黄泉戸喫1

白い天井、白いシーツ、白いカーテン。
その白を切り取るように、黒い影が、立っていた。
「大丈夫ですか?」
心配そうな、声。
それでようやく、あれが夢なんだとわかって、現実じゃないんだと知って、
「…良かった…よかったぁ…っ」
ぼろぼろと、涙をこぼれた。
頭を撫でる先生の手が優しくて、夢の先生の冷たい眼差しとは比べ物にならないほど温かくて、私は、嬉しいのか悲しいのかわからないまま、泣き続けてしまった。


とても悲しい、夢を見た。
そこでは、皇先生が影ちゃんを狙って、友達や先輩、後輩を傷つけていく。
その犠牲になった先輩の復讐をするために、とある先生が赴任してきた。
話が進むにつれ、私は、その先生に協力することになるのだ。

先生の、愁夜先生の復讐は、皇先生を殺すことだった。

「…落ち着きましたか?」
「はい…」
すんすん鼻を鳴らしながら、目尻に残った涙を拭う。
大丈夫、もう、大丈夫。
ティッシュ箱のティッシュで、ゴミ箱が半分くらい埋め尽くされるぐらいになってしまったけど。
先生は立ち上がって、冷蔵庫を開ける。
その後ろ姿は折れてしまいそうなくらいに細くて、こんな先生に、復讐なんて似つかわしくないと思った。
なんで、あんな夢を見たんだろうか。
「どうぞ」
そう言って、タオルを差し出す愁夜先生。
「濡らして、冷蔵庫に入れておいたんです。目元にあてて冷やしてください。少し、楽になりますから」
「ありがとうございます」
受け取って、言われた通りに目元に当てた。
ひんやりとしたタオルは、こもっていた熱を程よく奪ってくれる。
傍の椅子に腰掛けて、先生はベッド脇のテーブルを見やる。
同じように見てみると、政経のプリントらしきものが置いてあった。
「本日の授業内容は少し難しい方だったので、時間があれば要点だけでも、と思ったんですが」
「ご、ごめんなさい…」
「いえ、タイミングを誤りました。すみません」
そうやって済まなさそうに笑う先生の顔が、優しくて。
夢と、違い過ぎて。
引いたはずの涙がじんわりと浮かんでくる。
それを拭う、黒い影。
まずい。
先生の方を見ると、一瞬目を見開いて、それから、静かに微笑んだ。
「それが、あなたのお友達ですか?」
大丈夫。
こっちの先生は、普通の、ただの政経の先生だから、大丈夫。
異形を、蔑視なんてしない。
「…影ちゃん、って言います」
そう言うと、私の影から黒い触手が伸びた。
お互い、どうしたものかよくわからないんだろうか、影ちゃんはそのままうねうねとしていて、先生は少し困ったように笑っている。
ちょっとしてから、愁夜先生は片手を差し出した。
「握手、しても?」
「!…はい!」
先生は、おそるおそる手を伸ばして、影ちゃんの触手に触れる。
「初めまして、影ちゃんさん」
「…先生、さかなクンのことさかなクンさんって呼ぶタイプですか」
「いえ、芸能人はフルネームで呼び捨てにすることもありますよ」
「いや、えと、そういう意味じゃなくて…」
『せんせい おいしいかな』
「か、影ちゃん今はやめよう今はっ」
「?」
「な、何でもないんです気にしないでくださいっ」
普通だ。
普通の、日常。

「良かった」

「え?」
敬語じゃない口調に、心臓が跳ねる。
どうしてかはわからない。
「やっと、笑って頂けましたからね。もう、大丈夫でしょう?」
そう言って、私の前髪を耳にかけながら、先生は笑う。
「涙は女性の武器と言うようですが、僕は泣いている顔よりも、笑顔の方がずっと素敵だと思いますよ。どんな化粧や装いにも勝る、最高の魅力だと思います。どうか、絶やさないでください」
なんか、今にも耳が赤くなりそうなくらい恥ずかしい台詞だ。
先生、すごくホストです…。
「僕は食べても美味しくないと思いますが、お近づきの印に」
そう言って、愁夜先生は銀ピンクの包装紙に包まった小さなものを、影ちゃんの触手に渡した。
「チョコレートです。洋酒入りなんですが…あと、チェリーが入ってるんですが、大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫です。たぶん…」
影ちゃんなら消化できないってこともないだろう。
ただ、どっちかっていうと影ちゃんは先生を食べたいんだと思う。
心なしか残念そうに、銀紙を剥いてチョコレートを飲み込む。
まぁ、その様子を、嬉しそうに見てる先生には言えないんだけれども。
「猫市さんには、こちらを」
「えっ」
目元に当ててた濡れタオルがずり落ちた。
「こちらはプレーンチョコレートです。苦手でなければ、この場で食べて頂けると助かるんですが」
四角いチョコレートに印刷された名前は私でも知ってる。
高級品だ…どちらかというとカルラちゃんにあげた方が喜ぶだろう…。
なんだか先生から甘い香りが漂ってくるように感じた。
「い、いいです大丈夫です」
「そうですか…」
残念です。と、笑う先生の顔が、ゆらいだ。


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