ル イ ラ ン ノ キ


 ≪6≫ お金と女


 
──高いところから、眼下を見下ろすのが好きだった。そこに希望が落ちているような気がして。
 
「じゃあ今日から働いてもらえるかな?」
 と、作業着を着た40代半ばの坂田という男性が歩み寄って来た。
「今日から?」
「人手が足りなくてね。無理ならいいが」
「いや、宜しくお願いします」
 
私は一礼し、その男について行った。グレーの作業服に着替え、作業道具を持って向かったのは外にあるゴンドラ。高層ビルの窓ガラスを掃除する仕事だ。頭を使う仕事以外ならなんだっていい。どろまみれになる仕事でもいいし、容姿端麗だったなら体を売る仕事だってやっていただろう。
 
「まずは見本を見せるからね」
「はい」
 
強い風が吹くたびに、ゴンドラが揺れた。窓ガラス越しに広い会議室が見える。なんの会議をしているのかわからないが、時折私たちに目を向ける社員がいた。
 
「じゃ、やってみて」
「はい」
 
掃除は嫌いだ。でも、金がいるから選んでいられない。
世の中、金だ。──とまでは言わないが、ほとんどそんなもんだ。人の命だって、金を持ってるか持っていないかで左右される。物欲がなかったころは金なんて最低限あればいいと思っていたけれど。
あるとき、知り合いが病気になった。私は医者じゃないから救えないし、金もないから金銭面で手助けすることも出来ず、見殺しにしてしまったようなもんだった。金さえあれば受けられた手術も、受けられなかった。助かったかもしれないのに。
 
「君、なかなか素質あるね」
 私の働きっぷりを見て坂田がそう言った。
 
行く先々で言われるから、これは所謂お世辞だ。おだてて褒めてその気にさせて、少しでも長く働いてもらおうという表れ。
 
「ありがとうございます」
 
朝から夕方まで仕事をして、作業着から私服に着替えて携帯電話を見遣た。着信3件。留守録メッセージ一件。
作業場の建物から出て煙草をくわえ、メッセージを再生した。あどけない少年のような声が聞こえて来た。
 
《もしもし、アキラさん、今どちらですか? トラブルがあって……警察沙汰になりそうです》
 
「──!? ゲホッ……ゴホッ……」
 
煙草の煙でむせた。口の中に変な味が広がり、煙草をよく見りゃ銘柄は同じだが種類が違う。
 
「君、煙草忘れてるよ」
 と、坂田が背後から歩みより、肩に手を置いてきた。
 
ふいに体に触れられると虫ずが走る。手首を掴んでへし折りたくなるほどの不快感。
 
「それ俺の煙草だ」
 と、坂田は私の手から煙草を抜き取った。
「すいません、間違えたみたいで」
「いや、いいよ」
 
煙草を交換し、口直しに自分の吸いなれたタバコをくわえた。
 
「女の子はあまり煙草吸わないほうがいいぞ」
「…………」
 
──うっせーだまれハゲ。
 
作った笑顔で会釈して、帰り道を急いだ。警察沙汰ってまた厄介な。私が留守の間になにをしたんだ。
 
古い2階建てアパートのさび付いた階段を上って、ドアを開けた。腫れ上がった顔で正座している男が真っ先に目に入る。名前は玲人。女好きのイカレぽんち23歳。
 
「……喧嘩か」
「アキラさん、すみません。依頼女の男に見つかってボコられました」
「あれほど気をつけろっつったろーがッ!」
 土足のまま上がって男の胸倉を掴むと、脇からあどけない少年が止めに入った。
「アキラさん、彼も反省しているようですし、責めるのは……」
 彼の名前は永一。童顔の18歳だ。
 
舌打ちをして、ベッドに座った。詳しく事情を聞いてみれば、セフレを探して欲しいという人妻から金を受け取って抱いてる最中にその女の旦那が帰って来て修羅場をむかえたとのことだった。殴り合いの喧嘩になり、その女は「いきなり家にやってきて無理矢理犯された」と言い出し、警察沙汰になりそうだったから逃げてきたという。
 
呆れてものも言えない。
 
「お前は殴り返したのか?」
「いや、それは神に誓って」
 と、首を振る。
「キリスト教じゃねんだから神に誓われてもな」
「彼女からの依頼メールは残っています」
 と、椅子に座ってパソコンを操作する少年、永一は、中学生のような顔をしている。女の子と間違われることもある。
「じゃあその証拠を持っていけば許してもらえるかも! 夫婦仲は悪くなるだろうけどさ!」
 と、修羅場の原因を作った玲人は両手を組んで神に祈った。
「いや、まだ金を巻き上げられる。依頼人の女とどうにか連絡して依頼の証拠をちらつかせろ。口裏を合わせてやるのを条件に金をもらってこい」
「……ほーい」
 と、玲人は渋々立ち上がった。
「なんだよやる気ねぇな。テメーが問題起こしたんだろうが。テメーのケツはテメーで拭けよ」
「わかってますよ。行ってまいります女王様」
 と、玲人はベッドに座っているアキラの前で肩ひざをつくと、アキラの手が玲人の頭を引っ叩いたた。
 
玲人がアパートを出て行き、アキラはパソコンの前に座っている永一に目を向けた。
 
「そろそろ移転するか」
 と、タバコをふかす。
「もう、ですか? まだ依頼が2件残っていますけど……」
「問題を起こされると厄介なんだよ。拠点も移動しねぇと」
 と、立ち上がる。
「僕けっこうこのアパート気に入っていたんですけどね」
「こんなボロアパートのどこを気に入るんだよ。カビくせぇし玄関にきのこ生えてたぞ」
「アジト感があっていいじゃないですか!」
 と、少年のように笑う。「そういえば仕事はどうなりました? 清掃業でしたっけ」
「受かったよ。しばらく通う」
「やっぱり依頼の報酬だけでは難しいですか?」
「…………」
 
アキラはカーテンのない窓から外を眺めた。雨が降り始めている。
 
「金はいくらあっても足りないよ」
「…………」
 永一はどこか寂しそうにそう呟いたアキラを気にかけながら、よろず屋サイトの移転準備を始めるのだった。
  

end - Thank you

お粗末さまでした。221229


≪あとがき≫
サイト休止を前に、久しぶりに新作を書いてみました。というか、途中まで執筆してあったものを仕上げました。

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