ル イ ラ ン ノ キ


 13…母親。



瑞江は悲鳴を上げて後ずさった。その悲鳴に我に返った有村は床に転がっている松原を見て、絶句した。

「な……なんで……なにが起きたの?」
 瑞江を見遣ると、瑞江は酷く怯えて警戒する目を向けていた。
「……私? 私がやったの……?」

直ぐに母親が駆けつけ、意識なく倒れている松原を見ると「なにがあったの?!」と叫びながら慌てて救急車を呼んだ。


「突然、びくっとして倒れたんです」
 松原が救急車で運ばれた後、少し冷静を取り戻していた瑞江がそう言った。

有村ほのかはそんな瑞江を盗み見るように一瞥した。

「突然? 本当に?」
 有村の母親は険しい顔で何度も確かめた。
「はい……」
「ほのか、あなたも見てたのよね?」
「…………」
 有村はこくりと頷いた。
「いきなり倒れたの?」
「…………」
 少し間を置いて、無言のまま頷いた。
「お母さん、彼のご家族に連絡するから、二人は暫く部屋にいなさい。いいわね?」
「はい……」

部屋で二人きりになり、瑞江は立ち尽くしたまま鋭い目で有村ほのかを見遣った。その視線に有村はたじろぎながら、確かめるように訊いた。

「私のせいなの……?」
「記憶は?」
「……ない。気づいたら松原君が倒れてて」
 と、視線を落とした。
「有村さんのせいじゃないよ……。有村さんに取り憑いてる霊のせいだ」
 そう言いながらもやるせない思いで床に座った。
「勝手に首が回った」
 そう呟き、瑞江はジュースが入っているグラスを持った。手が微かに震えている。
「赤井さんも……危険だよ」
 有村は立ったまま、顔を伏せ、そう言った。
「うん……そうかもね」
「私に関わらないほうがいい」
「見捨てられないよ」
 グラスを傾け、ジュースを飲んだ。あまり味が感じられなかった。
「私怖いの……赤井さんまでああなったら……」
「私まで松原君みたいになったときは、ちゃんとお母さんに話してみて。はじめはなに馬鹿なこと言ってんのって思われるかもしれないけど、二人もあんな目に合ったらさすがに少しは信じてくれるかもしれない」
「だったら今直ぐにでも言うよ! 信じてもらうまで言う!」
「有村さん……」

有村が二人を思い、母親に全てを話そうと決心して部屋を出ようとした。しかしドアの前で足がぴたりと止まった。瑞江は怪訝に思い、声を掛けようとしたが彼女の後頭部にある目玉がぎょろぎょろと焦点を失っていることに気づき、なにか嫌な予感がして後ずさった。
有村自身の目はぼうっと一点を見つめている。そしてエサを求めている鯉のように口をパクパクと動かし始めた。身体の向きを変え、瑞江を見遣る。

「有村さん……?」
「あ……あ、ああああ、あ、あ、」
「有村さんしっかりして!」
 正常ではないことは見てとれる。頭を小刻みにカクカクと震わせ、開いたままの口から唾液が滴り落ちる。
「あ、あ、あ、あ……マ──」
「え……?」

有村ほのかの口から幼子の声が漏れた。

「 マ マ 」

──ママ。そう言って彼女は涙を流した。
名前もない、母親に一度も愛されずに殺されてしまった赤ん坊が、母の愛情を求めて絞り出した声だった。

「……その人は、あなたのママじゃないよ」
 有村に取り憑いている赤ん坊の霊にそう語りかけた。
「苦しめないであげて。開放してあげてよ」
「マ……ママ」
「ママじゃないったら!」

瑞江が声を上げると突然有村ほのかは瑞江に掴みかかり、髪の毛を鷲掴みにして振り回した。

「痛いッ!!」
「 だ っ た ら 前 が マ マ に な っ て よ !」

赤ん坊と有村ほのかの声が二重になった気味の悪い声。瑞江は有村を突き飛ばして机の上にあったペン立てからハサミを掴むと、刃先を向けた。

「赤井さん……」
 目に涙を浮かべる有村が、怯えるように瑞江を見ていた。
「正気に戻った……?」
「私……またなにかしたの?」
 と、手に違和感を抱いて自分の両手を見遣った。何本もの髪の毛が指に絡みついている。瑞江の髪だった。「いやッ」

部屋のドアをノックする音がした。返事をする前に有村の母親がドアを開けた瞬間、有村は縋るように母親に抱きついた。

「お母さんッ!!」
「ほのか……?」
 母親が瑞江を見遣ると、その手にはハサミが握られていた。咄嗟に彼女が娘に何か酷いことをしたのだと思い、娘を強く抱きしめて瑞江を鋭く睨みつけた。
「あ……私はなにも……」
 誤解されていることに気づき、慌ててハサミを机の上に置いた。
「お母さん! 松原君は私がやったの! 私、赤井さんにまで酷いことを……ッ」
 泣きじゃくる娘に困惑した母親だったが、一先ず娘を床に座らせ、話を聞くことにした。

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「そこで全部話したの。話し終えたとき暫く黙ってて、あぁやっぱり信じてもらうのは無理なんだなって思ったけど、『お祓いに行きましょう』って言ってくれたからホッとした」
 瑞江はそう言って、小さくため息をついた。
「松原君が首を痛めて入院したのって……それが原因だったの?」
 と、由愛は驚いた。入院したという噂は聞いていた。
「うん、そう」
「隣のクラスだったし、詳しくは知らなかった……」
「詳しく知ってたのは本人と私と有村さんと、有村さんのお母さんくらいだよ。どうせ信じないし、誰にも言わなかった」
「でもよかったじゃん、死ななくて……」
「まぁね……。あの場にいたときは確実に終わったと思ってたから、無事だって聞いて涙出た」
「そっか……大変だったんだね。ごめんね、なんかほんと現実味がない話だからコメントに困るって言うか……」
「ううん。仕方ないよ」

瑞江は卒業アルバムをダンボールの中にしまった。コトコトと隣の部屋から音がする。てっきりドアの音がしたときに隣の住人が出かけて行ったのかと思っていたが、帰宅した音だったらしい。

「それでお祓いはしたの?」
「うん。したみたい」
「したみたい?」
「一緒に来てとか言われなかったし、後日有村さんから連絡が来たの。お祓いに行ったからもう大丈夫だって。電話で」
「電話で……」
「有村さん、暫く学校休んでたから。先生には目の検査だとかなんとか色々理由つけてね」
「だよね……。なんか長く学校休んでたって聞いたことあった。でもそれって、本当にお祓いに行ったのか分からないよね。あと……嫌な予感がしてるんだけど、確か有村さんが自殺未遂をしたのって……」
「うん、その後だよ」
「やっぱりそうなんだ……。暫く休んでて久々に学校に来たと思ったら飛び降りたって聞いたから休みの間になにかあったのか、久々に学校に来てからなにかあったのか謎だったけど」

瑞江は当時のことを思い出し、表情が暗くなった。気分が悪くなってくる。ドクドクと鼓動が速くなり、胸を押さえた。

「私が自殺させたようなもんだよ」
「え……」
「久々に学校に来て、みんなが久しぶりーって有村さんに駆け寄っていった中で、私は駆け寄れなかった。まだ、いたから」
「……眼があったの?」
「うん。本人は以前より元気だった。目もだいぶ調子がよくなってたみたいで」
「そっか、本人は調子でしか判断できないんだもんね」
「おはようって笑顔で声を掛けられて、咄嗟に笑顔でおはようって。前の席に座られて、授業中ずっと後ろの眼が私を見てて……ずっと……」
「有村さんが飛び降りたのは昼休み中だったよね」
「うん、ずっと視線を感じていて耐え切れなくて、私トイレに逃げたの。そしたら、有村さんが追ってきたんだよね。『ちょっといい? あとで屋上に来て』って言われて、吐きそうだったからとりあえずトイレで吐いてから屋上に」
「そっか、別々に屋上に向かったから、だから誰も有村さんと瑞江が一緒にいたところを見てないんだね」
「そう……それで」

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©Kamikawa
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