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小さな幸せ




部屋に満ちるのはカリカリという黒鉛が紙に文字を綴る音だけ。
お互い無言というのも加わって、開始十分も経たずに俺は白旗を掲げた。

「もう無理!止めるっ」

握っていたシャーペンを放り投げるとそのままバタリと後ろ向きに倒れ込む。
すると即座に俺を叱咤する声が飛んできた。

「ちょっとゴールド、真面目にやりなさい!」

仕方なく嫌々ながらも体を起こす。
向かいに座る堅物学級委員が眉間に皺を寄せて俺を睨んでいた。

「だって判んねぇもん」
「…私は一体何の為に居るのかしら?」

そう返されてうっと返事に詰まる。

この場にクリスが居る理由。
それは本気で成績がピンチな俺に勉強を教える為。(その為に俺は土下座までしたんだ!)
取り敢えず放り投げたシャーペンを握り直して、教科書に視線を向ける。

「何処で詰まってるの?」
「…問九」
「あぁ、これはね…」

クリスはノートに公式を書きながら説明を始めた。
元々勉強が嫌いな俺はその説明を話半分で聞き流す。

「ここがこうなるから、こっちにこれを代入して…」

もう既に何を言ってるのか理解出来ない。
アルファやらベータやらのギリシャ文字が刻まれたノートから視線を逸らした。
そしてふと気付く。

(…あ、睫毛長い)


視界に入ったのは一生懸命説明するクリスの顔。
透き通った瞳とか、細い指とか、桜色で柔らかそうな唇とか。
そんな部分ばかり気になって、不意にドキリとした。

「…ールド、ゴールド聞いてるの?」
「はっ、あ、いや…」

ぼんやりとしていたところをクリスに話しかけられ、変な声が出た。
くそ、かっこ悪。

「何?さっきからじっと見て」
「あー、髪にゴミが付いてて…」
「え、嘘」

勿論嘘だが、何となく手を伸ばす。
本当だと思っているクリスは大人しくされるがままになっていた。
きっと俺なんかには判らないような手入れがされているであろう漆黒の髪は、引っかかることなくさらりと指の間を通る。

その軽やかさに水が流れてるみたいだ、と思ってしまった。

「ねぇ、取れた?」
「あ、あぁ取れたぜ!」

そう問うクリスに若干ぎこちなくなったが笑顔を返す。
すると彼女はしっかりと俺の目を見据えて、微笑んだ。

「有難う」


小さな幸せ


…すんげぇ不意打ちだ。
そんなことを思いながら俺は赤くなった顔を誤魔化すために俯いてひたすらノートに文字を書き付け始めた。




flowersのなぎな様へ。十万打祝兼日ごろの感謝を込めて!
※なぎな様のみ持帰り可です。







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