ル イ ラ ン ノ キ


 8≪ヒーローと女≫


 
父と口を利かなくなったのは私が小学5年生の冬だった。
 
「お父さん、私、友達をわざと突き飛ばしたんだけど捕まっちゃうの?」
 
確かそんなふうに訊いた気がする。
父は警察官だった。
目を丸くした父の口にくわえてあったタバコの灰がはらりと落ちたのを覚えている。
父はなにも言わずに私に背を向けた。
それ以来、父は私を避けるようになった。
 
言っちゃいけないことだったんだなと、私は学んだ。
 
「舞ちゃんって性格悪いよね」
 
当時、同じクラスだった磯沢舞は、人気者でありながら嫌われ者でもあった。
彼女といつもつるんでいた女子のひとりがぼそりとそう言って、その声に周囲の子たちも賛同。当人の磯沢舞は風邪で学校を休んでいた。
 
「わかる。このまえ3組の青木さんを無視しようって言ってきた」
「私も言われた! うちらも無視しないとうちらが無視されるよね……」
「私そういうのやめなよって言ったら睨まれたよ」
「こわ……」
 
昼休みに聞こえて来たその会話に耳を傾けながら、隣の席の太田さんを盗み見た。彼女は磯沢舞からいじめられている。物を隠されたり、不幸の手紙を送られたり、バカにして笑われたり、ばい菌扱いをされたり。そのせいかいつも目に生気がなく、教室の片隅でひっそりと目立たないように呼吸を繰り返しているだけの生き物のようだったけれど、磯沢舞が休んだ今日は心なしか目に光があるように見えた。
 
磯沢舞の家はいわゆる金持ちで、彼女は欲しいものを何でも持っていたし、先生からも可愛がられていた。人懐っこく明るい性格で自然と彼女の周りには人が集まって来るけれど、彼女の意地悪さを知って「友だち」から離れていった人も少なくはない。ただ、彼女に背を向けると背中を引っかかれるから逃げられずに捕まっている連中が彼女の周りに集まっているようなものだった。
 
私は彼女のことが嫌いだった。彼女を知れば知るほど、嫌いになっていった。先生の前ではいい子ぶって、周囲の人間を見下して笑っている彼女が大嫌いだった。
嫌われ者の磯沢舞。
だから私はいつも狙っていた。彼女に天罰を与えるその瞬間を。
 
──今だっ!
 
その声は私の脳内に大きく響いた。
学校の帰り道、私は「わあ!」と大声をあげてつまずいたふりをして目の前にいた男子生徒を突き飛ばした。彼に恨みはない。私は彼の前にいた磯沢舞しか見えていなかった。
私に思い切り突き飛ばされた男子生徒は、自分の前にいた磯沢舞にぶつかった。
 
こんなにイメージ通りにいくものかと、感動した。
磯沢舞は男子生徒に押され、目の前にあった階段から転げ落ちたのだった。
 
私が部屋で何度繰り返してつまずく練習をしたか、誰も知らない。こうでもない、ああでもないと自然とつまづく練習を夜な夜な繰り返しやっていた。
そして毎日、私が直接ターゲットである彼女に触れずに天罰を与える方法を探していた。
そのタイミングがあの冬の日だった。
 
磯沢舞は足と腕を骨折し、顔にもケガを負ったが命に別条はなかった。冬で厚着をしていたからかもしれない。
私は別に、磯沢舞が死のうが生きようがどうでもよかった。
 
後悔なんてしていない。むしろ清々している。
悪いことだとも思っていない。
 
『悪者はオレが退治した! もう安心していいぞ!』
朝の7時から流れるテレビ番組、戦隊もののヒーローがそう言った。
 
そう、私は正義で、彼女は悪者だった。
悪者は痛い目にあってもいい。そう学んだから、実行しただけ。
 
だけどふいに、父の顔が脳裏に浮かんで消えて行った。
私は悪いことをしたのだろうか。それを確かめなければいけない、そんな気がした。だから訊いたのに、父はなにも言わずに私を拒絶した。
 
そしてそのまま私は大人になった。
 
「考え事っすか」
 狭いベランダでぼうっと考え事をしていたら背後から声を掛けられた。振り返らずに白いコートのポケットから煙草を取り出した。
「今日それで何本目っすか。体に悪いっすよ」
 玲人。仕事仲間のチャラ男だ。顔だけいい男。
「長生きするつもりないからいいんだよ」
「そんな寂しいこと言わないでくださいよ。あなたがいなくなったら俺らどうすりゃいいんすか」
「甘えんな」
 と、軽く玲人のすねを蹴る。
 
飛行機雲が線を描いて飛んでいる。さっきまで気が付かなかった。少しくすんだ青空も、季節の変わり目を知らせる風の匂いにも。
 
室内から黒電話の音がする。
 
「出て」
「はいよっと」
 
錆びたベランダの手すり。その錆が袖を汚したけれどさほど気にもしない。
空に描かれた白い線が少しずつ広がって消えていくのを眺めた。口に含んで肺まで吸い込んだ煙をふうと吐く。自分の中にある歪んだ正義感。それを正す方法など知らない。
いつも胸の奥でなにかつっかえているものが、タバコの煙を吐き出すと共に一時的に取り除かれていく気がする。
 
「電話、いたずらでした」
 と、玲人が言う。
「番号変えたばっかだってのに?」
「ばっかだってのにっすよ」
 
肌寒い風が首筋を撫でた。
 
「そういえば、俺がアキラさんと出会ってからもうすぐ1年っすね」
「そうだっけ」
「去年の秋の終わり頃に、路地裏で意識ぶっ飛んで倒れてた俺を拾ってくれたじゃないっすか」
「そうだっけ」
「永一とはどこで出会ったんすか?」
「本人から聞けよ」
「ほんとアキラさんって秘密主義で謎っすよね。アキラさんは俺らのことをよく知ってんのに俺らはアキラさんの名前と年齢しか知らない。名前も本名かどうか微妙なところだし」
「…………」
「極道の娘だっていう噂あるの知ってます?」
「私が?」
 と、笑う。「最高だな」
 
私は何者か。時に誰かに手を差し伸べて、時に誰かを奈落の底に落としてる。
誰かは私に感謝し、誰かは私を恨んでる。
誰かにとってはいい人で、誰かにとっては悪い人。
 
「16時から人妻の暁美さんのところに行ってきますわ」
 と、玲人が言った。「あの人、ちょっと癖があるんで苦手なんすよね」
「嫌になったなら依頼断れよ」
「え、いいんすか? 受けた依頼は最後までっていう契約……」
「やめたきゃやめればいい。私は問題を起こさずに金さえ入ればいいんだよ。自分の体をどう使うかはあんたが決めること。依頼内容が半年先までと約束されたものなら、その分の金をお前が立て替えてくれりゃ問題ない」
「アキラさんって俺らで稼いだ金、なにに使ってるんです?」
「…………」
 短くなったタバコを吸って、足元に落した。火を踏み消しながら煙を吐く。
 
 “アキちゃんって、ヒーローだね!”
 
記憶の奥にしまい込んでいた声が脳内で響く。私の秘密を唯一打ち明けたあの子の声。
私にべったりとついて回っていた、ひとりではなにも出来ないあの子の声。私が守ってあげなければと思っていたあの子の声。
 
 “舞ちゃんはアキちゃんが突き落としたんだよ”
 
そして裏切りの声。歪んだ正義感だと気づいたあの子とその周囲からの軽蔑の眼差し。そしてその時、私の中で蠢いた攻撃的な感情。
 
 “アキちゃん怖い……”
 
恐怖に慄いたあの子の顔。あの子の目に映る私は醜い顔をしていたのだろうか、それとも、自信に満ちた含み笑いを浮かべていたのだろうか。
 
「……罪を晴らすために使ってる」
 そう言ってタバコの吸い殻を拾い上げた。
「…………」
 玲人はそれ以上詳しくは訊いてこなかった。訊いても答えないとわかっているのだろう。その代わりにこう言った。
「もっと楽しいことに使ってくださいよ」と。
 
私は乾いた笑いで吸殻を見せ、「娯楽にも使ってるよ」と言った。
 
今年も秋が通り過ぎていく。
歪んだ正義感を振りかざして、正しさを探るヒーローごっこ。
今日もどこからともなくよろず屋に救いを求める声が届く。
私はその声に、自由気ままに応えるだけ。

end - Thank you

お粗末さまでした。221229


≪あとがき≫
サイト無期限休止を前に、久しぶりに新作を書いてみました。強引ですが、これにてこのシリーズは完結です。ありがとうございました。
 

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