ル イ ラ ン ノ キ


 12…有村ほのか。



清水の家を出た二人は、すっかり暗くなった夜道を自転車を停めた場所まで歩いた。あのような話を聞かされた後に廃墟の近くまで戻るのは気が重たかった。

「有村さんに、なんて言う?」
 と、瑞江。
「聞いたままを話せばいい」
「信じるかな」
「信じるとか信じないとか、もうそんな次元の話じゃない。有村の視力がどんどん悪くなって、他にも悪影響が出ないとも限らない。優子さんの話が偶然にしては繋がりすぎているし、有村に取り憑いているのはその赤ん坊の霊で間違いないと思う。ここまで足を踏み入れたんだ。俺たちが出来る限りのことをしよう」
「…………」

瑞江は歩きながら松原の横顔を眺めた。街灯に照らされた横顔がいつもよりも凛々しく見える。

「なに?」
 と、視線に気づいた松原。
「あ、ううん。結構正義感あるんだね、男らしいね」
「ま、自ら乗りかかった船だしな。いや、乗った船か。オカルト好きだし」
「結局そこなの? オカルト好きだからってここまでやる? 有村さんのこと心配だっていう気持ちはないの?」
「そりゃあるよ。けど正直、俺には“見えない”からさ、お前ほどではないってこと。半信半疑な部分もまだあるんだよ」
「そっか……」

自分しか見えていないものを信じてもらうのは難しい。

「松原君に好きな人いなかったら、やばかったかも」
「……は?」
「好きになってたかも」
「なんっじゃそりゃ……」
 と、松原は目を丸くした。
「でも私昔から、気になる人とか好きな人が出来ても、その人に好きな人がいるって知ったら気持ち冷めるんだよね。自分に興味を持ってくれてない、見込みがないって思ったら、どうでもよくなる」
「すげぇ性格だなそれ」
「諦めが早いと言ってよ。でもこの性格のおかげで彼女持ちの人や既婚者に恋してしまうことはまずないからいいでしょ」
「既婚者って」
 と、松原は笑う。「つか俺、好きな人がいるなんて言ってねぇけど」
「それ隠してるの? それとも自分で気づいてないの?」
「…………?」

松原は怪訝そうに首を傾げた。それを見た瑞江は、自分で気づいていないんだなと確信した。松原が好きなのは、腐れ縁と言っていた国枝いずみだ。

「ま、私が告っても松原君、断るでしょ」
「……まぁ」
 と、少し考えてから答えた。
「タイプじゃないからっていうのもあると思うけど、他にも理由があると思うな」
「わっかんねぇ……」

暗い話ばかりするのは気分が落ちていくばかりだからと、恋愛の話をしながら自転車を置いていた場所まで戻ってきた。自転車に跨りながら自然と廃墟と化した産婦人科に視線を向ける。

「可哀相にな」
 と、松原がぼそりと呟いた。
「赤ちゃん?」
「あぁ、母親も」
「母親も? 子供を殺したんだよ?」
「彼女にもなにかしらあったんだろ。普通に愛されて育った人間が17そこらで妊娠して腹の中の子供を殺そうとして失敗して、結局病院に駆け込んで産み落として殺すとは思えない」
「……そりゃそうだけど、同情はできない」

父親は誰なのか、結局分からずじまいだと、清水は話していた。母親の名前が分かったのは自殺した後だった。本人は名乗らなかったが、その後警察の調べによって明かされたという。当時の新聞を清水の祖母は大事に持っていた。どこにしまってあるのかは分からなかったため、当時のニュースをパソコンで調べた。幼い母親は隣町に住んでいて、家には1年以上も帰っていなかったようだ。両親は離婚しており、母親と二人暮らしをしていたが、ひっきりなしに男を連れてくる母親に嫌気がさして家を出たと思われる。

「人は環境で大きく変わる。俺らは幸せだよ」
 と、松原はペダルを漕いだ。

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「それって瑞江は松原君のこと好きだったってこと?」
 と、由愛が訊く。
「食いつくとこそこ?」
「あ、ごめん。なんか現実離れしすぎてて……。全然そんな話してくれなかったね」
「有村さんのこと? 信じないでしょ」
「まぁね……」
「最小限に止めておこうと思って。あと、松原君のことは好きだったんじゃなくて好きになりかけてただけだから」

瑞江は卒業アルバムを閉じて、クローゼットに寄りかかった。アパートの一階の一部屋に住んでいる瑞江。隣の部屋の玄関が開く音がした。

「それで有村さんは?」
「次の日、有村さん学校休んだんだよ。なにかあったのかもしれないと思って学校終わりに松原君とお見舞いに行ったら、有村さんのお母さんが出て、部屋に案内してくれた」

そのとき松原は少し気まずそうに部屋のドアの前に立っていた。お見舞いで瑞江も一緒とはいえ、女子の部屋に入るとなると少し戸惑うものがある。
瑞江はベッドに横になっている有村ほのかに声を掛けた。

「具合悪いんだって? 大丈夫?」
 不安げに尋ねると、有村は微笑して上半身を起こした。
「違うの。仮病なの」
 と、俯く。
「そっか……。目の調子は?」
「よくない。朝起きたときから靄がかかってるみたいで」
「そう……」

沈黙が続き、なかなか話さない瑞江に代わってドアの前に立っている松原が切り出した。

「昨日、廃墟に行ってわかったことがある」
「…………」
 有村は無言のまま、松原を見た。
「あの場所は産婦人科だったということと、あの場所で──」
「まって」
 と、有村が話を中断させた。「なんか聞くの怖い……」
「…………」
 瑞江と松原は顔を見合わせた。
「あのね」
 今度は瑞江が慎重に、言葉を選びながら話し始めた。
「あの場所で、女の人と会ったの。その産婦人科で起きたことをよく知っている人で、話を聞いたの」

瑞江はゆっくりと、清水優子という女性から聞いた話を分かりやすく説明した。
話し終えたとき、有村の母親がジュースとお菓子を運んできた。

「よろしかったらどうぞ」
 と、部屋の中央に置いてある丸いローテーブルの上に置いた。
「あ、お構いなく。まだ具合が悪そうなのに長居するわけにはいきませんから」
「あら、ほのかまだ具合悪いの?」
 母親が娘の顔色を窺った。青白く、冷や汗をかいている。それは瑞江の話を聞いたからであることは知るはずもない。
「大丈夫……ちょっと寝すぎて頭痛いだけだから」
「そう……? お薬もってこようか」
「大したことないからいいよ。それより友達と話したいことあるから……」
 最後まで言わなかったが、母親は察して直ぐに部屋を出て行った。
「ゆっくりしていって?」
 有村は無理をした笑顔で言い、二人を床に座らせた。
「それで、私はどうしたらいいの……?」
 泣きそうな声だった。
「お祓い、行こう?」
「……でもそういうのってお金かかるんじゃないの?」
「そうだけど……」
「私お小遣い貯めてるけど、通帳やカードはお母さんが持っているし、勝手に引き出せない……」
「いくらくらいするんだろうな」
 と、松原。
「調べてみよっか」
 と、瑞江は鞄から携帯電話を取り出した。薄型のスマートフォンだ。
「交通費もあるし、近いところにお祓いしてくれるとことかあんのか?」
「わかんない」
 瑞江は検索サイトを開いて調べ始めた。

「ごめんね」
 と、有村。
「ん?」
 松原はジュースを飲みながら彼女を見遣った。
「迷惑かけて……」
「俺は別にいいけど」
「私も平気」
 瑞江は携帯の画面を見ながら答える。
「お母さんに話そうかなとも思ったんだけど、言えなかった」
「まぁ、信じてくれるかわかんねぇしな。でも親が信じてくれたら色々楽なんだけどな」
 特に金銭面で、だ。
「そうだよね……。でもなんて言えばいい? 視力が悪いのは霊のせいかもしれないって?」
「うーん、唐突すぎて何言ってんだってなるわな」
「だよね……。お母さんもお父さんも、霊とか信じないし」
「そりゃ難しいな」
「誰も信じてくれないと思う……誰も……誰も信じない。信じるもんか。信じない。しんじるわけないよ。シンジルワケナイ、シンジナイ、シンジナインダヨ」

突然低い声で話し始め、瑞江はぎょっと有村を見遣った。けれど、瑞江の目に映ったのは有村ほのかではなかった。黒々とした髪の毛に覆われた目玉が凝視している。教室で起きたときのように有村ほのかの首が真後ろに回っているのだ。

「有村!」
 と、松原が彼女の肩に手を置き、強く揺さぶった。「しっかりしろ!」

すると突然有村の顔が松原のほうに向き、「お前も」と呟いた。その瞬間、松原の首がバキッと鈍い音を立てて真後ろに半回転し、床へ倒れこんだ。

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