ル イ ラ ン ノ キ


 7≪みとり屋と女≫



窓際にある小さなテーブルの椅子に腰掛けているのは20代の女だ。買ったばかりだと言うハイブランドの黒いワンピースを身に纏い、テーブルに広げている便箋にペンを走らせる。その傍らには薄黄色の封筒が置かれている。時折、テーブルの隣、窓際に立っている中年男性である私に目を向ける。ちらりと一瞥しただけで何も言わずに再び便箋に視線を落とす。彼女は暫く虚空を見遣り、考えてからまたペンを走らせた。
 
私は窓から見える景色を眺めている。窓から見えるのは背の高い古びたビルと、その下で虫のようにうごめく人間や車。山は遠くに見えるが霧で霞んでいる。空は生憎の曇り空。面白みのない景色だった。
 
「書き終わりました」
 
眺めていた景色に飽きてきた頃、彼女はそう言って文字を綴った便箋を三つ折りにし、封筒に入れた。
私は何も言わずに彼女と視線を合わせ、優しく口元を緩ませて再び窓の外に目をやった。そして、窓の鍵に手を掛ける。──いつもそうだ。ひと段落ついた頃、外の空気を吸いたくなる。理由は自分でもわからない。ただ少し重い空気を入れ替えたいと感じているのかもしれない。
窓を開ると今にも雨が降りそうなどこかかび臭いにおいと共に生ぬるい風が入り込み、地味なベージュ色のカーテンを揺らした。
 
「あーおーげーば、とおーとし……」
 
そして口ずさむ。仰げば尊し。決して上手くはないが、音痴でもない。でも風に乗せて歌うのは気分がいいものだ。眼下に蠢いている人々に向かって歌っても誰にも聞こえない距離がある。ここはビルの6階だ。たとえふとこのビルを見上げて私の姿を目で捉えた人がいたとしても、まさか歌を歌っているとは思わないだろう。
 
「わがーしのーおんー」
 
手紙を書き終えた女性が席を立つ。私はそれを気配で感じながら目もくれずにただ口ずさんだ。──教えのにわにもまだいくとせ。
そして。
 
「らーらーららー……」
 
背後から突然グゥ、と喉が絞まる音と柱が軋む音がした。そのせいで私の歌は一瞬途切れる。けれど、すぐに続きを歌った。
 
「ららららー」
 
歌い終わると、窓を閉めた。振り返ると振り子が揺れている。
天井の柱に首を吊り、ゆらゆらと、女が揺れている。高級なワンピースが浮いて見えた。
 
私はそれを眺めながら、欠伸をこぼした。振り子を見ていると眠くなる。あなたはだんだん眠くなる。そんな催眠術を掛けられているかのよう。
涙が滲んだ眠い目を擦り、テーブルを見遣った。女が書き残した遺書がある。私は手袋をしてそれを持ち上げ、そこに書かれている彼女の最後の言葉を読んだ。家族への感謝の手紙だった。当たり障りのない言葉が綴られている。ドラマなんかで見るような内容だ。これまで迷惑を掛けたことへの謝罪も書いてある。
読み終えた私は封筒に仕舞い、テーブルに戻した。胸ポケットから取り出した布巾で窓際の指紋をふき取る。別に私が彼女を死へと追いやったわけではない。私はただ、自殺に立ち会っただけだ。それでも指紋をふき取るのは、仲間からそうしろと教わったからである。誰だって面倒なことに巻き込まれるのはごめんだ。
 
振り子の振り幅は小さくなっていた。私は首を吊った女を見上げ、美人が台無しだ、と思う。括ったロープが首を圧迫して綺麗な顔が歪んでいる。こんなに綺麗な顔に生まれてきたのに、簡単にその肉体を捨てるなんてもったいないなぁと思う。
 
「おつかれさまでした」
 
いつもの言葉を投げかけ、遺体に一礼。
私は静かにその場を後にした。
 
近頃、急に疲れやすくなったように思う。もう年だろうか。
 
─────
 
みとり屋。
 
父の仕事を知ったのは父が病死する1ヶ月前だった。既に病院のベッドで寝たきり状態で、話しかけてもほとんど反応がなく、喋ることもできなくなっていた父が、意識があった内に書き残したと思われる手紙が病室のベッド脇にあるテーブルの引き出しから出てきたのだ。
 
《私は、みとり屋という仕事をしている。もしも仕事に困ったときは、この女性を訪ねてみるといい。私の名刺を持っていけば、すぐにわかるはずだ》
 
便箋の中央にそう書かれており、名刺が一枚入っていた。
名刺には黒木三蔵という渋い男の名前と、左上には《みとり屋。あなたの死を、見届けます》と書いてる。あとは父の携帯電話の番号と、どこかのサイトのURLだけ。
 
私ははじめ、“黒木三蔵”というのが女なのか?と思った。というのも、父の名前は黒木三蔵ではなかったからだ。それに、手紙には“この女性を訪ねてみるといい”と書いているにも関わらず、その“この女”に関する手がかりはなにもない。写真が入っていたわけでもなく、どこかに女の名前が書いてあるわけでもなく、住所が記載されているわけでもなかったからだ。
ただ、名刺に書かれている電話番号は自分が記憶している父の携帯番号と同じであることと、便箋に書かれていた《私の名刺》がこの《黒木三蔵》の名刺であることも考えられる。
唯一、詳細の手掛かりがあるとしたら名刺の右下に小さく書かれているURLである。
 
「みとり屋ってなによ……」
 
そもそもの疑問だった。父はずっと広告会社に勤めていると思っていたから“みとり屋”という初めて耳にした仕事に不信感を抱く。
その日、誰もいない家に帰るとすぐにPCの前に座って検索バーにURLを打ち込んだ。一文字ずつ打ち込むのは本当に面倒だった。そして、開いたページを見て目を細めた。背景は黒で、白く大きな文字で《よろず屋》と書かれている。質問掲示板や依頼受け付けのメールボックスが設置されており、利用契約や見積もりページなんかもある、素人が作ったようないかにも怪しいサイトであった。
 
見積もりページをクリックして開いてみる。すると項目ごとに値段が書かれているリストの中に、“みとり”という文字を見つけた。
 
「あなたの最期を看取ります。付き添い1ヶ月……30万円!?」
 
付き添うだけで?と目を疑う。父はこの仕事をしていたとでも言うのだろうか。確かに妙に羽振りが良くなったなと思い始めた時期があった。母がいないこともあってそれまでは節約節約の日々で小さな広告会社で幾ら残業して働いても大した金にはならず日に日にやつれていく父の姿を見ていただけだったけれど、あるときから父の笑顔が増え、顔色も良くなり、突然「今日は焼肉でも食いに行こう」だの「今日は臨時収入が入ったから寿司でも食いに行くか!」と言い出すことが増えた。
興味のないブランド物を買ってはプレゼントされたり、旅行にでも行こうと言い出し、国内だと思っていたら行き先はハワイだったりと、本当に突然人が変わったように父の懐からどんどんお金が湧いて出てくるようだった。極め付けには引越しだ。おんぼろアパートから新築の一軒家を建ててしまった。私はとっくに家を出て一人暮らしをしていたから、父が一人で住むには贅沢すぎて女の影を疑ったけれど、2、3度遊びに行ったときは女の気配などまったくなかった。
一度、なんでそんなに金があるのかと訊いたことがある。そのとき父は「会社が起動に乗りはじめてな」と答えていた。その答え方は事前に用意していたような軽快さがあった。
 
仕事内容はともかく、1ヶ月30万の収入でここまで大盤振る舞いになるだろうか。“みとり屋”という仕事をいくつか掛け持っていたのだろうか。掛け持ちが出来るような仕事なのだろうか。
 
父の仕事に関しても、父についてももっと詳しく知りたくなった。私の知らない父を、このサイトを立ち上げた人は知っているのかもしれない。
私はメールボックスからメッセージを送ってみることにした。
 
【黒木三蔵をご存じですか?】と、手っ取り早く、件名にそう書き入れた。それから本文に【はじめまして】と打ち始める。けれどその手はすぐに止まってしまう。あれこれと訊きたいことは山ほどあったが、出来れば父を知る人と直接会って訊きたい。かくいう父も、“この女性を訪ねてみるといい”と言っているのだ。訪ねる、というのはそういうことだろう。しかも女性と指定してある。サイト、ではなく女性、だ。
私はメールの本文にこう打ち込んだ。
 
【はじめまして。黒木三蔵をご存知でしょうか。父のことをお聞きしたいのですが、直接お会いしたいと存じます。ご連絡お待ちしております】
 
送信ボタンを押す前に少し躊躇い、小首を傾げる。こういうかしこまった文章を書くのが苦手だった。ビジネスメールも打ったことがない。私の仕事は農業で、パソコンは使わないし誰かと連絡を取り合うようなこともない。
メール欄には一度自分のアドレスを記入したが、思いとどまって父のメールアドレスを打ち込んだ。迷惑メールがわんさか来たりでもしたら最悪だと思ったからだ。
 
その怪しげなサイトから返事が来たのはその日の午後11時だった。ちなみに私がメールを送ったのは夜の9時頃である。
 
【三蔵さん死んだんだって? ご愁傷様。来週の火曜、午後9時、南駅前の喫茶店で】
 
「なにこれ……」
 あれほどかしこまった文章に悩んだのがバカみたいだ。《ご愁傷様》と「です」が無いだけでなんだか嫌味に聞こえてしまう。
 
そして【三蔵さんが死んだんだって?】の言葉に、やはりあの名刺は父の物で、父は黒木三蔵としてみとり屋という仕事をしていたのだと確信に変わった。ではこのメールの相手は何者なのだろう。
 
待ち合わせの日、私は緊張の面持ちでその喫茶店に足を運んだ。店内の一番奥にある窓際に座って適当にアイスティーを注文し、周囲を見遣った。“彼女”らしい人の姿はない。彼女が来たとして、私に気づくだろうか。そうだ!と、バッグから黒木三蔵の名刺を取り出し、テーブルの端に置いた。目印になるだろうと思ってのことだ。
15分ほどして、彼女がやってきた。コツコツと重そうなユニセックスのブーツを鳴らしながら、私の正面に座った。想像していた以上に若い女性で驚く。父と同じ年、50代半ばくらいの女性を想像していたけれど、現れたのは20代前半くらいの化粧っけのない長い髪の女性だった。
 
「へぇ、確かに三蔵さんと目元が似てるな」
 と、彼女は言った。
「あの、黒木三蔵という名前は私の父が名乗っていたのでしょうか」
「え? あぁそうか、偽名使ってたんだっけ。そうそう」
 答えながら、彼女はメニューに手を伸ばした。
「私は大塚志奈子と申します。あなたは……?」
「私は三蔵さんを雇ってた女」
「…………」
 名前を名乗る気はないらしい。
 彼女は店員を呼んでホットコーヒーとピザを頼んだ。
「あの、父とはどういう経緯で出会ったんですか? みとり屋とはなんですか?」
「みとり屋を継ぐ気あんの?」
 と、彼女は白いコートのポケットからタバコを取り出して一本口に咥えた。
「え、私がですか? みとり屋がなにかもよくわからないので継ぐとかは考えていません」
「じゃあ答えない」
 彼女はタバコを口に咥えたまま、火はつけずに窓の外を眺めた。周囲を見遣ると壁に《禁煙》と書かれていた。
「父のことが知りたいんです。父が残した手紙に、もしも仕事に困ったときは、あなたを訪ねるよう、書いてありました」
 と、バッグからその便箋を取り出して彼女の方に差し出した。
「困ってんの? 金に」
「いえ……困ってはいませんが……」
「“もしも仕事に困ったときは”って書いてんじゃん。困ったときにまた連絡して」
 と、彼女は便箋を投げるように返した。
「……サイトを見たら《あなたの最期を看取ります》と書いてありました。最後って、死ぬときってことですよね?」
「しつこいね、あんたも」
「仕事内容を知るくらいいいでしょ? 私も依頼者になるかもしれないし」
「“かも”という曖昧な言い方をする奴に説明すんのダルイわ」
「…………」
 ムッと思わず口を尖らせた。初対面なのになんだか礼儀のない人だ。父はこんな人と仕事をしていたのだろか。信じられない。
「──おまたせいたしました。ホットコーヒーとマルゲリータMサイズです」
 と、店員が品を運んで来た。いい香りにお腹が鳴ってしまう。
「あんたも食う?」
「……いえ、食事制限中なので」
「デブに見えないけど」
「……そんなことより、父が請け負っていた仕事って公に出来る仕事なのでしょうか」
「いや?」
 と、彼女はピザの切れ端を持って背もたれに寄りかかり、口に運んだ。
「やばい仕事ですか……」
「ヤバイってよくわかんねぇけど、でもまぁ、感謝されてたよ、三蔵さんは」
「感謝?」
「一人で死にたくない人って案外いるんだよ。家族が間に合わずに一人で死んでく人、身寄りがなく孤独に死んでいく人、家族が駆け付けても死を目前に逃げ出してしまい、結局その瞬間は一人で死んでいく人、自ら命を絶つ際にやり残したことを託す相手を探している人間も。例えば遺書を誰かに届けてほしい、とか、死んだことを知らせてほしい、とかね」
「そういう人に父は寄り添っていたんですか?」
「そ。基本的に、ただ死んでいくのを見届けるだけの仕事。希望があればその手を握ることもある。要望によって金額は上乗せ」
「……なんで父はそんな仕事を」
 と、視線を落とした。母の顔が脳裏に浮かぶ。
「奥さんの死に目に会えなかったと話していたことがある」
「…………」
「寂しがりやな人だったから、申し訳ないことをしたと」
「罪滅ぼしですか?」
 
確かに母が事故に遭い、意識不明で運ばれたとき、父は仕事の都合で駆け付けるのが遅かった。結局、間に合わなかった。私は私で、地方に行っていたから間に合わず、母は一人  
で苦しみながら死んでいったのだ。
 
「さぁ? 私は借金で苦しんでいた彼に手を差し伸べて、彼に出来る仕事を与えただけ」
「借金? 父に借金があったんですか?」
 初耳だ。お金がないとは言っていたけれど。
「詳しくは知らない。興味もないしね」
 と、彼女はピザを一切れ食べ終えてコーヒーを飲んだ。
 
母が危篤状態のとき、すぐに駆け付けなかった父を責めた。どうせ大した会社じゃないんだから仕事なんて投げ出して病院に駆け付けたらよかったのにと。お母さんはお父さんを待っていたはずだよと。自分も駆け付けられなかったことの歯がゆさと責任を、父に擦り付けたようなものだった。
 
父がみとり屋をはじめたと思われる頃から私にあれこれと買い与えたり大盤振る舞いを見せていたのは、私のご機嫌を取るためもあったのかもしれない。今となってはわからないけれど。
 
「このピザ全然うまくねぇ。硬いし」
 と、彼女はもう一切れを口に運んだ。
「あの……私にもできますでしょうか。みとり屋」
「死体を見ることになるけど」
「わかっています」
「一度引き受けた仕事は最期まで責任を持ってもらうけど」
「はい」
 
みとり屋。私も母を見届けられなかった後悔がある。同じ後悔を胸に借金を抱えながら必死に働いていた知られざる父の心。それらに寄り添えるかどうかはわからないけれど、私は父と同じようにその仕事に興味を持った。
 
「んじゃあ、まずは淳一さんの立ち合いからはじめてみたらいい」
「淳一さん?」
「彼もみとり屋。三蔵さんの先輩にあたる。連絡先はこれ」
 と、白いコートの内ポケットから名刺入れを取り出すと、一枚引き抜いて差し出してきた。
 
名刺には黒木三蔵の名刺と同じように《みとり屋。あなたの死を、見届けます》と書いてあり、名前は《太田淳一》になっている。
 
「裏の世界へようこそ」
 と、彼女は笑った。


end - Thank you

お粗末さまでした。221229


≪あとがき≫
サイト休止を前に、久しぶりに新作を書いてみました。というか、途中まで執筆してあったものを仕上げました。
 

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