ル イ ラ ン ノ キ


 5…赤い眼。



「特に異常は見当たりませんね」
 と、白衣を着た男性医師がそう言って微笑んだ。

瑞江は不安に押しつぶされ、母親に泣きつき「幻覚が見える。病気かもしれない」と言った。その動揺ぶりに驚いた瑞江の母親はすぐにタクシーを呼んで県立病院に連れてきたのだが、新診察結果は特に異常なしだった。

「よかったー。もう心配するじゃないの!」
「だって……」
 じゃあ私がみたアレは、なんだったの?
「疲れが原因かもしれませんね」
 と、医師も半笑いで答えた。「最近の若い子は自分のストレスに気づかなかったりするから」
「そうなの? 瑞江」
「……わかんない」

──わからない。わからないわからない。アレがなんなのか。

「まぁ、また幻覚を見るようでしたら精神科のほうに行かれてみてください」

病気が見つからなかったからと言って、安心は出来なかった。あの眼の正体がわかるまでは不安は拭えない。

翌日、瑞江は仮病を使って学校を休んだ。またあの血走った赤い眼が見えてしまったら、正気じゃいられないと思ったからだ。母親は昨日から瑞江の様子がおかしいことを気に掛けていたため、無理に学校へ行かせることはしなかった。とはいえ、ずっと休み続けることは出来ない。

「他に考えられることは……?」

なにかに怯えるように布団に包まり、心を落ち着かせて冷静に考える。あれは、自分にしか見えていないようだった。見間違いということは絶対にない。なぜ自分にだけ? 有村ほのか本人は知らないのだろうか。気づいていないのだろうか。自分の頭部に目玉があることを。なんで目が……目?

瑞江はベッドから起き上がり、険しい表情で思考をめぐらせた。もしかしたら彼女の視力が下がっていることとなにか関連があるのではないだろうか。何故自分がそれに関わっているのかはわからない。視力の低下が未だ原因不明で病のせいではなかったとしたら……。
考えられるのは霊的なものだった。しかしこれまで瑞江は霊感などといった不思議な能力は持っていなかった。霊など一度も見た事がないのだ。それでもそういう類のものに対しての恐怖感は持ち合わせている。

瑞江は椅子に座り、パソコンを開いた。心霊現象について調べてみる。“あれ”と向き合うしかないのかもしれない。自分が本来は見えないはずのものが見てしまった使命のようなものがあるのかもしれない。
元々霊感がなかった人でも突然覚醒することもあると書かれているサイトを見つけた。もしかしたらこれを機に頻繁に見るようになるのかもしれない、もしかしたら何かしら悪影響を受けるかもしれないと、取り越し苦労ばかり考えてしまう。
疑問を解決してくれるサイトに、質問を投稿した。自分が見たもの、状況などを詳しく書き、回答がつくのを待った。万が一のことを考え、ある程度回答が貰えたらこの投稿を消去するつもりだ。

机の上にある置き時計がカチカチと小さな音を立てながら時間を刻んでいる。母親は祖母が世話になっている介護施設に顔を出しに家を出ていた。ペットも飼っておらず、家で一人でいると静寂さの奥へと引きずりこまれそうな感覚に陥った。

回答はなかなか付かなかった。きちんと投稿されているのか何度も確認し、観覧数ばかり増えてゆく。

「…………」

大人しく椅子に座って待っていたが、室内の静けさと回答のない不安からそわそわと落ち着かなくなり、立ち上がった。CDプレーヤーに手を伸ばし、アップテンポの明るい曲をかけて気持ちを紛らわせた。流れる曲に合わせて口ずさんでみると、どうしてか余計に落ち着かなくなってくる。
回答がついたのはそれから5分ほどしてからだった。藁にもすがる思いで椅子に座り、回答ページを見遣った。

【これは釣りですか?
とりあえず真面目に回答しますが、正直その場にいて同じものを見たわけではないのでなんとも言えませんが、霊的なものに間違いないと思います。その女の子が気になります。早いところ、お祓いにいかれたほうがいいかと。ただしなるべく名の知れた一宮で】

「なに……いちみやって……」

一宮(いちのみや)。直ぐに調べ、最も格式の高い神社のことをいうのだと知った。
不安でキリキリと痛みはじめた胸に手を添えて、目を閉じた。有村ほのかの頭部にはり付いていた眼を思い出し、眉をしかめる。黒髪の隙間から見えた地肌に現れた二つの横線。ぱっくりと開き、眼球が顔を出す。まるで前髪を顔の下まで伸ばし、その隙間から眼だけが見えているようだった。周囲を見定めているかのごとく黒目が動き回り、ぎろと瑞江を凝視した。

「あなたは誰なの……?」

え? と振り返った有村ほのかの顔が無数の眼で覆われていた。瑞江は驚愕して目を開いた。目の前ではパソコンの薄明かりが視界を照らしていた。

──明日、学校に行こう。
有村ほのかに、直接伝えよう。気持ち悪がられるもしれないけれど、見てみぬふりは出来ないし、だまったまま彼女の後ろの席で何事もなく過ごせるとも思えなかった。

━━━━━━━━━━━

卒業アルバムのクラス写真。そこに有村ほのかの写真だけ一際目立って載せられていた。他のみんなは渡り廊下の白い柱をバックに、正面を向いて撮影いるにもかかわらず、有村ほのかだけ視線も身体もやや右向きで周囲は雑然としている。これは有村ほのかが卒業アルバム用の写真を撮っていないからだ。

「今アルバムみてる」
「え? あ、卒業アルバム? どこにしまったかなぁ。有村さんだけ結局写真ないから修学旅行かなんかのときの写真だったよね」
「うん。どうせなら背景くらい白く加工してくれればよかったのにね」
「だよね、配慮が足りないわ」
 と、由愛は笑う。

けれど暫く沈黙があった。重苦しい静けさに包まれる。口にすることを互いに遠慮しているのがわかった。そして言葉少なげに切り出したのは由愛だった。

「顔、酷かったらしいもんね……」

有村ほのかは学校の校舎から飛び降りた。校舎の周りを囲んでいた植木に直撃してから地面に叩きつけられた彼女の身体は足も腕もへし曲がっていた。顔までも植木の枝が突き刺さり、酷く変形していたという。

「あ……」
 突然、全身の血の気が引いた。
「ん?」
「まさか……」

脱衣所の窓から覗いていた女の顔を思い出す。無表情で、顔を傾けながら覗いていた。

「さっき覗いてたのって……」
 言い知れない恐怖がこみ上げてくる。
「え、有村さんだったの?」
「違うけど、整形してたら……?」
「……あぁ、なるほど」
 と、由愛も凍りついた。「え、でもさ、有村さんなら気味の悪い演出みたいなことしないでしょ。話を聞いた限りでは嫌がらせみたいな感じがするんだけど」
「それは……」

有村ほのかは屋上から飛び降りた。誰もその原因を知らない。そこまで親しくしていた人はいなかった。いない。

「瑞江、なにか心当たりあるの?」

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