ル イ ラ ン ノ キ


 ≪3≫ ハ リ セ ン 女


 
「お前は俺のストレスの原因なんだよ!」
 
そう言って彼は私の髪を引っ張って、床に頭を押し付けた。
 
どうして私はこんな男を選んでしまったのだろう。
きっと誰もが言うにちがいない。「男を見る目がないね」と。
 
じゃあみんなはどうやって男を見極めているんだろう。
私だって付き合う前に彼はどんな人なのか散々時間を掛けて知ったつもりだった。
彼から告白をされて一年も保留にしたの。正確には、「考えさせて」と言って一週間後、私は彼からの告白を断った。だけど彼は「友達から」と言って引き下がらなかった。でもそれは決してしつこかったわけじゃない。
 
「嫌なら無理にとは言わない。暇なときにでもカラオケとか、買い物に付き合ってくれると嬉しい。嫌ならその都度、断ってくれていいから」
 
私は彼のことをもう少し知りたいと思った。でも期待させてはいけないと思って、「友達から」じゃなくて「友達でよければ」と言った。
 
それから彼は一年間、私に指一本触れなかった。家に誘うこともなかったし、ホテルに誘うこともしなかった。必ず暗くなる前には家に送り届けてくれたの。
誠実な人だと思った。完璧すぎるくらい。
 
「聞いてんのかッ?!」
 と、私の頭を足で踏んだ彼は、すっかり興奮しきっていて“彼女”の存在を忘れていた。
 
「完璧すぎるのが怪しいんだよこの腐れクズ野郎がっ!!」
 
彼の背後からそう怒鳴った彼女は、厚紙で作ったハリセンを彼の頭に振り下ろした。
 
   スパ──ンッ!!!
 
爽快過ぎる音に、私は踏み付けられていることも忘れて泣きながら笑った。
 
━━━━━━━━━━━
 
「大丈夫?」
 と、声をかけたのは私だった。
 
部屋の中はゴミ屋敷のようにいろんなものが散乱している。
あのハリセン後、彼と彼女のバトルが始まったのだ。テーブルはひっくり返るし、棚の上にあったものは投げあって床に落ちて壊れているし、すっからかんになった棚は倒れてしまっているし、テレビには皹が入っている。

そして彼女の右目が腫れ上がって、ほとんど開かなくなっていた。
 
「だぁーいじょうぶ大丈夫。ビデオはちゃんと撮ったよ」
 
彼女はふらつきながら、エアコンの上に隠していた小型カメラを手に取った。
 
「先に手を出したのは、DV男のあいつ」
 
彼は散々暴れたあと、しつこい彼女に嫌気がさしたのか部屋を出て行った。
ここは私が借りているアパートだから、このまま二度と戻ってこなくていいのだけど。
 
──と、その時、部屋のチャイムが鳴った。
私は反射的に体を強張らせた。彼が戻ってきたのではないかと思ったからだ。冷静に考えれば、怒り奮闘していた彼が戻ってきたとしてもご丁寧にチャイムを鳴らすとは思えないけれど。
 
「大丈夫。近所の人か警察だよ。こんだけ暴れたんだから、誰も来ないほうがおかしい」
「……警察」
「大丈夫大丈夫。あんたはおとなしくしていればいいの。できれば震えて脅えてる演技くらいはしてほしいけどね」
 
彼女は証拠と共に警察に彼を売った。
意外にも警察はすぐに動いてくれた。それは彼女に秘密があったから。その理由は教えてもらえなかった。
 
「私ちょっと警察に顔が利くんだよね」
 
そして私は彼女が用意してくれたアパートの部屋に引っ越した。私が住んでいたアパートには怖い男の人達が住みはじめた。何者かはわからない。彼女が読んだ通り、警察から解放された彼はすぐに私の部屋へやってきた。正確には、私が住んでいたアパートに。
もちろんそこには筋肉質の怖い男の人たちがいて、彼は部屋の中に引きずり込まれたわけだけど。
 
「──それで彼はどうなったんですか?」
 
喫茶店でホットコーヒーを飲みながら尋ねたけれど、彼女はミルクコーヒーを飲んで窓の外を眺めながら言った。
 
「企業秘密です。──とにかくもう心配いらないから。しばらくは恋愛を休みなよ。女として幸せになりたいのはわかるけど」
「……はい」
 
彼女は私の友人ではない。
ネットで見つけた《よろず屋》に連絡をしたら私の前に現れた女性だった。
 
私はバッグから茶封筒に入れた札束をテーブルに置き、彼女の方へ滑らせた。彼女は封筒の中身を確認すると、白いコートのポケットに無造作に仕舞い、くしゃくしゃのタバコを取り出して火をつけた。
 
「まいどあり。──じゃ、さよーなら」
 
彼女は席を立ち、全席禁煙の喫茶店から出て行った。
 
それから一週間後、あの《よろず屋サイト》はネット上から消えていた。
予告もなく、移転報告もなく。
 

end - Thank you

お粗末さまでした。150528
修正日 221229


≪あとがき≫
シリーズ物の3話でした。

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©Kamikawa
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