ル イ ラ ン ノ キ


 14…そして現在。



「赤井さん」

屋上に行くと、有村ほのかが満面の笑みで屋上のフェンスに寄りかかり、待っていた。

「有村さん……」
「ありがとうね。二人のおかげで私だいぶ視力が戻ってきたの」
「…………」
「松原君にも退院したらお礼言わないとだね……。お母さんが信じてくれたのも、二人のおかげ」
「あのさ……」
「ん?」

瑞江は唾を飲み込み、空気を切り裂くように言った。

「ほんとにお祓いに行ったの?」
「……え?」
「ちゃんとしたところに、行ったの?」
「……なにそれ、どういう意味?」
 有村の表情から笑顔が消えた。ふいに視界が歪み、目を細めた。
「ごめん……」
「ごめんってなに?」
 と、目を擦った。「なにこれ……また目が……」
「まだ、いる……」
「やめてよ。そんなはずない……」
 こぶしでゴシゴシと目を掻いた。
「もう一回、お母さんに頼んで……」
「見えない」
「有村さん」
「見えない……なにも見えない……なんで? 見えない! 見えないッ!!」

ゴシゴシと目を擦り続けるほのかの瞼が赤く爛れ、皮が剥けはじめてもその手を止めようとはしなかった。瑞江はこれ以上目を擦らないようにと有村の手首を掴んだ。彼女の目は赤く充血し、黒目は白く濁っていた。

「コロサナイデ」

低くかすれた声でそう言った有村ほのかは、瑞江の手を振り払って突き飛ばすと、フェンスをよじ登って飛び降りた。一瞬の出来事だった。

瑞江は由愛にそのときのことを詳しく話しながら、悄然として俯いた。

「強烈だね……」
「あのあと、私は怖くなってその場から逃げたの。なるべく人に会わないようにしながら、私のことを知ってる人が少ない一年生の教室の前を通って、遠回りしながら教室に戻った。そのときにはもう、誰かが屋上から落ちたって騒ぎになっていて、みんな教室の窓から外を見てた。そこに混ざって、『なにがあったの?』って何も知らないフリをして訊いた。私のせいで有村さんが飛び降りたことを知られることはなかった」
「…………」
「退院した松原君に色々訊かれたけど、わからないって答えた。だから、屋上でのことを知っているのは私だけ」
「……瑞江と、有村さんだけ、でしょ?」
「有村さんは、記憶にないと思う。自殺未遂する前までも、何度か記憶無くしてたし。首が曲がったときや、松原君の首を捻ったとき、それから、私に襲い掛かってきたとき」
「でも、二人で屋上にいたときは有村さん正常だったんでしょ?」
「まぁ……そうだけど。でも、私に『コロサナイデ』って言ったとき、有村さんの声とは思えなかったし、フェンスをよじ登って落ちたときも、自分の意思じゃなかったと思う」
「そう言い切れる?」
「…………」
「ねぇ瑞江」

コンコンと、ドアをノックする音がした。時計を見遣る。午後10時前。こんな時間に誰だろうか。

「ごめんなんかまた客が来たみたい」
「謝らないといけないことがある」
「え? あとでもいいかな」
「今のほうがいい」
「…………」

コンコンと、再びドアが鳴った。

「……なに? 話の流れに関係あること?」
「多分」
「…………」

コンコンと、ノックの音が強くなった。何度も何度もノックの音がする。部屋にいることを知っていて急かしているかのように何度もドアを叩く音がする。

「瑞江、私、嘘ついた」
「…………」
「有村さんが今どうしているのか知らないって言ったけど、知らないのは本当なんだけど、結構前に有村さんから連絡があったんだ」
「なにそれ……」
「今どうしてるのか訊いたけど答えてくれなくて、急いでるみたいだったから訊かれたことに答えたら、このことは本人には言わないでってお願いされて」
「もったいぶってないでちゃんと教えてよ!」

部屋のチャイムが鳴る。部屋のドアが音を立てる。ひっきりなしに鳴り続け、ただ事ではないと額に脂汗を滲ませた。

「瑞江が今どこに住んでんのか教えてって言われた」
「…………」
 背筋がぞくりとする。
「話したの? 言ったの?!」
「うん……ごめん」
「なんでよッ?!」
「だってそういえば瑞江、高校のとき有村さんと仲良さそうに話してたなって思ったし、有村さん色々あって急に地元離れたから連絡先知ってる人が少ないって言うし、それに……瑞江にちゃんと会ってお礼が言いたいって言うから。なんのことかは分からなかったけど。ドッキリさせたいから本人には言わないでって言われたの。二人の間にそんなことがあったなんて知らなかったし……」
「なんで由愛に連絡してきたの……? 有村さんと同じクラスになったことないじゃん!」
 と、瑞江は恐る恐る立ち上がった。

いつの間にか、チャイムもドアをノックする音もしなくなっていた。

「私と瑞江が仲良かったの知ってたみたい。あと、私まだ実家に住んでるから、自宅に電話があったの。卒業アルバムに載ってるから……」
 今は個人情報の問題で掲載しない学校が増えている中で、瑞江たちが通っていた高校はまだ名簿の作成をしていた。
「そう……」
「大丈夫?」
「わからない……。有村さんの連絡先、分かる?」
「ううん。瑞江知らないの?」
「消したから……。あの事件以来、怖くなってもう関わりたくないと思って。着信拒否したし、アドレスからも消したの。──記憶からも」

思い出したくなかった。自分のせいだと思いたくなかった。彼女とさえ出会わなければこんな思いもしなくて済んだのに。なぜ自分だったのだろう。なぜ“見えてしまった”のが自分だったのだろう。彼女にとっての救世主になれたわけでもない。ただ余計に苦しめてしまっただけで、なんの意味もなかった。それとも救う方法は他にあって、やり方を間違えてしまったのだろうか。

「ごめん、あとで連絡する」
「瑞江……」
「大丈夫だから」
 そう言って、電話を切った。

瑞江がこのアパートに越してきたとき、隣は空き部屋だった。そこに入居者が現れたのは確か2週間ほど前だった。隣から物音が聞こえるようになり、気づいた。どんな人が住んでいるのかはまだ知らなかった。挨拶に来ていない。忙しい人なのか、もしくは挨拶に来たときにたまたま留守にしていた可能性もあるが、隣の部屋にどんな人が住んでいるのか分からないのは不安だった。

瑞江は足音を立てないように玄関に向かった。息を呑み、覗き穴から玄関前を確かめた。なぜか真っ暗でなにも見えない。

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©Kamikawa
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