およそ十九年前。国は突如として謎の病に犯された。人々は正体不明の病に怯え、苦しんだ。解明できない病原体は人間社会を蝕み、回っていた歯車をピタリと止めてしまった。その病に罹った人間は奇行を繰り返すようになり、なにかに怯え、やがて政府に引き取られる。引き取られていった人間の末路は誰も知らない。街から人は消え、店が潰れた。

 そしてなにより変わったことと言えば、この国から太陽が消えたことだった。現在、夜の国として生きるこの世界で、人間たちはようやく謎の病から解き放たれ、元の生活へと戻りつつあった。

「玉得先生、学年主任が呼んでますよ」

 気配なんてなかった。玉得が後ろに振り向くとそこには見覚えのない男が立っていた。この国では珍しくスーツを着ていることから、生徒ではないことは明白だった。

「…えーっと、すみません。あなたは…」
「ああ…そういえば新学期から一度もお会いしていなかったですかね…」

 自分よりも背が高く、艶やかで長い白髪を靡かせた男は握手を求めてきた。確かに自分は非常勤だし、そもそも職員室よりもこうして人がまったくと言って来ない国語科準備室に閉じ困っているのだ。知らない先生がいて当たり前だ、と玉得は自らの右手を差し出す。

「三年一組担任の、犬山(イヌヤマ)です。担当教科は社会科なんですけど…大学では古典文学もとってたんで、玉得先生とは話が合いそうですね」
そのどうにも胡散臭い感じに、玉得はあからさまに顔を歪ませた。

「…俺、非常勤だしアンタみたいな…なんというか明らかに出来ますよ〜オーラ出てる人苦手なんですよね」
そういえば、と思い出す。確か教員の顔合わせをした時に生徒会顧問になっていた男ではなかっただろうか。

 私立紫野ヶ咲学園は、世の中が大不況に陥っている真っ只中なのにも関わらず、エリート教育機関と名を馳せ、潤沢な資金で質の高い教育をしている。国唯一の女人禁制中高一貫校であり、特殊な人間が集まるこの学校では、学園の中心人物となる生徒会や風紀委員会に優秀な人材が集まるのだ。優秀で、家柄も良いとなると癖の強い連中がばかり。そのために、生徒会や風紀委員会の顧問ももちろん優秀な人材がつく。

「おや、それは褒められていると受け取っても?」

 瞳の紅が三日月を描く。犬山と二人きりという事実に、どことなく恐怖を抱く。

「…お好きに解釈してもらってかまいませんけど。…森先生に呼ばれてたんでしたっけ?」
「ああ、そうでした。三学年の職員室で大層お怒りでしたよ」

(チッ…また説教かよ、あのジジイ…)

 口に出さず、脳内で浮かべたはずの言葉が聞こえていたのだろうか。犬山にクスリと笑われ、浮き出た羞恥を隠した。

 自分の城と化している国語科準備室から足取り重く、本棟まで玉得は歩く。扉が閉まりきるまで犬山の視線を感じたが、気のせいであると思い込んだ。

 毎度毎度自分のやる気のなさに叱りつけてくる森もよく飽きないなあ、と内心ぼやく。国語科準備室と書かれているあの部屋は元はただの書庫であった。旧棟に位置する自分の城から本棟まではすこしばかり歩く。わざわざ叱られに歩くというのも馬鹿馬鹿しいが、後々食堂で叱られるよりはマシだ。以前、生徒がいる前で食堂で叱りつけられてさすがの玉得も羞恥心にやられたのだった。

 この学園の理事長に申し訳なさがムクムクと湧き上がってくる。恩を仇で返す、とはまさにこのことである。
 玉得は、自分この学園に来るまでの過程を思い出しながら、ゆっくりと本棟まで向かった。


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