思わずコーヒーを飲もうとしていた手が止まる。真後ろの席から聞こえてきた女性の声。それまでは他人の声なんて気にも留めなかったのに、“DV”というワードが耳に入ってきた途端にその声に神経が向いてしまった。
 
「そうは言っても、そんなことできるか?」
 と、女性と対話している男の声。
「力では男に勝てない分、女はかしこい。悪知恵も、男よりよく働くと思うよ。浮気をするのは女の方が上手いようにね」
 
私の後ろの席に座ってそんな話をしていた女性が立ち上がった。
 
「君は浮気したことがあるのか?」
 男が訊いた。
「浮気してまで抱かれたいと思える男と出会ったことねぇよ」
 
そのセリフにたまらず振り返ってしまった。けれど彼女の顔を見ることは出来なかった。ジーンズのお尻のポケットからタバコを取り出しながらお店を後にする後姿だけ、見えた。
 
「聞こえた?」
 と、さっきの女性と話していた男に声を掛けられた。
「あ……すみません」
「いや、いいよ。ビックリだよね」
 男はそう言って、テーブルに置いていたボイスレコーダーを止めた。
「…………」
 色々訊きたかったが、あまり干渉してはいけないと思い、軽く会釈をして前を向きなおした。
 
けれど、男は直ぐに席を立ち、私の向い側に移動して私と向い合わせに座った。
 
「え……」
「君、誰か待ってるの?」
「いえ……」
「なにか待ってるの?」
「いえ、特には。ここのコーヒーが好きなので」
「じゃあ時間はあるわけだ。ちょっと話聞かせてくれない?」
「は?」
「いや、こういう者でね」
 男はそう言いながら、スーツジャケットの内ポケットから名刺を取り出し、渡してきた。
「……ジャーナリスト?」
 名刺を見て、そう言った。
「君はさ、DVについてどう思う?」
「…………」
 
話をするなんて言っていないのに、自己紹介もほどほどに彼はボイスレコーダーの録音ボタンを押してテーブルに置いた。
 
「どうって……最低だと思います」
「経験は?」
「え……」
「ごめんね、率直で」
「いえ……経験はありません」
 
そう応えながら脳裏にはとある男性の顔が浮かび、気分が悪くなった。
 
「そう?」
 男は見透かしているように私の顔を覗き込んだ。
「──まぁいいや。お友達にもDVの被害に遭った人とかいないの?」
「いません」
 いても、この人には言いたくないと思った。
「そっかぁ、残念」
 
 は? 残念? なんなのこいつ。
 
「あ、ごめんね、機嫌損ねちゃった? 勘違いしないでね、DV経験者がいないのが残念ってわけじゃなくて、仕事としていい情報がもらえなかったことが残念ってこと」
「大して変わらないと思いますけど」
 腹が立つ。
「ははは、そう怒らないでよ。おごるからさ」
「結構です」
「俺もねー、好きでこういう仕事をしてるんじゃないんだ。あ、さっきの女性、凄いよね。色んな話を聞けたけど、ちょっと特殊すぎたかな。記事として使えそうなものはあまりない」
「…………」
「君もさ、本当のこと話してくれたら報酬は弾むんだけど」
 
にやけた顔で見つめられ、脳裏に浮かんだ男と顔が重なった。胸糞悪い。
 
「あなたは?」
「ん?」
「あなたは女性に手を出したこと、ないんですか?」
「…………」
 
一瞬、顔が引きつったのを見逃さなかった。
私は人の表情の変化に敏感だった。あの男のせい。あの男の顔色ばかり窺っていたせい。
 
「君おもしろいねぇ」
「…………」
 直ぐに否定しない。誤魔化す。経験、あり。
「DVをする男性の方にインタビューしたほうがいいんじゃないですか?」
「んなもんインタビューしてどうすんだよ」
「これ以上被害者が出ないように原因とか突き止めたらいいじゃないですか」
「ははは、無理だよ。手を出す理由なんて人によって違うんだから」
「そうでしょうか」
「それにね、女にも原因があることもあるんだよ」
「…………」
「どんな理由があっても手を出すのは最低だとか言いたいんだろうけど、親だって子供が悪い事をしたら躾で手を出すこともあるでしょう。それと一緒だよ。なのに女ときたらすぐにDVだとか騒ぎ出す。たまったもんじゃない」
「経験談ですか?」
「…………」
 
せっかく美味しいコーヒーが不味く感じる。もしかしたらさっきの女性も彼と話をしていて苛立ったのかもしれない。今思えば、苛立ちが含まれているような言い方だったような気がする。
 
「君はどう思う? 躾で子供の顔をひっぱたくことは時に許されるのに、なぜ大人の男が大人の女に手を出しただけで騒がれるんだ。子供にはよくて、大人の女にはダメ、なんていうのはおかしいよなぁ。俺は大人になっても言葉で通じない馬鹿にこそひっぱたいてでも教えてやるべきだと思うがね。まぁ子供はわからないことが多くて当たり前だからちょっと出来ないだけで叩かれるのは可哀想だけど」
「ゆるされていないし相手が子供だろうが女性だろうが動物だろうが、暴力は最低です」
「暴力じゃない。躾だよ」
「躾じゃない。暴力です」
「…………」
 
互いににらみ合ったまま、言葉を閉ざした。
 
「そうか。躾ならいいのか」
 と、通路の反対側の席に座っていたガタイのいい男性が突然立ち上がった。
「え?」
 自称ジャーナリストの男はその男性を見て血相を変えた。
「躾なら、いいんだよな?」
 ガタイのいい男はそう言って、自称ジャーナリストの腕を掴んで立ち上がらせた。
 
そして、彼はそのまま店の外へと連れて行かれてしまった。一体何が起きたのか、私は店のガラス越しに外を見遣ると、駐車場には黒いワゴン車が止まっており、いかにも体に刺青が彫ってありそうな怖い男の人たちが数人、ジャーナリストを車に押し込んだ。そして車が走り出すと、それを見送る女性の姿に気がついた。
 
「あの人……」
 
さっきの人だ。さっきジャーナリストと話をしていた女性だ。
私は思わず席を立ち、慌てて会計を済ませて外に出た。女性はタバコを吹かしながら横断歩道を渡ろうとしている。
 
「すみません!!」
 
大きい声で呼び止め、はたと我に返った。──呼び止めてどうする!
しかしその女性は私の声に反応して横断歩道を渡らずにこちらを見ている。明らかに待っている。今更やっぱりなんでもないです、とは言いにくい。
私は足早に歩み寄った。
 
「あの……」
「なに」
「さっきの男の人、なんなんですか? ジャーナリストとか言ってましたけど」
「ならジャーナリストなんだろう」
「いや、その……なんか連れて行かれちゃったし」
「借金あるからね、あいつ」
「そうなんですか?」
「少し調べたら借金が大量に出てきたんだ。ちょうどいいと思って。暴力は痛くていけないことなんだよって教えるのに」
 と、笑った。
「えっと……?」
「あいつからDVを受けた女性がいるんだ。その女から依頼を受けた。懲らしめてくれって」
「依頼……?」
「あんたもなにかあれば」
 女性はポケットからしわくちゃの名刺を取り出した。しかしそこには名前ではなく、サイト名とそのURLが書かれている。
 
《なんでも屋。あなたのお悩み解決します。連絡はこちらまで》
 
「殺しは引き受けないけど、半殺しくらいなら」
「…………」
 冗談を言っているのだろうかと眉間にしわが寄った。
「でもそれ、有効期限があるから」
「え……」
「サイトは不定期に移転を繰り返してる。そのURLも、明日には使えなくなってるかも」
 探偵だろうか。
「私は……」
「必要ないなら捨てればいい」
「…………」
 
女性は再び信号が変わるのを待ち始めた。私はしばらくその紙を見つめていた。脳裏にこびりついて消えない奴がいる。いつまでも私の心を支配する奴がいる。
 
「なんでも屋……?」
「…………」
「もうずっと会ってなくて……数年前に付き合ってた男なんですけど……」
「…………」
「それでも依頼引き受けてくれるんですか?」
「依頼して。」
 
彼女は一言そう言って、信号が青に変わった横断歩道を渡っていった。
 
「はい。」
 
復讐からはなにも生まれないという。……そうでもない。キレイごとだ。
私はある男のせいで前に進めないでいる。今ものうのうとあいつだけ幸せに暮らしているのなら、許せない。復讐ができたら、すっきりする。後悔なんてするわけがない。それくらい憎い。憎くて憎くてたまらない。殺したいほどに。
その感情をゼロにはできなくても、薄めることは出来る。それで十分。
これ以上被害者を作らないためにも、彼には反省して貰わなければならない。
 
「復讐じゃない。仕返しじゃない。──これは躾だ」
 
そう呟いて笑った私の顔は、きっと誰よりも幸せそうに違いないと思った。
 

end - Thank you

お粗末さまでした。160203
修正日 221229


≪あとがき≫
こんな依頼も受けてしまうのがなんでも屋です。
今回は後味の悪いシリーズ物の5話でした。

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©Kamikawa
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