■月が綺麗ですね
フェンリルから出ていたちょっとした討伐指令に、丁度他の部隊員が出払っていたこともあってソーマとふたりで出撃することになった。
とは言え本当にちょっとした指令であったがためにさほどの時間もかからず、あっさりと作戦を終えて私とソーマはふたりで廃寺を歩いていた。
ちらつく雪と吐き出した息の白さ、きりりと身が締まりそうな寒さにももうすっかり慣れた。
そして、冷たい空気に冷やされて澄み渡った闇空にも。
「……帰投の時間まであとどのくらいだ?」
歩きながら空を眺めていた私の耳に届いたのはソーマの声。
ポケットから取り出した時計をちらりとだけ見遣り、空に視線を向けたままほんの少しだけ思案の時間を取り――すぐに、ソーマに視線を移した。
「ストレートに帰るのであればあと10分ほど。ただし、リーダー権限で延長することは可能だ」
「なら延長してくれ」
言葉と共に腕を引かれ、肩を抱き寄せられた。
「こんなこと、帰ってからでも出来るだろう」
「いや……ここでもう暫く、藍音と月を見ていたいと思ったんだ」
ソーマの言葉に、空に視線を送る。
『あの日』より後、随分と美しく生まれ変わった月。あの月には……シオがいる。
ソーマと私にとって、互いの次に大切な存在。きっといつか私たちの元に戻ってくると信じて、それまで一緒に待ち続けようと言う約束が私とソーマを繋いでいる……
「綺麗な月だな」
「そうだな……」
ソーマの言葉に、ふと昔読んだ書物を思い出す。
アラガミが世界に現れるよりも遥かに前。まだこの辺りが、「日本」と呼ばれる国だった頃に書かれた書物のことを。
まだ、外来語を日本の言葉に訳すために十分な言葉がなかった時に、とある文豪が月が綺麗だと訳した言葉……それは。
「ソーマ」
「どうした?」
「あんたはそんなこと知らないで言ったんだろうけど」
月が綺麗ですね。
それは、ストレートな言葉を使わずに訳された「I love you」。
「私も、この月を綺麗だと思ってる。あんたと一緒に見てるからなのかもしれないけど」
ソーマには伝わらないかもしれない。
元々この地域の人でない彼が、他人とのかかわりを遮断して生きてきた彼が、そんな書物を読んでいるはずがないから。
でも、どうしても伝えたかった……私がどれだけ、ソーマを愛しているのかを。
「今更何言ってやがる」
ぽつりと思いついたようにソーマが呟いた言葉に視線を月からそちらに動かす。
月からほんの僅か視線を落としたソーマは微かに笑っていて――その微笑みが、私を真っ直ぐに捉えた。
「……このクソッタレな世界だって藍音と一緒なら綺麗に見えるんだ、あの月が綺麗に見えないわけがないだろ」
「全く」
言葉の裏の意味なんて全く知らないくせに、こうやって私の心を不意に掴んできつく抱きしめる。
そんなソーマだからこそ、私は……離れられない。これからも、ずっと。
月が綺麗ですね。
その言葉の意味は後で教えてやろうと思った。
きっとその言葉の意味を知ったところでソーマは「なら何も間違ってないな」なんて涼しい顔で言うんだろうけれど。