6
朝起きると、父さんはいなかった。
トン、トン、トン…。
頭が痛い。
智希は目を擦りながら壁に手をつき、ゆっくり階段を降りていく。
いつもより少しゆっくり、降りていく。
すると階段を降り終える直前で話声が聞こえた。
有志と将太だ。
「………」
胸が急に、苦しくなる。
「何時に帰ってこれるの?」
「んー。早くても7時かなぁ」
「…おはよう」
「おはよう、智希」
いつもの父さんの笑顔だ。
一瞬にして胸の痛さが和らぐ。
「おはよう、ともき」
「…呼び捨てすんな」
テーブルにちょこんと座り、智希を見上げまるで有志の真似をする将太。
足は床につくかつかないかの間で軽くブラブラと漕いでいる。
そして一瞬にしてまた気分が悪くなる。
「じゃあ俺、仕事行くから。将太のこと頼むよ」
「え、もうそんな時間?」
驚き時計を見ると、8時30分を過ぎていた。
気分的にはいつも起きる時間、7時頃だと思っていたのに。
昨日あの後寝付けなかったからな…。
「ごめん父さん朝飯…」
「いいよ。それより将太になんか作ってやって」
嫌だ。
言葉に出さなかったが空気で感じたのか、将太がジロっと智希を見つめる。
リビングのドア前で立ちすくむ智希に、有志はフっと笑い肩にポンっと手を置いた。
「いってきます」
「ん、いってらっしゃい」
有志を玄関まで送ろうとしたら、ドンっと背中にナニか当たった。
まぁ、予想はつくのだが。
「パパいってらっしゃい!玄関までお見送りする!」
「ありがとう」
…このガキ…。
玄関までの道のりさえも奪うのか…!
智希は怒りを必死に抑え、歯を食いしばり有志を玄関まで見送らず台所へ戻った。
将太が飲んでいた牛乳の入ったコップと、有志が飲んでいたコーヒーカップがテーブルに。
そこに自分のものはない。
「くっ……」
目眩がする。
独占欲は強いほうだと思っていた。
父、有志に対しては尋常じゃない程執着していると思っていた。
でも、思っていた以上に、ソレは、ソレ以上だった。
とりあえず落ち着け。
これぐらいで小学生殴りたいとか思ってたらいつか本当に事件とか起こしてしまいそうだ。
しかしこの、将太が飲んだ牛乳のコップを今すぐにでも割りたい。
「ともき、何してんの」
「…呼び捨てにすんな」
足音も無く将太は現れた。
テーブルに手をつき微かに揺れている智希を見つけ見上げる。
その表情は、うっすら笑っているようにも見える。
智希は将太を見下ろしながら冷たく呟くと、空になったコップを二つ、流しへ持って行く。
蛇口をひねり水を出すと、無心のまま洗い物を済ませていく。
水音が聞こえる中で、微かに椅子の擦れる音が聞こえた。
将太が座ったのだろう。
勝手に座ってんじゃねぇ。
勝手に、俺達の家に入ってんじゃねぇ。
ムカムカと思いは膨らみ、だけどどこにも発散出来ないままどんどん溜まっていく。
静まり水音だけが聞こえる台所で、話を切り出したのは将太だった。
「智希って、バスケが凄いんだってね」
「…呼び捨てにするなって何回言ったらわかる」
「じゃあ智希兄ちゃん?」
「絶対呼ぶな」
クスクスと笑い声。
また、ムカムカが溜まっていく。
「パパがね、智希が起きてくるまでずっと智希の自慢するんだ」
パパって言うな。
「いいなぁ智希は。……あんな優しいお父さんと一緒にいれて」
「………」
ふと、智希は蛇口をひねり水を止め、振り返り将太を見た。
泣いているように聞こえたからだ。
しかし将太は泣いておらず、テーブルの上に手を組んでじっと一点を見つめていた。
こいつの話が本当なら、生まれてずっと父親がいないってこと…だよな。
「…母親は。母親は優しくないのか」
「………」
タオルで手を拭きシンクに腰を軽く乗せると、先程とは違う柔らかい表情で将太を見た。
自分には父さんしかいなかった。
母さんがいなくて寂しくなかったのは、父さんがいたから。
将太の環境がもし、父親がいなくて母親がひどい人間という中で育っていたのなら。
家出をして俺たちの家に来た理由はわかる。
いやでも父さんが過去とはいえひどい人間と付き合うわけないよな。
「ママは…凄く優しいよ」
やっぱりな。
なぜか誇らしく笑みを浮かべる智希。
「優しいけど…仕事が忙しくて全然かまってくれない」
「なに、もしかして寂しくて家出したのか」
「………」
ばっかじゃねーの。
と言いそうになって口を抑えた。
相手は小学生だ。寂しい時期なんだろう。
「…で、そのママはどこ行ったんだかな」
「……。どっか行ったっていうのは嘘。たぶん家にいる」
「はああぁ?!」
「でも家は教えない」
「お前っ…!!」
「智希はもういいだろ」
「え?」
ボソボソと真相を話し始めた将太。
こいつ嘘ついてたのか…!
智希は、一瞬頭が真っ白になった。
しかしすぐ声をかけられ現実に戻ってくると、将太は口を尖らせひねくれた表情をしていた。
「智希は17年間もパパと一緒にいれたから、もういいだろ。次は僕がパパと一緒にいる番だ」
「……は?」
「っ………」
ドスの利いた声が台所に響く。
智希も、すごみを出すつもりはなかったのだが、将太の発言に思わず眉間にシワを寄せてしまった。
何言ってんだ、こいつ。
将太はぐっ、っと喉を鳴らし智希を見つめると、段々目尻に涙を貯め始めた。
あ、やべ。
「…俺だって…頑張ったんだ……」
「……え?」
「なんでもない!お腹空いた!」
「………」
泣いている、のかと思った。
しかし将太は泣いておらず、歯を噛み締めダンっとテーブルを叩いた。
一瞬別人みたいな顔になったな…。
小さく呟いた将太の表情は暗く、何かを抱え込んでいるようだった。
なんかあるな…。
そう確信したけれど、智希はわざと聞こえなかったふりをして台所に立ち朝ごはんの準備を始める。
特に話すこともなくただ沈黙が続く。
っていうか俺、なんでこいつの言いなりになってんだ。
何ちゃっかり朝飯作ってやってんだよ。
「…父さんと朝ごはん食べれなかったのに…」
大事な有志との食事の時間。
こんないきなり押しかけてきた子供に取られてしまった。
と、ダメだダメだと頭を振る智希。
相手は子供だ。小学生だ。
俺の方が大人。
父さんが面倒見てやれっていってたし、ちゃんとしないと。
「…できたぞ、目玉焼きに何かける?」
「醤油!」
「ん、適当に自分でやれ」
テーブルの上にコトン、と皿に乗った出来立ての目玉焼きを置くと、将太は目を見開き笑みがこぼれた。
すぐサラダも作り隣に置いてあげると、パンっと手を合わせいただきますと元気よく叫ぶ。
なんだか、智希にも笑みがこぼれた。
「…なんだよ、なんで笑ってんだ」
「別に。朝から子供は元気だなーって」
「子供じゃない!」
「小学生だろ。十分子供」
「しょっ……ぅっ」
「?」
後味悪く言葉を濁すと、将太は口を尖らせながらサラダの塊にプスっと箸をさした。
すぐ口に運びモグモグと動かすと、適当に、と言われた醤油を目玉焼きにかける。
おいしい。
普通の目玉焼きだというのに、塩加減が絶妙なのだろうか、とてもおいしく感じられる。
一緒に出されたご飯とお味噌汁も、安心してため息が出そうなぐらいおいしかった。
「…ともきは、なんでそんな完璧なんだよ」
「完璧?どこか?」
「…それ、嫌味?」
「?」
将太は茶碗をゆっくりテーブルに置くと、目の前でモグモグ同じ料理を食べている智希を睨んだ。
重い溜息をついた…のは、智希だった。
「あのさ、まじなんなの、お前。ってか誰なの」
「将太」
「…父さんの子供って、嘘だろ」
「嘘じゃない」
「証拠は」
「ママがそう言ってた!写真だってある!」
「だからっていきなり押しかけてきて、俺や父さんの迷惑考えなかったのか」
「だってパパの子供なんだもん!」
バンっとテーブルが痛々しく響く。
将太が手のひらをテーブルに打ち付けた。
一瞬食器が揺れたが、溢れるほどの衝撃ではなかったらしい。
しかし流石に智希もこの行為にキレた。
「あのさ、人んち来て勝手に上がりこんで、勝手に泊まって、勝手に朝飯食って、勝手にキレないでくれる」
「っ………」
低く、唸るような声。
普段智希が滅多にしないような声。
相当、怒っている。
「お前、何がしたいんだよ」
「っ……おっ…僕は……ただ…パパに…」
「………」
泣くなよ。
そう、将太に睨みつけると、逆効果だったのだろう、小さくしゃっくりをしながら将太の頬に大粒の涙が流れた。
あー…。
智希は大きく肩を落とし箸を置くと、立ち上がり箱ティッシュを持ってきた。
将太の前に置くと、バツが悪そうに頭をかきながらため息をつく。
「大声出して悪かった。飯、冷めるから食べような」
「……ん」
ずずっと鼻をすする音が聞こえる。
智希は再びはぁとため息を付きながら席に戻り、さらに空気が悪くなった食卓の中箸を進めた。
俺、女が苦手なのは自覚あったけど、子供もダメだ。
心の中で呟きながら冷めてしまったご飯を無言で食べた。
「将太。親の電話番号教えろ」
「…教えてどうすんの」
「かけるに決まってんだろ」
「かけてどうするの」
「ママに連れて帰ってもらうの」
「やだ!」
「………」
食器を片付けた後、リビングのソファでかれこれこういった争いが1時間程続いている。
もういっそ交番に預けようか。
本名名乗ってたしな。
「…今僕を交番に預けようとか思ってるでしょ」
「………」
「そんな事したらお兄ちゃんにイタズラされましたって言うもんね!」
「おっおまっ!」
「怒ったら泣く!叫ぶ!イタズラされたって泣き叫ぶっ!」
「ぐっ………」
がっと立ち上がろとした智希だったが、思いもよらない将太の発言に体を硬直させる。
こいつ…ほんとに小学生か?!
今時の小学生は全員こんなに生意気なのか?!
ちっ、っと舌打ちをすると、怒りを抑える為台所へ立った。
喉乾いた。お茶でも飲もう…。
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