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「…ともきーどこ行くの」
「お茶」
「僕も」
「はいはい」
ひょこっと立ち上がり智希の後ろに立つ将太。
見下ろしながらふと、笑ってしまった智希。
俺に弟がいたら、こんな感じなのかな…。
一人っ子であることが寂しいと思ったことはなかった。
父有志がその分愛情を注いでくれたからだ。
しかし、こんな風に後をひょこひょこ付いてこられると、少し恥ずかしいけれどなんだか温かい。
家族、か。
父さんだけだもんなぁ。
「将太には兄弟いないのか」
冷蔵庫を開けながらなんとなく言った言葉。
しかし将太には重い言葉だったようだ。
一気に表情が曇り肩を落とし黙り込んだ。
「?」
流れ作業でコップを取りお茶をいれると将太に渡し、受け取ったのを確認すると自分の分もいれた。
なんでテンション下がったんだ?
ゴクン、ゴクン、とお茶を飲む智希。
将太はまだ飲まない。
「……兄弟…弟がいるよ」
「…ふーん。いくつ?」
「1歳」
「最近生まれたのか」
「うん」
なんだか複雑そうだな。
そう思いながら将太を見下ろしていると、電子音がリビングから鳴り響いた。
「?」
電話の音?
しかし聞き覚えの無い音だ。
家の電話でも、智希の電話でもない。
有志が忘れていった?
いや、こんな音じゃなかった。
智希はコップを流しに置くと、音のする方向、リビングへ歩き出した。
「?」
将太はまだその音に気づいていなかったようで、突然動き出した智希を怪訝そうに見つめる。
「ん?これって…」
「?……あっ!」
その電話は、将太が持ってきたリュックの中に入っていた。
「お前の携帯?」
「ダメ!返せ!」
鳴り続ける電子音。
智希はひょいっと電話を取ると、サブディスプレイを確認した。
「…母、か……。出るぞ」
「やだ!ダメ!」
将太と智希とでは身長差が頭二個分程ある。
ピョンピョン跳ねて智希から電話を奪おうとするが、簡単に払いのけられるわけで。
「…もしもし」
『あ、もしも……将太?』
「いえ、泉水智希と申します」
『いずっ……まさか…有志さんの…?』
「………泉水有志は…僕の父です」
「………」
もう飛び跳ねなくなった将太を見下ろすと、ぎゅっと握りこぶしを作り下を向いていた。
ミーン、ミーンと。
セミが活動を初めている中、静かに智希は深呼吸をした。
気怠い気持ちは暑さの所為なのだろうか。
セミの鳴く波長の所為なのだろうか。
ズン、と重くのしかかるようなこの空気と想いは、なかなか俺の体から離れてくれない。
『あ、もしもし智希?将太と仲良くやってる?』
「…うん」
『…どうした?』
「………」
昼の12時、少し過ぎたところ。家の電話が鳴った。
有志が電話をかけてきたのだ。
やはり心配なのだろう。時計が12時の針を指したその瞬間携帯を取り出し電話をかける。
ある程度のぼやきはあるだろうと思っていた有志だが、それとは違う何か隠しているような空気を感じどもる。
有志の電話奥から聞こえる雑音が、智希の話すタイミングをずらしてしまう。
何を言おうか。何から言おうか。
頭の整理がつかない智希を、なだめるように有志が囁く。
『…智、どした?』
「っ………」
甘い、安心出来る、最高の声。
「……電話で…話したよ、春日部…葉子さんと」
『…葉子さんと?』
「ん」
将太の母、春日部葉子。
「ちょっとだけ、だけど」
『そっか…。で、なんて?』
「今日の晩うちに来るって」
『え、でも今いないって…』
「あいつ、嘘ついてた。母親は別に家出とかそんなんしてなくて普通に家にいた。で、友達の家に遊びに行ったまま連絡よこさない将太に電話かけてきたらしい」
『そうなんだ…』
「でも今日は仕事があるから、夜に迎えに行きますって」
少しだけ喋った。
優しくて柔らかい声だった。
母親を知らない智希はそれが良い母親っぽいのかはわからなかったけど、良い人そうだ、と思った。
この人が、父さんと付き合ってた人。
過去だ、と。
わかっているのにこの体中から溢れでてきそうな感情はなんだろうか。
頭をよぎるのは、有志とどういう会話をしたのか。どんな場所に行ったのか。どんなキスをしたのか。どんなセックスをしたのか。
見苦しい感情がグルグルと体を蝕んでいく。
なんで俺は大人じゃないんだろう。
体も、心も。
『じゃあなるべく早く帰るよ』
「あ、う、うん」
『?』
汗がどっと噴き出る。
こんなに嫉妬していると、誰にも言いたくない。誰にも知られたくない。
「今日は父さんが好きな料理作って待ってる」
『ありがとう。…じゃ、もう切るな』
「あっ……父さん」
『ん?』
言おうか言わないか。
打ち付ける心臓の音を聞きながら、搾り出すように智希は声を弾いた。
「…父さん、好き」
『でぇっ!……あ、すみません』
急に大声を出した為近くにいた同僚に驚かれたのだろう。
小さな声で謝っている声が受話器奥からもれる。
「………」
『智……』
有志は普段からこういう言葉に慣れない。
二人きりだとなんとか照れを我慢して言葉にするが、近くに同僚や上司がいる状況で絶対に愛の言葉なんて囁けるわけがない。
智希もわかっている。
別に何か言い返してほしいわけではなかった。
ただ、好きという言葉を出さないと崩れ落ちてしまいそうだったから。
将太より、将太の母親より、俺は父さんの事愛してるんだ。
『……俺も、好き』
「へっ…」
『じゃっ!じゃあな!昼飯食べそこねるから!じゃあな!』
「あっとっ……」
プツっと、途切れる音が響くと、すぐにツーツーと終了の合図が響き始めた。
「…………うわ、なにこれ。超照れる…」
智希は受話器を掴みながらポカンと立ちすくんだが、すぐに顔が真っ赤になり火照る頬を隠すようにしゃがみ込んだ。
自分も言っておいて。
でもまさか有志が言ってくれるとは思っていなかった為、急な不意打ちにやられた、って感じ。
「うーわー……破壊力凄すぎ」
しゃがみ頭を抱え、手の甲で瞼を抑える。
全く同じ行動を、別の場所でもしている人間がいた。
「あれ泉水さんどうしたんですか。しゃがみ込んじゃって」
「…重里…いや、なんでもない」
「え、顔真っ赤ですよ。風邪ですか?」
「違う。どけ、飯食いに行く」
「あ、はい」
二人は、紛れもなく血を分けた親子。
智希が電話をしている間、将太はベランダにいた。
縁側に座りぼんやりと空を見上げる。
照り尽くす太陽が将太を攻撃するけれど、将太の心には何も宿っていないようで。
「ただいま」
有志が帰ってきた。
ドタバタと音が聞こえすぐにリビングと玄関を繋ぐドアが開かれる。
「おかえりパパ!」
「ただいま。良い子にしてた?」
「うん!」
「うん、じゃねーよ。俺の事ずーっと無視してたくせに」
「知らないー」
「おまえ…」
「……た、ただいま」
「………ん」
「?」
て、照れる。
二人がそう感じている間で、将太はハテナマークを頭に並べながら交互に見た。
するとすぐグゥと腹の虫が声を上げる。
「あはは、お腹空いたね。中入ろうか」
「うん!パパの荷物僕が運ぶね!」
「ありがとう」
有志の鞄をやや強引に奪うと、パタパタ音を立ててリビングに入っていく将太。
その背中を見つめながら、有志はネクタイを緩め小さな声で智希に話かけた。
「葉子さんは…まだ?」
「うん。でももうすぐ来ると思う」
「そうか…とりあえず着替えてくるよ」
「うん」
有志が和室に入ろうとした、その時だった。
『ピンポーン』
「………」
「………」
一瞬にしてその場の空気が変わった。
ゴクリと喉を鳴らし智希は有志を見る。
有志も大きく深呼吸をしながら智希を見た。
二人揃って玄関の先を見ると、ガラス部分のドアから人影が見えた。
「……開ける…よ」
「うん」
有志はもう一度大きく深呼吸し鍵を開けると、ゆっくりドアノブを回した。
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