世界の引金
 彩羽がボーダーに入り数か月が過ぎようとしていた。
「……やっぱりA級上位は手強いですね」
「そうは言っても部隊を相手に一人で勝ち越すあたり流石と言ったところか」
「このトリガーじゃなければ負けてる自信ありますよ」
 黒トリガーと遭遇した場合の模擬戦闘訓練を終了し、彩羽はA級三位風間隊と四人で廊下を歩く。
 ボーダーに黒トリガー使いは三人いるが(他と区別をつけるためにS級と呼ばれている)この新メニューは「黒トリガーだって対人戦しないと訛る!それに、対黒トリガーの訓練になって一石二鳥!」という彩羽の熱い希望により作られた。もし、誰か別の人間が作ったにせよ恐らくは彩羽が担当することになったとは思うが。
(迅はなんやかんや忙しいし、もう一人のS級である天羽は訓練に向かない為である)
「私に勝ったら迅さんとだよ」
「太刀川が早く羽藤を負かして迅と戦るんだって意気込んでいたな」
「あー、慶さん迅さんの事大好きだよねー」
「両方倒せたら二人をいっぺんに、とかも出来んの?」
 風間と彩羽が太刀川の姿を思い浮かべていると、歌川が疑問をぶつけてきた。
「なにそれ、すごくやりたくない……」
「本部と迅さんがダメって言わなければ私はやってもいいと思うよー。でも、迅さんって基本ソロな動きだしなー……」
 嫌な顔をする菊地原に苦笑いをして彩羽は答える。
 迅の戦闘スタイルについて悩み始めた彩羽だったが、風間と二人、曲がり角の違和感に反応した。
 視覚ではなくこれは直感の類に近い。
 何かがあったというわけではないが、そこだけ空気が違う。なにか、重い空気が漂ってくるのだ。
 風間と彩羽の突然のトリガー起動に、歌川と菊地原も異様な気配に気づく。

「……ここ、本部ですよ」
「確認してみない事には何かわからん」

“隠密(ステルス)起動”

 カメレオン(隠密トリガー)で姿を消した風間。攻撃に備え、彩羽も戦闘態勢に入っている。
 一同に、緊張が走る。

 すごく、長い時間のように感じた。

 風間が姿を現すと同時に解ける緊張の糸。
 呆れた表情でため息をつくような姿に近づけば、盛大に腹の音を鳴らして行き倒れている米屋がそこにいた。



―――

「いやー、太刀川さんと一緒に忍田本部長の特訓受けてたんですけど、腹減っちゃって!」
 コンビニで適当に買ってきた食べ物を多目的ブースの一つで山盛りに広げれば、米屋は吸い寄せられるように近づきおもむろに食べ始める。黙々と食べ続け、結構な量が減ったところでやっと米屋は意識を取り戻した。
「あの二人、俺が昼飯食う前に始めんだもんなー」
「忍田本部長の特訓とか……」
 歌川と菊地原が米屋から静かに視線を逸らす。
「あの人の特訓は容赦ないからな」
「と、思うじゃん?でも、特訓ならあんぐらいのがやりがいありますって」
「身に付く側と折れる側の二手には分かれそうだけどね」
 紙パックの野/菜ジュースを吸いながらひとり頷く米屋に彩羽は乾いた笑いで相槌を打っておく。
「でも、謎なんスよねー、腹はめちゃくちゃ空いてましたけど倒れるほど空いてたわけじゃないし……後ろから肩叩かれたのは覚えてるんスけど振り向いた後の記憶がないとゆうか」
「……それ、本部で流行ってる怪奇現象じゃないですか?」
 考え込む米屋に思い当たる話があったのか菊地原が話に乗った。 
「え、俺って気づかないうちに怪奇現象体験しちゃった感じ……?」
「そうなりますね。肩叩かれてからのくだりはみんな共通してます。実は他にもあって、ノックされてドアを開けたのに誰もいない、とか……」
 突如始まった怪談話に青ざめる歌川と真剣に聞く米屋。そして全く顔色の変わらない風間……。そんな四人の様子を眺めながら彩羽がいちごオ/レをちゅーっと吸っていればコンコン、と鳴ったノック音に全員がドアへと視線を移す。
 このタイミングで?!……と全員が思っただろう。
「……誰だろ」
「待って」
 ドアを開けようとする彩羽に、菊地原のストップが掛かる。
「……足音、無かった」 
 菊地原のサイドエフェクトは強化聴覚だ。この近距離で聞こえない足音など何か企んでいる以外ないだろう。
 トントン、と再びドアを叩く音が先ほどよりも大きく室内に響いた。


「……、とりあえず開けて見ない事には。だよね……」
 ごくりと唾を飲み込み、彩羽がノブに手を掛けようと手を伸ばした。
(触っちゃだめよ)
「え……」
 触る直前、人前では絶対に声も姿も現さず、完全なる腕輪と化しているフェナが注意を呼びかけた。
 ノブに触れないようフェナは尾を彩羽の手に絡ませ内側に軽く折り込む。

 刹那、外で走っている足音が近づいてくる、と顔を上げれば太刀川が飛び込んできた。 勢いよく開いたドアは彩羽にぶつかり、顔面殴打……とゆうか全身殴打である。
「ぎゃあ!」
「あ、悪い!匿ってくれ!」
 余裕がないのか、内開きのドアだったために彩羽を抱きすくめる感じで入室し、ドアを閉め彩羽ごとドアの死角に移動する。そのすぐ後にやってきたガツガツした足音の主がドアを叩き「失礼します」と女性が入ってきた。
「すみません、ここに太刀川さん来ませんでしたか?」
「知らんな」
 全身に怒りを纏っていた女性だったが、まさか中に風間隊がいるとは思わなかったのだろう。風間の無表情と簡潔な返答に女性は今この瞬間を後悔していた。もう全て太刀川のせいだと思考がいってしまうあたりヒステリック系+私は悪くない系の女性なのだろう。しかし、一応目上、各上に対しての礼儀は持ち合わせていたらしい。退室の礼を述べて粛々と退散していった。
「……珍しいですね、太刀川さんの事庇うなんて」
 恐らく彼女が冷静に周りを観察していたなら太刀川がこの中にいる事は直ぐにわかっただろう。歌川が驚き過ぎだったからだ。それはもう体全体で「え?!」を現していた。いつもなら庇うことなく太刀川を引き渡すのに、なんの意味があって庇ったのか。
「ふいー、なんにせよ助かったぜ蒼也」
「ちょっと、しゃがみこむ前に離してくれる」
「なんだよ、ムードが無いな。俺らは今一緒に窮地を脱した仲だぜ?」
「そんなだから“女性にだらしがない男”なんて別名が付くんだよ慶さん」
「知るかよ、寄ってきたのを拒まないだけで俺からなにか言ったことなんてないぞ」
「そうゆうのをちゃんと最初に言っておかないと勘違いする人が出てきてこんなことになるんでしょって言いたいの!」
 彩羽の言葉に耳を塞ぎ「あー!あー!」とやっているのは何処の太刀川か。ここの太刀川である。

「そんな事より太刀川、ここの扉の前に誰かいたか?」
 風間の問いに太刀川は不思議そうに答える。
「……?いや、誰もいなかったよ」
「そうか」
 太刀川の返答で全員にすっきりとしない気持ちが残る。
「なんだったんですかねー」
「怪奇現象でも今は結構な確率で証明できるんスよね?上はなんで放置してるんだろうなー」
「気づいてはいるだろうけどな。様子見だろう」
「もしかしたら近界の奴らが忍び込んでたりしてな」
「可能性は無くはない、警戒は怠るな」
 この話も終わろうとしていたころ、太刀川は格子状の目を大きく開き、片方の手はパー、もう片方はグーで思い出したように手を打った。
「そういや入るとき知らないやつの声で“見つけた”って聞こえたぞ」
 太刀川の言葉に、全員一瞬固まる。彩羽は一瞬、太刀川に誰かが被った気がしたが、本当に一瞬だったため、たぶん気のせいだと頭を振った。
 冗談にして受け流そうと思った面々もいたが、至って真面目な顔つきの為嘘ではない事はわかる。風間と菊地原に関しては情報のひとつとして真面目にとらえていそうだ。
 怪奇ってたぶん近界のせいだよ。で幕を閉じようとしていた話は太刀川のどんでん返しをくらい、よりホラー性を増したのであった。


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